☆第3話☆ メイド、改め。


 午前中の座学とダンスのレッスンを終え、休憩を惜しんで早々に次の授業に挑みたい気分を押し込めて、しずしずと品良く歩いて向かったサンルーム。


 そこにはアフタヌーンティーの準備が整えられ、三脚ある席のうち二脚にはすでに人がかけて私の来訪を待ち構えていた。


「お茶の時間にお招き頂きましてありがとうございます、お祖父様、お祖母様」


 二人の前でゆったりとしたカーテシーをとってからそう言えば、それまで厳格そうな面持ちだった祖父母は相好を崩し、私に早く空いた席に座るようにと促した。これがかつて一人娘の身分違いの恋に反対して駆け落ちされた人達なのかと思うと、少々気が抜ける。


 瞳の色と顔立ちが似ている祖母と、若い頃は髪色が同じだったのだろう祖父。記憶の彼方にある母の朧気な顔が少しだけ思い出された。


「おおアシュリー、やっと休憩に来てくれたね。可愛いわたし達の孫娘。お前につけた家庭教師から、勉学も社交マナーも大層頑張っていると聞いているよ。どうだね、もう少しゆっくりと勉強してみては」


「いいえ、そんな……まだまだカデット伯爵家の令嬢を名乗るには憶えることがたくさんあって、もっと頑張らなければと思っております。今のままでは他家の素晴らしいお嬢様方に追い付けませんわ」


 メイドとしての作法なら他家のご令嬢は私の足許にも及ばないけれどとは、胸の中だけに留めておく。するとよほど殊勝な物言いに聞こえたのか、祖父母はうっすらと瞳に涙を滲ませ「そのようなことを……」と肩を震わせた。


「お前の母と父のことは本当にすまなかった。今更何をと思うかもしれん。過去のことへの償いになるとも思えない。だがな、娘の……サフィア忘れ形見であるお前の願いなら、どんなことでも叶えよう」


「ええ、ええ、そうですとも。もう我慢も苦労もしないで良いのよ、何でもわたくし達に言って頂戴ね」


 そんな風にさめざめと泣く祖父母に対して、実のところ私にはそこまで恨みはなかった。むしろ大切な部分を隠しているために二人には負い目すらある。それというのも、父と母は私が産まれた頃にはすでに不仲だった。


 結局のところ、二人の結婚に反対した祖父母の方が正しかったのだ。


 仲良く同じ流行り病にかかって死んでしまっただけで、それ以外にある両親の思い出はそう多くない。そのことを二人が知らないのは、ひとえに私を迫害して追い出した村があのあとしばらくしてあの流行り病で廃村になったからだ。


「お二人ともそのように泣かないで下さい。私はここでこうしてお二人に可愛がられてとても幸せですの」


 人生で二番目に。


 死んだ両親には悪いけれど、私はこの二人の方がよほど馬が合うと思う。少なくとも消息を掴んだ孫娘を三年も泳がせて素行を探るくらい現実的で、物の考え方が堅実な方が良い。


 ただ一番家族として幸せだった環境は、ヴィクター様とそのお母様のソフィー様と過ごした日々だと断言できる。ヴィクター様はあんな腐った家の中で育ったとは思えないほど聡明で、誠実で、潔白で、美しい人。


 ソフィー様に使う薬を自らの身体で実験したせいで、薬に含まれた微量な毒が体内に溜まって代謝が落ちても、最後まで諦めなかった丸い背中が眩しかった。


 十年前のあの日、森の中で死にかけていた私を担いで屋敷に連れ帰り、苦手な嘘をついてまで必死に私の身柄を置く術を考えて下さったヴィクター様。被験者というには余りにも手厚い介護に病だけでなく、当時荒みきっていた私の心の傷は癒えたのだ。


「ああ、ですが……一つだけ我儘が許されるのなら……私はどうしてもあの方が忘れられないのです。私を逃がしたことで酷い目に合っていなければ良いのですが。今頃どうしているかしら」


 私が伏し目がちにそう溜息をつけば、二人は僅かに身体を強ばらせる。ということは、今の私ではまだ彼の身柄をねだれる能力に手が届いていないということだろう。


 でも私はどうしても彼を幸せにしたい。彼がそうしてくれたように。何よりも私は彼が欲しい。彼をあの鳥籠から攫って、彼の傍で人生を終えたい。


 そのためには今から完璧な伯爵家のご令嬢を目指すくらいのことはしてみせる。三年前に祖父母の命を受けて手紙を持ってきた間者から自身の生まれを聞いたとき、これで彼との一番の障害が消えたと思った。


 メイドと子爵では身分差があるけれど、伯爵と子爵なら問題ない。流行り病の特効薬を作ってしまえる調薬の技能は、祖父母のお眼鏡にだって叶うはずだわ。


「この命を救ってくれた彼に恥じないためにも、私は立派な淑女にならなければいけませんね」


 ほんの少しだけ言葉に圧力を込めて、私はようやく冷めかけた紅茶に唇をつけた。

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