【短編】婚約破棄されて追放直前に勇者になった公爵令嬢~聖女になりたかったのに勇者になってしまったんですの?~

うにたん

婚約破棄されて追放直前に勇者になった公爵令嬢~聖女になりたかったのに勇者になってしまったんですの?~

 絢爛豪華な学園の社交界の場にて一つの罵声にも似た大声が響き渡る。


「公爵令嬢キャロライン・ヴィルボードとの婚約を破棄する」


 公爵令嬢キャロラインは婚約者である王太子より婚約破棄を告げられたことに頭を抱えてクソでかため息をついていた。

 

(また始まった…… 婚約破棄するする詐欺…… 今年に入って三回目ですけど…… その度に隣に並べる女性をとっかえひっかえしては王妃様に尻叩かれてるのにまだ懲りないの…… それとも尻を叩かれたくてこんな所業を繰り返してる変態なのかしら)

 

 キャロラインは何となく察していた。間違いなく自分への復讐なのだろうと……。

 

 当然、そんな男とキャロライン自身が望んだ婚約の訳が無い。

 

 公爵令嬢として…… そう、最上位貴族としての義務を理解した上で国王陛下、王妃様より望まれた婚約関係。

 

 幼少期より決定していた為、キャロラインが物心ついた時にはそうなるべく叩き込まれてきた。だからキャロライン自身も疑う事なく日々己を成長させてきた。

 

 そんなキャロラインの学園における成績は経済学、法律学、歴史、魔法実技、戦闘実技全てにおいてぶっちぎりの首位だった。

 

 そんな非の打ち所がない完璧令嬢で尚且つ眉目秀麗――腰まである銀髪は太陽の光に充てると輝きを放ち、それはまるで女神の様だと例えられるほどの美しさを持つ。マナーにおいても完璧で教師ですら『この人学園に通う必要ある?』と思われる程に指摘する箇所が全くない令嬢なのだ。

 

 その為、教師が急用、急病の際には代理で教員の代わりを務めるという謎の地位を取得しているほどに教員からの支持も絶大だったりする。

 

 それだけの能力を兼ね備えておきながら、相手を見下す事を一切せず、孤児、平民、貴族、王族だろうと同じ目線で会話を行い、扱いも平等を良しとした公爵令嬢を傍目から見ていて面白く思わない連中が多いのもまた事実なのである。

 

 その中の筆頭こそが『王太子ヴェルド』なのである。

 

 幼少期の頃に婚約者になって以降、常に完璧超人キャロラインと比較され続けたヴェルドは捻くれるしかなかった。

 

 特に敬愛する母親――つまりは王妃様から直接キャロラインとの比較をされた事が一番の衝撃だった。

 

 『ヴェルド、正解率は八割ですか…… 悪くはありませんね。ですが、キャロラインは五歳の時に満点を出しているというのに貴方は十三歳になってもこのザマですか……』

 

 『ヴェルド、何故できないのですか? キャロラインはすぐに習得してしまいましたよ』

 

 『ヴェルド…… ヴェルド…… ヴェルド!!』

 

(ぐううう、相変わらず忌々しい女だ…… キャロライン! 私の母上まで味方につけおってぇぇっ! 今度こそ、貴様に引導を渡してくれる)

 

 王子が忌々しいまでの視線をキャロラインにプレゼントしている姿を見ていた側近一号は眉をひそめながら、ヴェルドに呆れるかのように苦言を呈していた。

 

「もうやめましょうよ、ヴェルド様。キャロライン嬢がご令嬢に嫌がらせしたって話もありますけど、どうせ捏造でしょ。あの完璧令嬢が誰を妬むっていうんです? そんな事するわけないじゃないですか」

 

 その言葉にヴェルドは勝ち誇ったかの様な表情で隣に侍らせていた女性を促すと、女性が口を開いた。

 

「いえ、キャロライン様より嫌がらせを受けたというご令嬢からの情報をご本人より直接入手したのです」


 その発言にキャロラインは寝耳に水だよと言わんばかりに吃驚していた。

 

 確かに自分が疎まれて、妬まれる存在なのは理解している。公爵家に生まれただけでその地位を狙っている侯爵家、辺境伯家のご令嬢などは「私は貴方達の親の仇でしたっけ?」という般若の様な表情を常に向けて、何かと張り合おうとするから面倒でキャロラインは人付き合いを必要最低限にしていたはずだったのだ。

