第7話 〜リリアの救済、ルーカス自覚無し〜



  ◇◇◇【side:リリア】



 ――122階層「森林樹海」



(ど、どうするの。ど……どうするの? どうするのぉお!? えっ、いや、待ってよ! ボ、ボク、なに言ってるのさ!?)



 ルーカス君が少し頬を染めてボクを見てる。

 何も写していないかのような、吸い込まれるような、黒眼でも……、ボクを見てる。


 いつもとは違って、ちゃんとボクを見てくれてるってわかる。それが嬉しくて、なんだかお断りも承諾もできなくて“わからない”なんて変なこと……。



「リリア……。まずはキスからだ」


「えっ、ぅ、ぇえっ!? ほ、本当に?」


「……い、嫌か?」


「えっ、いや、そ、そうじゃなくて、ボ、ボクみたいな元奴隷でいいのかなって! う、馬小屋で暮らしてたんだよ? ガリガリでフケだらけでアザだらけで!!」


「……ん?」


「男みたいに振る舞って他の奴隷たちから身を守り続けてても、毎日、毎日、殴られて、肥溜めに入れられて、臭くて汚くて醜くて鈍臭くて……」


「……」


「ボ、ボクなんかじゃ、やっぱダメだよ! ルーカス君みたいに強くて優しい人には、ボクみたいな元奴隷じゃ、」



 フワッ……



 ボクは抱きしめられたことを理解するのに、時間がかかった。


 フワリと香る太陽の香り。想像より、ずっとがっちりしているルーカス君の筋肉がボクを包み込む。



 ジワァッ……



 なんでかな……?


 鼻の奥がツンとして、目の前の景色が滲んでいく。ドクンッドクンッと心臓は壊れたみたいに脈打っていて、顔は火がついたように熱い。


 それなのに……、とても安心する。



「……リリアの《浄化(パージ)》は全てを清める。リリアの《回復(ヒール)》は全てを癒す。……汚いはずがない」


「……ルーカス……君……」


「リリアの身体は綺麗だった。お前の裸を見た俺が言うんだから間違いない……。それに…、こうして抱きしめれば甘くいい香りがする」


「……ぅっ、うぅっ……!!」


「リリア。過去に囚われて今を生きづらくするのはめんどくさいだろ? 今を自由に生きてみたって案外なるようになるもんだ」



 ルーカス君の声が耳元で聞こえる。

 胸がキューッと締め付けられて息が苦しい。


 この10日間……。人生で1番幸せだった。

 ゆっくりと穏やかに時間が過ぎていく『今』が、ボクはとっても幸せだった。



 “オークウェル”に居た頃はただの恩人だった。

 とても頼りになる仲間だって、そう思っていた。



 でも、2人きりになってからボクはおかしいんだ。



 ルーカス君が居てくれれば怖いものなんてない。ルーカス君が笑ってくれるから料理が楽しい。ルーカス君が横で寝てるから悪夢を見なくなった。


 いつも「ふっ」と小さく笑う。

 いつも「ふわぁあ」と大きなあくびをする。


 何も写していない瞳のまま、魔物を屠り魔獣を狩る。それなのに、食事の時にはいつもより少しだけ瞳を輝かせて、子供みたいなところもある。



 気がつけば、ボクはルーカス君を目で追っていた。気がつけば、ルーカス君の瞳に自分を写したいと願っていた。



 気がつけば、ふと目が合った時……、



 トクンッ……トクンッ……トクンッ……



 心臓が音を立てるようになっていた。



「うっ、うぅっ……ルーカス君……」



 どうしよう……。涙が止まらない……。

 すがりつくように、ルーカス君に腕を回すと……、



「ふっ……」



 小さく笑い声が聞こえて、ポンポンッと後頭部に優しく触れてくれた。



「うっ……うぅううっ……」


 

 なんだかボクは子供に戻ったみたいだ。

 誰かの胸の中で泣いた事なんて初めて……。



(こんなにあったかい……)

 


 それがまたボクの涙を加速させる。


 早く泣き止まないといけないのに……。ルーカス君に「めんどくさい」って思われちゃうのに……。



「……ルーカス、君……ぅっう!」


 

 どうしても涙が止まってくれない。

 

 どうしよう……。

 どうしよう、どうしよう……。


 出会ってからのルーカス君のいろんな表情で頭の中がいっぱいだよぉ……。




   ※※※※※




(おい……。なんでこうなった……?)



