60話 命の魔女
冬を越え、春先の森の木々はすでに青々とした葉を茂らせている。降り注ぐ陽光はほとんどが葉に防がれ、森は昼間でも薄暗い。
けれど、だからこそ木々の隙間から射し込む光はより美しく見えるのだ。
ウェナは紅茶を啜りながら窓の外を眺め、思った。
さて、と傍らの手鍋を覗きこむ。もう少し煮立たせなくては。
ティーカップを受け皿に置くと、バカンッと家の扉が蹴り開けられた。
「相っ変わらずしけた家ねー」
無遠慮に入ってきた真っ白な髪に白い肌の女は、これ見よがしに大声で言った。
「おっ、おひさー」
片手間にウェナが返すと、苛立ったように女は左手の人差し指をウェナに突きつけた。金属製の指がピカリと照明を反射する。
「軽い! 軽いのよアンタ! 病の魔女シック様のご登場なんだからもっと仰々しくなさいよ!」
「んなこと言われたって、今更シックちゃん見ても驚くことないし」
「キーッ、これだから命の魔女は! 先代もお前も生意気でムカツク〜ッ!」
「で、今日は何の用?」
「……別に?」
「用もないのに、私の帰宅日に合わせて来てくれたんだ」
「はぁ〜~~~~っ? 僕がさもお前の予定とにらめっこしながら今か今かとタイミングを見計らって現れたような言い方しないでくれます〜~〜~~!? 宿敵の動向把握するぐらい当たり前なんですけど〜~~~~~~!?」
「合ってるじゃん」
「違うわ!」
「もー、病命決戦で私の勝ちで決まったでしょ? 仲良くしようよ、もう」
「嫌だね! 命の魔女がお姉様の仇ってことは変わんないんだから!」
「もちろん。シックちゃんが魔女様の仇なことも、何も変わらないよ」
低い声で威圧され、ぐ、とシックは口をつぐむ。目を逸らしたら負けだ、とばかりに視線は固定する。
ウェナはそれをまったく意に介さず、鍋をちらりと見て、戸棚からカップを出す。
「座れば? お茶くらいは出すよ」
いつもの調子に戻って言われ、シックはフンと鼻を鳴らして席につく。
「ミルクたっぷり?」
「たっぷたぷ!」
「はーい」
二つ目の手鍋に水を溜め、魔法で火をつけ、お湯を沸かしはじめる。と、また扉が開く。
「あら、珍しくもないお客さんが」
「あ、出た。胡散臭い花屋」
「相変わらず不健康そうですね、だから命の魔女に負けるんですよ」
「あぁん!?」
「やめときなよシックちゃん、お花屋さんに刃を向けると十倍になって返ってくるよ」
「ウザすぎる……なんなのよコイツマジで」
「私もいまだによくわからない」
青い髪に青い瞳の女は腕に提げたバスケットを勝手知ったるといった様子でテーブルに置く。
「いつもありがとうございます」
「いいんですよ。プレゼントですから」
ウェナは鍋の前から離れ、バスケットに溢れんばかりに並べられた花々を手に取る。
「……やっぱりもう作らないんですか、あの青い花」
「魔力を弾く必要がある場面も滅多になくなりましたからねぇ」
窓のすぐそばを鹿が数頭駆け抜けていく。天井でカカンと音がした。鳥が屋根に留まったのだろう。
花屋は堂々とシックの隣の席に腰を下ろすと、馴れ馴れしく顔をその耳元に寄せた。
「ウェナちゃんとお話したいので、紅茶は自分で淹れてください」
「……」
「はい立って」
「ねーえーウェナ! コイツ本気でウザい!」
「ごめん、私にはどうしようもない」
シックはバッと立ち上がり、不服そうにキッチンの前に移った。お茶を淹れる面倒くささより花屋から離れたい心が勝ったらしい。
花屋が手招きするので、紅茶はシックに任せてウェナは向かいの席に座る。
花屋は姿勢良く座ったまま淑やかに手を組み、
「生きていますね」
「ええ、どうやら」
ウェナはうなずいて返す。
「十年と一ヶ月。それがデスさんの遺した──あなたへ託した寿命。そのはずだった」
「そして今日は、十年と一ヶ月と一日目です。どうやら私は、魔女様の持っていた頃とは違う形の力を持っているみたいです」