 

 側近二号も毎回似たような展開に飽き始めているのか欠伸をしながら気怠そうにキャロラインの援護に入る。

 

「その話だってどうせ妬みや恨みから始まった話でしょう? 完璧超人、容姿も抜群で公爵家だからお金もあるキャロライン様が誰を妬むご令嬢から捏造依頼でもされたんです? そんな茶番に毎回付き合わされるこちらの身にもなって欲しいもんです」

 

「お前たちはどっちの味方なんだ!」


 側近一号と二号は「はいはい、いつものいつもの」といってまともに取り合おうとしない。

 

 その為、女性は予定と狂い始めた展開についていけずオタオタしている様で何とか「でっ、ですが……」とギリギリ声を絞り出すのがやっとだった。


 しかし、キャロラインだけはその女性の話にきちんと耳を傾けている。

 

 その上で真っ向から反論する。


「全く身に覚えがありませんが、聞くだけ聞いて差し上げます」


 ヴェルドの隣にいた女性――カトリーヌはキャロラインから説明できる機会が貰えたおかげか嬉しそうにニンマリしつつ、間を開けてマジ顔で『コホンっ』と一息入れてから問題の嫌がらせ内容を公表した。

 

「先週のA定食で出たピーマンの肉詰め…… その肉だけを奪って逃亡したという話があります」



 

 キャラロラインは耳を疑った。


 


「いやっ、なんですの!? そのみみっちぃ嫌がらせは! どうせやるならピーマン含めてがっつり行きなさいよ!」


「ピーマンが苦手なのではありませんか?」


「私に苦手な食べ物はありませんけど……」


 それを聞いた会場の誰もが思った。「いや、それ以前にその質問おかしくないか?」と……。


 そんな会場の空気をよそにカトリーヌはいまいち納得がいっていない表情をしている。


「ふむぅ…… では、次です。その…… あの……」


 カトリーヌが言い淀んでいる。手に持っている紙に力が入ったせいか、くしゃりと潰しかける程だった。

 

 カトリーヌの表情は少し赤ら顔で汗を掻き、身体を少々震わせている。唐突な体調不良かと思いきや、ようやくカトリーヌが続きを発した。

 

「抗議のあったじょ、女性をか、壁際に押さえつけ、ででで臀部を…… な、な、な撫でまわした挙句…… ひ、卑猥な言葉を耳元で囁いたとか……」


 どうやら口にしにくい内容だった為か、呼吸を荒くして喉をゴクリと鳴らしながらも必死に読み上げていた。


 流石のキャロラインもカトリーヌの一方通行に嫌気がさしていた為か小さくため息をついて反論する事にした。

 

「まだ気づきませんの? 幾ら何でもその主張は無理がありませんか?」


 カトリーヌはキャロラインが問いただした内容に理解が出来ず困惑しているが、これは罪から逃れるために話を逸らそうとしているのでは?と考えキャロライン

 

「貴方…… 教会の方ですわよね? 証拠もない罪をでっちあげて相手の意見は聞かずに一方的に追い詰めようとするのが教会のやり方ですの? 教会が貴方を寄こしたという事は教会がその主張を是としているわけですわよね、これが女神様を崇拝する者として正しい行いだと言うのであれば教会には非常にがっかりしたとしか言いようがありませんわね」

 

 社交会場に設置されている女神像を指さしながら問いただす一方で、棘のある言い方にカチンと来ていた。

 

 自分だけならまだしも小さい頃からお世話になって来た教会を侮辱するなどとカトリーヌは自分の親をコケにされたが如くキャロラインを敵視していた。

 

「これだけ大勢の方がやったと仰られているのに認めない上に教会を侮辱するなど、やはり貴方は悪の手先…… いえ、悪そのものと言っていいでしょう」


「笑えますわね、数が多いから主張が正しい? それだけの人数が見ただの、実際にされただのという情報があれば、どこかしら一つくらい動かぬ証拠があってもいいのではと思いますが、それって出せますか?」

 

 確かにキャロラインがやったと情報はいくらでも入ってくるが、あくまで口頭のみで動かぬ証拠と言える様な情報や物はひとつもない。

 

 キャロラインに嫌がらせをされたという令嬢に視線を送ると、令嬢はカトリーヌからの視線を避ける様に顔をそむけた。

 

 何故…… 疚しい事がなければ主張すればいいのに…… と思ったカトリーヌは令嬢との話を思い返していた。

 

