片割れに捧ぐ

物部プリン

第一話「発現」


"彼女は少し間を置いて立ち上がり…"


いや、違うな。


"彼女が立ち上がった時、私は…"


これも違う。


"彼女が、私、の…私は、彼女、が…"


あぁ〜〜〜…ダメだ、もう。


回していた鉛筆を叩きつけて、髪に手をうずめた。

…悩んでいる。それもつい最近の話ではなくて、もう何年も、ずっと。

一応、毎日椅子に腰掛けて「今日こそは」と奮起してみるものの、喉が何かに塞がれているような、そんな感覚に襲われて、なにも進捗がないまま一日が終わっていく。

例に漏れず今日も、気が付けば短針が一周している有様で、こうなるともう、私のプライドとか自己肯定感みたいなものはボロボロなのである。


深くため息をついて、背もたれに寄りかかり脱力した。視界の端に見える窓の外で、何かが点々と動いている。雪だ。

「あぁ…原稿と同じ色してるぅ〜…」

ナヨナヨとそんなことを呟いて放心していると、どうしても、頭を過ぎるのは嫌なことばかりだ。


…忘れもしない、二十一回目の冬。小説コンテストのポスターを見かけて、なんとなく気分が乗ったので作品を投稿してみたら、なんとびっくり、有名な賞を受けてしまった。メディアは私を「若き天才」とはやし立て、それはもう面白いくらいチヤホヤされた。

「軽い気持ちで応募したのにな〜、いや〜私って天才かも笑」などと抜かしていたのもつかの間。この超スピード消費社会において、私の作品は所詮、流れゆくコンテンツの一つに過ぎなかったのだ。しかし当時の浮かれポンチはお構い無しにおごり高ぶり舞い上がり、人生のレールを作家一本に切り替えてしまったのである。


それから早数年、以来ヒットどころか、作品一つまともに完成させられない立派なボンクラが出来上がっている。


「私みたいなのが親じゃ、お前も可哀想だよな…」


自嘲気味に笑って壁に掛けられた賞状に目をやると、なんだか酷く色褪せて見えてしまって、その日は虚ろな気分のまま沈むように眠った。



朝は苦手だけど、起きて伸びをした時の立ちくらみは嫌いじゃない。意識が遠のいて全身がじんわりと浮遊感に包まれる瞬間だけは、何も考えなくて済むから。

しばらくベッドに倒れ込んでいると、前方から何かが落ちたような、鈍い音が聞こえた。

「なんだろ…あと五分経ったら確認しよ…」

夢うつつに二度寝しようとしたその時、



肩を、叩かれた。



「っ!?」

反射的に飛び起きる。頭にかかっていた霧が退いていく感覚がした。辺りを見回すが誰もいない、何もない。

膜の貼ったような耳鳴りと、心臓の爆音が襲いかかる。


頭を落ち着かせようと呼吸を整えて、肩に残っている手の感触を拭うように擦った。絶対に夢じゃない、あれは質感のある"手"だった。

私は、どうかしてしまったのだろうか。馴染みのワンルームがおぞましく異様な場所のように思えてきて、今すぐここから離れたい衝動に駆られた。


カーテンの隙間から、橙色の優しい光が漏れ出していた。短針が午後四時を示している。

部屋着の上からトレンチコートを羽織って、逃げるように部屋を出た。とりあえず人目の付くところに行きたい。早足で近場のコンビニへ向かっていると、心做しか少しずつ落ち着いてきて「やっぱり夢だったんじゃないか?」「こんなことでパニックになるなんて…」という気持ちが芽生えてきた。


きっと疲れてるんだ。暗示のようにそう言い聞かせ、自分への労いに高めのスイーツを買ってコンビニを後にする。帰路につく頃には「今の話をネタにしたら面白そうだな」なんて余裕まで生まれてきて、先程までの恐怖はすっかり消え失せていた。


袋の擦れる音に気を遣いながら部屋の前まで来ると、中から物音が聞こえる。なんだろう、と部屋に入ると、女の人がキッチンで鍋を煮込んでいた。


「おかえりなさい。」


慣れた手つきで冷蔵庫を漁る彼女を見て、なんだ、居るなら言ってくれればいいのに、と軽く呟く。


「それ、冷蔵庫に入れる?」


彼女の問いに頷き袋からケーキを取り出した。あれ、なんでこんな高いケーキ買ったんだっけ。差し出す手を止めた、瞬間、停滞していた脳内がフル回転し始める。なんだこれ、何が、起きているんだ。


家を出る前と同じ、耳鳴りと動悸が私を襲う。


動きを止めた私を不思議に思ったのか、彼女がきょとんと顔を覗かせている。言葉を、選ばないと。乱雑に散らかった思考のまま、ゆっくりと口を開く。


「あの」


手に引っ掛けた袋から、ガサガサと音が鳴る。言葉を続けようとする口内から、歯の当たる鋭い音が聞こえた。


「あのっ」


「…あなた、誰、ですか。」


目の前の人間は一瞬固まって、ニヤリと微笑んだかと思うと、その瞬間、ガタンという鈍い音と共に、


消えた。


指先から袋が離れていく。優しくなぞられているような冷や汗が首筋を伝う。


薄暗いワンルームの隅で、開きっぱなしの冷蔵庫が、無機質に光を放っていた。

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