教室之夢

教室之夢

「私ね。思うんだけど、私の居場所はここじゃないと思うの」

 目の前に座っている、幼馴染みのさっちゃんは、ぼんやりと青くさやかな空を見上げながら呟いた。

 昼食時に僕ら二人はこうして席を窓際に寄せて、何かを話しながら食べることが日課となっている。

「どうしたのさ、急に」

 僕は弁当に入ったピーマンを隅に追いやりながら、そう返答する。

「ねえ、和也は思ったことないの?」

 さっちゃんは僕を見ずに言葉を続ける。

「ないよ。だって、この場所が僕の生まれ育った場所なんだもの」

 僕はピーマンを端に避けきると、彼女と同じように外を眺める。そこには見慣れた田園風景が広がっていて、お前の居場所はここなんだと言われているような気がした。

「じゃあ、和也は満足してるんだ」

「満足はしてないよ。代わり映えないし」

 僕は外を見ることに直ぐに飽きてしまい、今度は反対に、僕ら以外に誰もいない教室を眺める。外と同じで物静かだけれど、それとは少し違う心寂しい風景が広がっている。

 どうせなら転校生の一人でも入ってくればいいのに。僕は心の中でそんな悪態をつくと、弁当の中身を掻き込んだ。

「で、どうしてそう思ったのさ」

 僕がそう尋ねると、さっちゃんは外を見るのをやめて、ようやく僕を見た。

「さっきの国語の授業で『一炊の夢』って故事をしたじゃない」

 あぁ、確かにやった。丁度三十分前にした授業だ。忘れるはずがない。

「もちろん覚えてるとも」

「ならよかった」

 さっちゃんは少し安心したような溜息を吐くと、言葉を続ける。

「それでね、私思ったんだ」

「何を?」

 僕の視線は幼馴染みを見るそれから、何か違った物を見る物に変わる。

「あの話は夢の中で一生を終える話じゃない?」

「そうだね。加えて言えば、その夢の一生は現実ではご飯が炊き上がるまでの僅かな時間だ」

 僕が、追加の説明をすると、さっちゃんは「もう! 私が言おうとしたのに!」と少しだけ声を荒らげた。

「ごめんごめん。続けて?」

「まあ、良いんだけど」

 彼女は笑いながらそう言うと、今度は至極真面目な顔で言った。

「私ね、思うんだ。本当の私は実はこんな田舎になんて、住んでなくて、都会の学校で課題に悩みながら日々を過ごしてるんだって」

「ばかな!」

 僕がそう言って笑うと、さっちゃんも諦めたように息を吐いた。

「やっぱりそうだよねぇ。なんだか馬鹿みたい」

 そう呟いた彼女の横顔がとても、寂しそうだったから。僕はこんな事を口走った。

「確かめようか」

「え?」

 大人達のように、何もかもを『何か』の仕業にして仕舞えるのなら、きっとこの教室に流れる空気の仕業にも出来るはずだ。

「確かめようよ。君となら、僕は確かめられる気がするんだ」

 僕が大真面目な顔でそう言うと、さっちゃんは愉快そうに笑った。

「そうね。私も和也となら確かめられる」

 僕らは時計を見て、昼休みの終了時間を確認すると、急いで教室を後にした。今の二人に、もう時間なんて関係ないのだけれど。

 僕らは屋上に辿り着くと、仲良く縁に立つ。足元から冷たい風が吹き込んできて、二人のすっかり草臥くたびれてしまった制服を軽く揺らす。

「ねえ、さっちゃん。起きたときの挨拶はどうする?」

 僕が雲ひとつない青い空を見上げながら尋ねると、さっちゃんも習うように見上げる。

「やっぱり、おはようじゃないかな?」

「それしかないね」

 僕らは顔を見合わせると、どちらともなく笑いだした。さっちゃんがそっと、僕の手を握った。

「それじゃあ、『いっせーので!』で飛び降りるよ?」

 さっちゃんは確認するように、「いい?」と聞いた。

「うん。いいよ」

 僕が、そう言って笑うと、彼女も同じように笑う。

「それじゃあ、いっせーの、で!」

 僕らはこの場所から目覚めて、現実を夢見るために、そこから飛び降りる。


――おやすみ。


   ×


「……ずや……か……や……かずや……いい加減に起きなさい和也!」

 頭上から聞こえる怒声に、僕は驚いて目を覚ます。

「え、な、なに……」

 寝惚けた眼で当たりを見渡すと、クラスメイト達がわいわいと談笑をしていた。

「何じゃないでしょ……」

 僕の席の前に立つ、幼馴染みの幸子が、悩ましげにこめかみを押さえて言った。

「もしかして……寝てた……?」

「もしかしなくとも寝てたわよ。次いでに言うと、今は放課後。お分かり?」

 幸子は呆れた様子で、僕に尋ねる。僕が寝始めたのは昼休みだったから、今が放課後ということは、最低でも二時間は寝ていたことになる。

「どうして起こしてくれなかったのさ!」

 僕が声を荒らげると、幸子は手の平をひらひらさせて、僕を軽くあしらう。

「幸せそうに寝てたから、大層いい夢だったんでしょうね」

 幸子は皮肉めいた声音でそう言うと、筆箱以外何も入っていない僕の鞄を、勢いよく投げて寄越した。

「ほら、帰るわよ。今日は渋谷で買い物するって約束だったでしょ? まさか忘れたの?」

「も、もちろん覚えてるよ」

 そんな約束したかなと思いつつも、彼女の空気に気圧されてしまった。

「ならいいけど」

 幸子は吐き捨てるようにそう言うと、すたすたと教室を後にしてしまう。

「ま、待って!」

 僕は急いで立ち上がると、彼女を追う。

 後を追いながら、先程まで見ていた夢を朝霧のように、薄ぼんやりと思い出す。確か、約束をしていたんだ。それが何なのかが、まるでそこにだけ霞がかかったように思い出せない。

僕は幸子の横に並ぶと、小さく「あっ」と声を漏らした。

「どうしたの?」

 幸子は訝しげな視線で僕を見る。

「言わなくちゃいけないことが、あったんだ」

「何それ?」

 幸子は僕の方など見向きもせずに、そう返した。その冷たい反応に心が折れてしまいそうになるが、ぐっと堪える。

 そして、僕はさっちゃんとの約束を果たすために、口を開いた。

 幸子は一瞬驚いた顔をした後、とても幸せそうな笑顔を浮かべ、こう返事してくれた。


――おはよう。

                                                      

                               〈了〉

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