「シエラ」
3.手紙
拝啓、お母さま。
炎神様が天上に築かれたお国で、安らかに過ごしていらっしゃいますか? シエラは元気です。故郷を離れてティアニーリア神学校の女性寮に移り、新生活がいよいよ幕を開けようかというところです。正直、四六時中そわそわしています。
お母さんを失ったあの日のことは、二年が経った今でも昨日のことのようで、思い出すまでもありません。お母さんが育んでくださった正義の炎までもがふっつりと消え、真っ暗になったわたしの心には、目を背けたくなるような醜い感情が蠢いていました。
お母さんを独り、夜闇に沈んだ街へ送り出したことへの後悔。お喋りすることも抱きしめることも、ただお傍にいることさえも叶わなくなってしまったことへの悲しみ。お母さんを奪ったものへの憎しみ。そして、炎神様に縋ることしかできない、無力な自分自身への嫌悪。
もしも聖都からあの方が来てくださらなかったら、わたしの炎は消えたまま。己のうちの醜さに丸呑みにされ、お養父さんの支えがあったとしても、真っ当な日常を送れていなかったでしょう。もちろん、「大聖殿でおつとめできるような立派な聖職者になりたい」という夢を抱いて邁進することもなかったはずです。
叶うならもう一度、あの方に。
アルラズ様に、お会いしたい。
いいえ、
ですが「シェールグレイで最高峰の学校に合格するために重ねてきた努力を認めてもらいたい」ですとか、あの方からこれ以上何かをいただきたいとは、誓って、思っていないのです! わたしはただ純粋に、感謝を申し上げたいだけであって……
「……だから、なんで言い訳っぽくなっちゃうかなあ」
わたしは溜息をこぼしながらガラスペンを置き、インクが渇くのを待ってから、書きかけの手紙をデスクに伏せた。
いつもそう。お母さんにアルラズ様への気持ちを伝えようとすると、上手く言葉にならない。ティアニーリアに合格できるくらい……授業料が殆ど免除される、特待生の座を得られるくらい勉強したのに、笑えてくるほど語彙力が貧弱になる。
デスクの端に置いた時計を見れば、午後一時を少し回ったところ。よし、気合い注入。胸の前で両手をぎゅっと握って、ぱっと開いてまた握る。
わたしは弾かれたように立ち上がった。お養父さんから譲り受けた、ちょっとくたびれ気味だけど丈夫な大きめのリュックに、デスクに積み上げていた本を丁寧にしまいこんでいく。
他の荷物は必要最低限に。あれこれ何でも書き留めているノート、緊張のあまり睨むような眼をしている顔写真の付いた学生証、ハンカチ、そしてお財布だけ。知恵の結晶たる本を傷つけることは、裁きの塔に送られても仕方ないほどの罪悪だと思っている。
カフェラテ色をした厚手のカーディガンを、
全身鏡の前でぐるり、一回転。
……何だか、リュックを背負っているのか、リュックに背負われているのか分からない。三つ編みの完璧さがかえって田舎娘らしさを増長させているような気もする。でもまあ、ひとりで勉強しに行くのだからこれで良いのだ、うん。
入学祝いにお養父さんに買ってもらった、風魔法を使っているみたいに軽くて、靴底の低いスニーカーを履いて外へ出る。汚れが目立たないように焦茶色を選んだけれど、聖都の道はどこもかしこも綺麗に舗装されているから、もっと淡くて可愛い色でも良かったかも知れない。
寮内でほとんど人に会わなかったわけだ、麗らかな春の晴天である。
燃え盛る火炎の赤と橙、そして蝋燭の白を基調とした背の高い街並みは、荘厳さと親しみやすさを器用に共存させている。
埃っぽさのまるでない空気を思いっきり吸い込んでから、まあるい陽差しに照らされる中を、賑わう往来の一員になって歩いてゆく。リュックの両紐を握りしめ、誰かと勝負しているみたいに、せかせかと早足で目的地へまっしぐら。
神域の中で唯一、一般人にひらかれている場所。シェールグレス宮殿図書館と並び立つ知の殿堂。この国のあらゆる刊行物が集まる、聖都の文化的中枢。大聖殿附属図書館だ。
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