★第4話★ 君は僕の……。
彼女がいなくなって半年が経ったある日のこと。
別邸で過ごす僕の元に、本邸にいる父から懲りもせずに見合い話が舞い込んだ。アシュリーが去って十年ぶりに配給が一人分に戻ったとはいえ、その日も彼女のいなくなった空白を埋めるように調薬に没頭していた僕は、本邸から言伝てにやってきた使用人の話を聞いて盛大に呆れた。
今度のお相手は何と伯爵家だという。これはもう会う前から断られる言葉を予想しておいた方が傷が浅いかもしれないと思い、顔合わせの前日は一日中ありとあらゆる断り文句を考えた。
当日の朝はさらに大変で、常ならば本邸から使用人を数名借りて
この時点でも相当に緊張していたけれど、応接室に行くまでにすれ違った継母と弟が僕を見るや怯えた様子で通路を譲ったのだ。いつもならこちらの存在に気付けば不快そうに顔を歪める継母と、見目を小馬鹿にしてくるあの弟が。
訳も分からず不気味なくらい大人しい二人の横を通り抜けて応接室に向かったのだが、約束の時間になって現れた人物を見て驚愕した。
「お久し振りですヴィクター様。思ったよりも品と恥じらいを身に付けるのに手間取ってしまい、お迎えに上がるのが遅くなりました。申し訳ありません」
「アシュリー……? なんで君がここに?」
「この十年間どうしても貴男が欲しかったものですから、三十一回目のお見合い相手になるべく、伯爵令嬢アシュリー・カデットと名を改めて戻って参りました。できればここは本採用して頂けると嬉しいですね」
「カデット家……ってあのカデット? その姓を、君が……?」
「はい。恐らくヴィクター様がご存知のカデット家で間違いございません」
カデット伯爵家といえば、その歴史の古さもさることながら、王家からの覚えもめでたいこの国の食物庫と呼ばれる大農地を持つ家だ。農業だけでなく商業にも精通し、そのおかげで過去に何度も飢饉を退けた記録がある。
そんな家に引き取られただけあってか、目の前に座るアシュリーはこの十年間で見た中で一番健康的で美しい。
その身を包む服装も窮屈なお仕着せではなく、一目でそれと分かる上質な勿忘草色のドレスだ。元々艶やかで綺麗だった黒髪は、いまやさらに輝きを増してシルクのような光沢を放っている。
そしてニコニコと無邪気に微笑むアシュリーの両隣には、厳格そうなカデット伯爵夫妻。見た目に類時点が多いところから、彼女は養女として迎えられた訳ではなく、歴とした血縁者らしい。射抜くような眼力のカデット伯に対し、淡く浮かべた微笑みの中に何かを内包させた奥方。
けれどそのどちらもが、何故か孫娘が結婚したいと言い出した見苦しい容姿の僕ではなく、隣に座る父に向けられていた。
――が。
「祖父と祖母にはヴィクター様がこの十年間、どれだけ私のことを大切に扱って下さったかお伝えしました。それに伴い、お館様とそのご家族様についてもしっかりとご説明をして差し上げたのですわ」
未だに状況を飲み込めずに困惑する僕に分かりやすく説明しようとしてくれたのか、ゆったりとした口調で話してくれるアシュリー。けれどそのとき父の肩が大きく揺れた。
何事かと盗み見た父の顔色は青いを通り越して白い。僕の視線に気付くと凄まじい形相でこちらを睨み付けてきた。
「ヴィクター坊っちゃん。私は貴男の哀しみも、挫折も、成功も、猜疑も、憎しみも、嫉妬も、そして愛情も。この十年間の……いいえ、二十四年間の貴男の人生を丸ごと全部欲しいのです。出世したので、前回頂いた退職金では足りませんわ」
頬をバラ色に染めてそう饒舌に言った彼女はけれど、まったく同じ声音で「貴男以外のここにあるものはリネン一枚いりません」と口にした直後、俄に騒がしくなった廊下から憲兵達が雪崩れ込んできて。
