第9話 “悪魔”




  ◇◇◇


 ――122階層「森林樹海」



 シャアアッ!!

 フゴォオオオオッ!!

 キュォオオオオオオンッ!!



 初めての『魔物乱舞(スタンピード)』。


 50を超える122階層の魔物たちの一斉狂化。


 姿を消す蛇、完全武装したオーク、獰猛な黒鳥。巨大カマキリ、飛び回る巨大蜂、屈強な蟻に頑丈なカブトムシやクワガタなどの昆虫種。


 全てが固有スキルを持ち、《自動修復》する化け物たちの宴は、まさに地獄絵図であった。


 屠っても、屠っても、終わることのない魔物の襲来。戦闘を続けている限り、湧き出てくる魔物たち。


 大陸一の領土を持つアドクリーク帝国の精鋭たちと言えど、その猛威を退けることは困難を極めた。



(一度に屠り去るしか逃れる術がないかもしれん……)


 経験豊富なマーリンは顔を顰める。


「このままじゃ、終わりが来ん! “特級”で消し飛ばす! 皆、離れておれ!!」


「マ、マーリン様! “特級”は危険です! 今のレイアでは、」


「レイア! アタシが倒れたら頼むよ! アンタの才はアタシを凌ぐはずだからね!! “万物の創造神に燦然たる太陽の恵みに感謝の祈りを。我、前に立ち塞がる――」



 マーリンは目の前の魔物乱舞(スタンピード)に自身の生命力と全ての魔力を消費する最高位“特級魔法”の詠唱を始めながら、魔法陣を構築し始める。



「マ、マーリン様! なりません!! これは私が招いた事! 私が“魔力回路”を開きます!!」


「キュー! お前が無茶をしてどうする! 俺が全ての魔物を引き付ける!! その間にみんなは逃げろ!!」



 キューリエンヌとバロンが叫ぶが、



 グザンッ、グザンッ!!



 無防備なマーリンに襲いかかる魔物を斬り伏せながら、剣聖ジェイドは高笑いをする。



「カッカッカッ!! ババアがこうなったら地形が変わるぞ! お前たちは早よ逃げぇ。ワシがババアを回収して必ず戻る!!」


「し、師匠! そんなことを私が了承できると、」



 スッ……、トンッ……



 ジェイドは意地でもその場に残って戦い続けそうなキューリエンヌの背後に移動すると、首を叩いて意識を奪う。



「バロン!! バカ弟子を担いでさっさと行け!!」



 ジェイドの言葉にバロンはゴクリと息を呑み、キューリエンヌを担ぎあげた。



「レイア!! 来い!! この2人なら大丈夫だ!! 2人とも殺しても死なないような化け物だ!! 行くぞ! 邪魔にならないようにッ!」



 バロンの顔は涙に濡れていた。


 だが、必死に笑顔を作った。

 涙や鼻水だらけのぐちゃぐちゃな笑顔だ。


 帝国の『二大英雄』なら大丈夫だと必死に言い聞かせながら走る。



「……!!」



 その顔にレイアも顔を歪ませじわりと涙を滲ませる。



「大丈夫じゃ、レイア! バロンの言う通り、ワシらは人間やめとるけぇの! カッカッカッ!!」



 バッ!!



 レイアは駆け出した。



「絶対の絶対ですよー!! 《火炎精霊(イフリート)》!!」



 ゴォオオオオ!!



 ポロポロと大粒の涙を流しながら、バロンと自分の逃げ道を確保したのだ。



「ふんっ……。結局、お前と心中か……」



 グザンッグザンッ……!!



 詠唱を続けるマーリンに聞こえるか聞こえないかの声でジェイドは呟き、襲いくる魔物を斬り続ける。



「我、欲するは神の憤怒。太陽神と雷神の一欠片。我が生命とマナを喰らいて顕現せよ”……」



 ポワァア……



 詠唱と複雑な魔法陣の構築を済ませたマーリンは「ふっ」と小さく笑う。



 ゴォオオオオ!! 

 バチバチッ、バチッバチバチッ……



 眩い光を放つ小さな熱球の周りには紫電が駆ける。


 魔法の核となる種火の生成。

 あとは“全て”を乗せ、放つだけ……。



「“ジェイ”……。お前の子を産めなくてすまなかった」


「……カッカッカッ! 来世に期待しようかの!」



 グザンッ、グザンッ!!



 ジェイドは魔物を斬りながらマーリンに優しく微笑みかける。


 マーリンの頭には走馬灯が駆け巡るが、それはジェイドとの思い出ばかり。それは、幼馴染の2人が数々の苦難を共に乗り越え、老人になるまでの物語。


「にしても……、まさか弟子の癇癪(かんしゃく)が最期とはのぉ」


「……ふんっ。女の身体を弄っていいのは好いとる男だけと相場は決まっとるわ……」


「カッカッカッ! 死を前に女子(おなご)に戻るか!?」


「う、うるさい! どちらにせよ、キューリエンヌはこれを糧にしてくれるさね」


「……カッカッ、師匠の死を押し付けるか? おまけにレイアも成長せざるを得んと……? 相変わらず、鬼畜じゃの……」


「……」


「…………」


「来世はハゲるなよ、バカジェイド!」


「カッカッカッ!! 来世もそのままでええぞ、クソマーリン!!」


「プッ、アッハッハッ!! ……《滅光雷、」



 スッ……



 マーリンが魔法陣に全てを乗せようとした瞬間、それを遮るように1人の男が音もなく降り立つ。



「《範囲凪(エリアカーム)》……」



 フッ……



 ロウソクの火が消えるように種火が消える。



 ゾクゾクゾクゾクッ!!!!



