第5話 反旗
アリアは人の寝息を感じて目を覚ました。
雨戸の隙間から、わずかに柔らかな光が差し込もうとしていた。
アリアが、寝息のほうへ目をやると、ルカが床に寝転んで剣を抱いて丸くなっていた。彼女達のような「剣士狩り」の任を与えられた者達は敵が多い。いつも剣を抱いて、壁に寄りかかって寝る。寝込みを襲われてもすぐに対処できるように訓練されている。しかし、今のルカは、無防備に静かに眠っていた。
私に心の内を、少しだけでも打ち明けて、緊張の糸が緩んだのだろうか。
息を殺して近づいても、起きる気配はない。柔らかな寝顔。アリアはそのまま寝かせてあげようと思って、自分がいたところへ戻ろうとした。すると、ルカは弾かれたように飛び起きた。ルカの目は大きく見開かれ、目の前のアリアを見つめている。
「おはよう」
そうアリアが声をかけた。
ルカは胸に手を当て、深呼吸して少し落ち着いてから、小さな声で、「おはよう」と言った。
アリアは、朝食を調達してきた。朝一で宿を回る行商人から、焼きたてのパンと、暖かい野菜のシチューを買った。そして新鮮な果物を一つ。これには追加料金を払って甘いものを選んでもらった。
甘くなかったら、あの行商人の髪の毛を全部、むしり取ろう。
部屋に帰ると、ルカと一緒に朝食を食べた。彼女はパンを小さくちぎって口に運んで、シチューは音を立てずに飲んだ。ルカは無防備な寝姿を見られたのが恥ずかしかったのか、終始、アリアと目を合わさない。
食事の最後に、アリアが果物をナイフで半分に切った。黄色い果皮から爽やかな香りが。果肉からは薄く赤みがかった果汁がしたたり落ちた。
半分をルカに渡した。ルカがナイフで小さくカットしようとしたとき、アリアはそのまま、皮ごとかじりついた。
アリアの手から果汁が滴り落ち、果皮の爽やかな香りが部屋中に広がる。果皮の香りと甘さを際立たせるわずかな苦み、果肉一粒一粒が弾けて出てくる果汁の味と食感を楽しんだ後は、手に口付けするように、果汁を舐めとった。
ルカはアリアのその姿に釘付けになる。アリアの自由な生き方を表した、誰の目も気にしない仕草。そんなルカの姿を、アリアは不思議そうに見つめる。
「食べないの?」
アリアの言葉に、ルカは急いでナイフで果物をカットして口に運ぶ。果物の甘さと爽やかさが口いっぱいに広がる。ルカは黙々と果物を口に運ぶ。ようやく、アリアが「美味しい?」と尋ねて、頷いただけだった。
朝日が高くなり、昼に近くなってきた。
開け放たれた窓からは、風が少し湿気をはらみ、薄暗い部屋に緑の香りを運んでいる。
もう春だ。
昨日とは、打って変わって快晴だった。
アリアは窓辺に腰かけ、空を眺めていた。部屋に目をやると、ルカが剣の手入れをしていた。気になるところがあるのか、刃先を指先でそっと撫でては砥いでいる。アリアは、その姿を眺めながら、昨日の彼女の言葉を思い出していた。
人を苦しめたくない。私も苦しみたくない。
素直で無垢な言葉。部屋の奥、暗がりで剣を研ぐ少女が、そう言った。感情を持たないかと思っていた少女の内には、か弱く死の影を漠然と恐れる幼子が居る。
アリアは窓辺に添えた手を強く握り締める。そして、もう一度、窓の外を見つめる。風が強くなり、一葉の緑の葉が部屋に舞い込んできた。
「飽きた。」
アリアは床に落ちた葉を拾い上げるとそう言った。
ルカは刃を研ぐ手を止めた。彼女の言葉の意味が分からないようだ。困惑した様子の瞳で、黙って彼女を見つめている。
私は意地悪をしている。
”剣士狩り”は仕事が終わると、指示があるまで待機する。監察官は駒を操るように彼らを動かす。少しの休みが与えられた後は、調査中の剣士の元へ向かわせる。事が起きれば直ぐに”仕事”ができるように。いつも通りなら、夕方までには、連絡役が来る。
ルカは、またアリアの変な性格が出たのだと思った。剣を拭き上げ、手入れ道具を片付けると、アリアに「連絡役がもうすぐ来る。お昼を食べよう。」と、言った。
「連中が来る前に発つよ。お昼ご飯は、どこかに立ち寄って食べようかな。」
そして、「東がいいかな。大きな都市がある。割と楽しいだろうな」と、呟きながら荷物をまとめると、立ち尽くすルカに目もくれずに部屋を出て行った。後には、彼女が手に取った若木の葉が、床に落ちているだけだった。
ルカが窓に駆けより、宿の入り口を見ると、アリアが宿から出て行くのが見えた。彼女は男を捕まえるて何か話している。男の連れている馬を譲ってもらうための交渉のようだった。交渉は成立したらしく、男の馬にまたがると街道を東に駆けて行った。
ルカは暫く呆然としていた。そして、強くなった風が勢いよく扉を閉めた音で、我に返った。頭の中に浮かぶ「反逆」の二文字。アリアは監察官からの命がないのに勝手に行動している。
誰かの命を受けているのか。なんの目的で。
ルカは昨日の夜の事を思い出した。思いがけず出た言葉。自分の中にしまい込んでいたはずの言葉。そして、今朝、眠りこけてしまって油断していた。相方として十分ではないと、愛想を尽かしたのだろうか。ルカはアリアと交わした言葉、過ごした時間が渦巻く頭を抱えて、そののまま座り込んでしまった。
待とう。もしかすると気が変わって、帰ってくるかもしれない。
ルカは、それ以上、考える事を止め、床の若木の葉を見つめた。
夕闇が迫っていたころ、部屋の入り口に人の気配がした。、アリアのものではない誰かの気配。扉を開けると、旅装束の男が立っていた。連絡役だ。
「アリアを斬れ。」
男はそう告げると立ち去った。
既に日は沈み、暗闇が空に広がっている。ルカは荷物をまとめると、部屋を後にした。
アリアを斬る。
ルカは馬に跨ると、闇夜の中を駆けだした。
部屋には、萎れた若木の葉が一枚、取り残されていた。
剣士の国 〜剣と少女の物語〜 quo @quo_u
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