 リリアのサラサラの銀髪を撫でながら、クンクンと甘い香りを堪能しつつ、女体の柔らかさに悶々とする。


 残念ながら胸は簡易鎧、そしてギチギチの包帯で邪魔されているが、背中や腰の柔らかさは余裕で下半身を刺激する。


 まぁ、お互いが座っているから隙間があるし、ブツを押し当てたりしていないことが不幸中の幸いか……。


 それにしても……。


 こんなに華奢なのに、なぁんでこんなに柔らかいんだ? 思いっきり抱きしめれば折れてしまいそうだが、女ってみんなこうなのか……?



「うっ……うぅ……ルーカス君……」



 ポンッポンッ……



 とりあえず名前を呼ばれたら後頭部を軽く叩いて返事をして、またサラサラの髪を撫でる。


 これをなかなかの時間繰り返しているのだが……、女の髪は柔らかくて少し冷たくて、ダンジョンの中だと言うのにいい匂いがするのだからなんの苦でもない。



 俺が聞きたいのは一つ……。


 「なぜ泣いている……?」


 これに尽きる。

 リリアはなぜか急に号泣し始めた。


 リリアはいい女だ。


 それなのに自分を下げようと必死な姿に、“これ、遠回しに拒否ろうとしてるのか?”と半ば強引に抱きしめた。


 キスできるかもしれない。

 セックスができるかもしれない。


 期待値がマックスになった俺は少し我を忘れていた。まあ、全力で突き飛ばされれば、そのままふて寝に直行するつもりでもあったが……、



「うぅっ……ぅっ……」



 急な号泣である。


 ――男みたいに振る舞って他の奴隷たちから身を守り続けてても……


 巨乳を隠してた理由も、ボクっ娘の理由もおそらくはこの発言が答えだろう。


 ……それからなんだった?


 “馬小屋で過ごした”?

 “ガリガリでフケだらけ”?

 “毎日、毎日殴られて、肥溜めに入れられた”?

 “臭くて汚くて醜くて鈍臭くて”?


 ちょっと待ってくれ……。


 屋根があるところで寝泊まりできてたなら良くない? ガリガリでフケだらけっていつの話だ? 毎日殴られるって……、毎日死にかけていた俺の立場は? 


 肥溜めに入れられたとは、笑わせてくれる。


 俺は魔物の臓物の中で寒さを凌ぎ、ガキの頃はドラゴンのくっさいクソを自分で塗って魔物除けにしていたが?


 臭くて汚くて醜くて鈍臭くて……いや、どこが?


 めちゃくちゃいい匂いだ。

 キメの細かい白い肌が好みだ。

 リリアが醜いなら俺は死んだ方がいい。

 完璧に雑務をこなしてくれて助かっているが?


 

 洗濯物を《浄化(パージ)》しただけで神聖なオーラを放たせ、食い物になるドロップ品を《回復(ヒール)》して量を増やすような化け物スキルなんだ。


 自分に使えば、汚れ一つなく、傷一つない。


 

「うっ、うぅっ……ごめん。ごめんね。泣いてばっかで……。ありがとう……またルーカス君に救われちゃったよぉ……」



 マジでなんで泣いているんだ……?

 俺、なにかしたのか? 

 事実を言っただけだが?


 ……ん? そうか……うん。

 俺としてはなかなか信じ難いものもあるが……、


「……リリアにとってはキツイ過去だったんだな。その辛かった経験はきっと今に活きてるはずだと俺は思うぞ?」


 ってか、俺はそう思わないとやってられない。


 あの地獄が俺を強くしたのも事実ではある。かと言って、あのクソジジイのことは絶対に許せないが……。



「……うぅっ、ぅっ……! ルーカス君!」



 だから、なぜ余計に泣く?

 俺は人として欠落してるものでもあるのか?


 わ、わからん……クソっ。

 全部、あのクソジジイのせいだ!



 ポンッポンッ……



 俺はまたリリアを落ち着かせるように頭を撫で、指の間にサラサラの髪を滑らせた。

 


 ……流石にもうキスどころではないよな?



 そんなことを考えながら髪の感触に意識を集中させ、なんだか癖になりそうだと甘い香りを鼻腔にくぐらせていると……、




「きゃーーー!!」



 遠くから女の悲鳴が聞こえた。


 チラリとリリアの反応を確認する。


「うぅっ……ごめんね。すぐ落ち着くからぁ……」


 聞こえたと言っても、“聞こえた”のは俺だけみたいだ。


 これは……めんどくさいから放置でいいよな……? ワンチャン、まだ希望はあるよな……?




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