 得体の知れない“人間”の出現に、マーリンとジェイドは全身の毛が逆立つ。


 世界を渡り歩いた2人が驚愕したのは、視認するまで存在に気がつかなかったこと。


 その『虚無』を滲ませる黒眼を前に、ほんの一瞬、硬直して身動きが取れなかったこと。



「ジジババのイチャイチャなんて需要がないぞ。……ってか、お前らずっとやかましいんだよ。いい加減にしろよ?」


 

 シャアアッ!!

 フゴォオオオオッ!!

 キュォオオオオオオンッ!!

 


「チィッ……!! ぁああ!! めんどくせぇ!!」



 グザンッグザンッグザンッ!!



 黒髪黒眼の男は無表情を崩さずに襲いくる魔物たちを屠り始めた。短剣一本を手に……。


 四方八方からの攻撃をヒラリと紙一重で躱し、まるで舞っているかのように感じれば……、



 グザンッ!! 

 クルクルックルッ……パシッ!! 


 

 斬り飛ばした魔物の部位を掴み、殴り、投げ、刺すなどの“荒々しい暴力”で蹂躙していく。


 

 シューーー……



 魔物は次々に黒い霧に姿を変え、ドロップ品を地面に落とそうとするが……、



 パシッ……グザンッ!!



 武器になりそうな魔物の素材は地面に落ちる前に“使い捨てられる”。水のように留まること知らない動き。完璧な脱力と初速の連続。


 圧倒的な暴力の中に歴戦の気配。


 目を見張るようなスキルではない……ように見える洗練された一挙手一投足。


 2人の目をもってしても推し量れない。

 それはまさに『暴力の天才』の姿。



 ブルブルブルッ……



 『剣聖』と呼ばれるジェイドは目の前の光景に戦慄する。魔物たちは不自然に動きを止め、他の魔物たちの邪魔をする。


 未来を視ている? 

 時間を止めている? 

 修復、回復を阻害をしている?

 身体能力や動体視力を押し上げている?



(……あ、悪魔じゃ……)


 魔物たちの5分の1しかない『たった1人』の人間が全ての魔物を操っているようにさえ見えてきたジェイドは、率直にそう思った。


 “悪魔種(デーモン)”ではない。

 比喩的な『悪魔』という恐怖の象徴。


 何も写していない黒眼はまるで死人のよう……。左眼の傷跡が、無気力な無表情を更に恐ろしい者へとと演出している。



 グザンッグザンッ!!



 自らの短剣で最後の2体を仕留めた黒髪黒眼に黒い装備の少年は、黒い霧が充満する森と同化する。



 シィーンッ……



 静寂が顔を出した。



 ギュッ……



 無意識のうちにマーリンはジェイドの手を握っていた。それに気がついたのは全てが終わり、握り返されたことに気がついた時だ。




 クルッ……




 “闇”の中から悪魔が歩いてくる。

 


「……“ごめんなさい”は……?」


「「…………」」


「おい……早く謝罪しろ。俺のファーストキスにケチをつけたことに……」


「す、すまん……」

「わ、悪かった……」


 ジェイドとマーリンは正直意味がわからなかったが、とりあえず謝罪しないといけないような気がして言葉を搾り出した。



「……散れ! 2度と俺の邪魔をするな……」


「「……」」


「ドロップ品は置いておけ。後で回収するからな……」


「「……」」


「……ったく。今はそれどころじゃないんだよ……」



 少年はほとんど動かない無表情だが、心底めんどくさそうに吐き捨てて歩き始める。


 足音一つしないその歩みに、ジェイドとマーリンは息を殺していた。長年の経験が、ここで身動きすることを拒否していた。……のだが……、



「ル、ルーカス君!! は、早すぎだよ!」



 2人とも察知していた人物が「普通に」声をあげたことに緊張の糸がプツリと切れてしまい、



 ザザッ!!



 一瞬で距離を取った。


 ジェイドが前衛で刀に手をかけ、マーリンはそのすぐ後ろで杖を構える。


((やってしまった……!!))


 2人は途端に後悔した。

 敵対などするつもりもないのに、戦闘体制をとってしまったことに、ブワァッと冷や汗が吹き出た。



「……えっ、あっ、こんにちは……? お二人は“アドクリーク”の方々ですよね……?」



 しかし、銀髪碧眼の少女の声に2人は同時にホッと胸を撫で下ろしたのだった。

 

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