「十分あり得る話です。魔女と魔法には未知の部分が多い。魔女の力が受け継がれたことも初めてのことなのですから、その力が変成するのもないとは言い切れません」
「それで多分、私なんですけど、『食べたものの寿命を受け継ぐ』っぽいんですよね、どうやら」
「……不老不死」
「とはいかないと思いますけど。例えばお魚を食べると、その魚が本来生ききるはずだった数年が私に加算される、といった感じですね」
「不思議ですねぇ。でも、だからこそあなたは生き延びることができた」
「魔女様が守ってくれた──と思ってます」
ウェナが寂しげに笑うと、その胸からぽんっと赤い花が生えた。
「あ、魔法──」
花屋はそれに手を伸ばし、そっとウェナの胸から花を摘み取る。
「めでたい日なのですから、今日ぐらいは哀しい気持ちはなしにしましょう」
赤い花をバスケットの中に並べる。
「本当によく頑張りましたね。あの日のあなたの哀しみは、それこそ胸が張り裂けるほどだったのに」
「お花屋さんは不思議に思うかもしれませんけど、哀しみが人を強くすることもあるんです。向き合うからこそ、次に立ち上がるときもっと強くなれるんです」
「ウェナちゃんを見ていたら、そう思いますよ」
「……しれっと言ってるけど、そいつも魔女だったの? 初耳なんだけど」
シックが振り向いて言った。
「あれ、知らなかったの? お花屋さん、哀しみの魔女」
「言う必要もないですからねぇ。こんな礼節のれの字もない人に」
「悪かったわね、礼節に欠けてて。じゃあなに、その花は全部そいつの魔法で作ったってこと?」
「すべて、私が人々の哀しみを糧に咲かせた花たちです。世界は哀しみで溢れていますからね、咲かせても咲かせても足りないんです。あなたの哀しみもお花にしてあげましょうか?」
「嫌。だって哀しみを糧にするってことは、花が咲けばその哀しみは消えるんでしょ? そんなの絶対にお断り。……お姉様を喪った哀しみを忘れるなんて、絶対にね」
「あなたもウェナちゃんと同じことを言うのね。デスさんを喪った哀しみを決して消さず、抱え続けたウェナちゃんと」
ぽこん、と手鍋に張った液体が気泡を破裂させる。
「……ずっと気になってたけど、さっきからこっちの鍋で煮てるコレはなんなのよ。泥?」
「鎮痛薬。もうそろそろいいかな」
「ひょっとして、そこの鳥籠ん中の鳥のため?」
シックはキッチン脇に立てられた鳥籠を指した。中には一匹の灰色の小鳥が体を丸めている。
「そうそう。ちょっと元気がなさそうでさ」
「コイツ病気よ。胃の病気。もう治ってるから心配いらない」
「えっ」
ウェナが鳥籠を見ると、小鳥はすっくと起き上がり、元気そうにパタパタと羽ばたいて止まり木に飛び乗った。
病の魔女は病を糧に魔法を使う。糧となった病は当然……
「変なところで優しいよね、シックちゃんは」
「そこは素直に褒めなさいよ」
「褒めてほしいんだ」
「だあーっ、もううるさい! ウザいウザい! はい、お湯沸いた! 話が終わったんならアンタが淹れて! アンタの淹れたやつが一番おいしいんだから!」
ドタバタと席に戻っていくシック。しょうがないなぁとウェナは肩をすくめる。
ポットに湯を注ぎ、茶葉を蒸らしながら、波々の鎮痛薬ができあがった鍋を見下ろす。
どうしよう、これ。
小鳥用に作ったのだが、見ての通りすっかり元気なので必要なくなってしまった。今すぐ使うような予定もないし、保存はあまり効かないタイプなんだよなぁ。
うーん、とあごを撫でる。
捨てるのももったいないし、どうせなら何かに活用したい。
例えば、新しい薬の材料とか。
でもこの薬を活用する既存のレシピは知らないし、やるとしたら新しい薬を手探りで試すことになる。
「あ」
ウェナの頭に閃きが一つ。さっそく戸棚から適当な材料を一掴みし、テーブルで待つ二人に振り返る。
「二人とも、好きな数字は何ですか?」
おわり
命の魔女 ひいらぎちゃん @Yayoichang
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