目を白黒させる僕の隣で「話が違うぞ!?」と激昂して立ち上がった父を床に押さえ付け、すでに捕らえられていたらしい継母と弟を前に、それまで黙って成り行きを見ていたカデット伯爵が一枚の紙を広げた。
「グラッセ殿。貴公の指す話が何のことか我々には覚えがないが、ここに貴公とその
目の前で繰り広げられる逮捕劇に呆然としていた僕の手を、いつの間にテーブルを回り込んで来たのか、喜色満面のアシュリーの手が握っている。
「ここに婿養子を取りたい娘がおりますけれど、貴男をこのまま持ち帰らせて頂いてもよろしいですか?」
ふわり、微笑みそう口にした彼女の問いかけに胸が詰まって。言葉もなく唇を噛みしめて頷いた僕の目尻に、背伸びをしたアシュリーの唇が優しく触れた。
それからの二週間はアシュリーに連れられてカデット伯爵領に居を移したり、カデット伯爵が僕のために雇って下さった弁護士の手を借りて、グラッセ家から戸籍を抜いたり。
父や継母が関与したという領地での違法な増税や使い込み、弟の暴行事件や窃盗などについて尋ねられ、そのどれもに一切関与していないという調書を作成してもらったりと慌ただしくする間に、時間が飛ぶように過ぎていく。
アシュリーはその間にもメキメキと淑女ぶりを上げ、途中からは僕のだらしなく太った身体を気遣って、カデット夫人と共に東の大陸に伝わる“医食同源”なるものを取り入れてくれたおかげで、体調と体重がかなり改善された。
父は僕に対しての軟禁疑惑や特許の侵害なども問われ、カデット伯爵の後押しを受けて出廷した裁判で、今までに父の名で世に出した僕の薬の権利も取り戻せた。長年に渡って重ねた罪状によりグラッセ家は取り潰され、三人は数年の投獄ののち平民に落とされることが決まった。
――そして……彼女に救われてから一年後。
僕とアシュリーは伯爵夫妻と領地の人々に見守られる中で、ささやかな結婚式を挙げた。入婿として迎えられたカデット家は全ての仕事に意味と意義があり、毎日が幸せで、いつこの夢が覚めるのかと怖いくらいだ。
「ご覧下さいヴィクター様、この間取り入れた新しい減量メニューが効いたのかしら? 腰回りが先月よりも二十減ですよ。素晴らしいですわ」
「うん、色々と調べてくれるアシュリーのおかげだ。ありがとう」
「ふふ、そう仰って頂けて嬉しいですわ。けれどこれでますます夜会やお茶会で他家のご令嬢達にヴィクター様を狙われてしまいますね」
「いや、アシュリー……その心配はどこからくるの? 考えすぎだし、他家のご令嬢達に失礼だよ?」
「ヴィクター様がご自身の見た目に頓着しなさすぎなのです」
「多少痩せたくらいでそんな……」
「私一人分痩せれば充分ですよ。今までだって素敵だったヴィクター様の魅力に今更気付いて群がられるのは腹立たしいです」
「安心して欲しい。そんなトチ狂ったことを言うのは君くらいだ。それに――、」
続けようとする言葉を緊張で区切った僕を、メジャーを手にしたアシュリーの深い青色の瞳が見上げる。
期待するように笑みの形に持ち上がった口角と、バラ色の頬に一瞬見惚れた。けれど焦れた彼女が「続きを早く下さいませ」と迫るから。
「僕には君しかいないし、君しか見えない。あ、愛してるよ、アシュリー」
肝心なところでつっかえた僕の言葉に、それでも満足そうに彼女は微笑んで。
「私もよ、ヴィクター」
ほんの少し照れ臭そうに、妻としての言葉をくれた。
◆薄幸白豚令息と、愛の重い専属メイド◆ ナユタ @44332011
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