 『キャロライン様に後で要らぬ仕打ちでされたくありませんので、私の事はどうかご内密に……』


 それから似たような情報がわんさか上がって来ては、皆同じように自分の事は秘密にして欲しいと主張ばかり……。

 

 幾ら何でも主張が揃い過ぎている、これでは皆が共謀してキャロラインを追い込む様に仕向けているとしか思えない…… その様な考えをした瞬間、カトリーヌの頭の中は靄がかかったように今までの考えが霧散されていき、目が虚ろになっていく。

 

(私…… 今何を考えていたんだっけ…… そうだ、キャロライン様を糾弾している…… ん? 何故糾弾しているんだっけ…… そうだ、神を冒涜するキャロライン様を罪人に仕立て上げ――)


 


「チッ、使えん女だ…… アイツの言う通り、教皇の秘蔵っ子とやらを上手く操れればできればキャロラインを追い込めたはずだが、所詮はこの程度か…… 上手くやれば貴様を新たな婚約者に据えてやってもよかったのになあ、残念な女だ」


 カトリーヌは朦朧した頭で考えが纏まらないながらも「いえ、それは激しくお断りします。私は神の下僕ですから……」とだけ率直に答えている。

 

 会場の参加者たちは『深層意識レベルで嫌われてるなあ』とヴェルドを嘲笑っていた。

 

 しかし、キャロラインだけはヴェルドの「アイツ」という言葉を聞き逃さなかった。

 

(王子の裏に誰か手を引いている者がいる? その人物と結託して私をハメようとした? それに…… 彼女の様子がおかしい。まるで洗脳されているような……)




 その時、会場全体に一人の女性の声が響き渡った。

 

 

 

「全く…… 勇者を支えるべき聖女が操られて敵に回ってどうするのですか。もう少し静観するつもりでしたが、イラっと来たので即参上!」




 

 聞こえて来た声と同時に会場内に一筋の落雷が落ちた。

 

 落雷の近くに居たキャロラインはその衝撃により、吹き飛ばされてしまった。

 

「ですわあああああああああああああああああああああ」


 キャロラインは落雷の勢いでゴロゴロと後方に転がりながら柱を貫通して壁に激突してしまった。

 

「いたたたた、セルフ地獄車とかなんの冗談ですの……」


 妙に会場内がざわついている。一体何が起きたのか皆目見当がつかないキャロラインだったが、頭と背中を散々打ち付けてそれどころではなかった。

 

 キャロラインは立ち上がり痛めつけた頭と背中を擦りながら背中に刺さっていた柱の欠片を抜いて、服についた埃を払っていた。

 

「……ライン」


「ん? 今誰か何か言いましたか?」

 

 今誰かが自分を呼んだような気がしたと思ったが、気のせいかと思ったがざわついている皆の表情は同じ場所を向いており、そこは落雷の落ちた場所でもあった。

 

「キャロライン、こちらです。こちらを向きなさい」

 

 女性の声――周囲がざわつているにも関わらず妙に通りの良い聞いたこともない女性の声からなぜ自分の名前が突然呼ばれたのか分からず「へっ?」とマヌケな声をついつい上げてしまった。

 

 声の方向を向いてみると、落雷のあった場所に一人の女性が立っていた。

 

 女性はどことなく女神ヴィルヴィアの像に似ている気がした。

 

 女性がキャロラインの名前を呼んだことで、キャロラインと女性の間に群がっていた人達は一斉に二人の間を開けて道を作っていた。

 

 キャロラインは女性の元へ近づくと、女性はキャロラインを慈しむかの様な微笑みを見せている。

 

「キャロライン、あなたは自分の信念に従い己の行いを恥じる事無く、理不尽に対して真っ向から立ち向かっていきました。その強い心を持つあなたこそ『勇者』であると言えましょう」


 キャロラインは女性の言っていることが理解できずに眉間に皺を寄せて『突然現れて何言ってんですの? この人頭大丈夫ですの?』という表情をしている。

 

「キャロライン、淑女が眉間に皺を作るものではありません。あと、私の頭は大丈夫ですよ」


 この女性は心の内を読めるのかと悟ったキャロラインは汗をダラダラ流しながら目を泳がせていた。

 

 完璧令嬢だと思われていたキャロラインはポーカーフェイスがド下手くそなのである。

 

 今は先ほどの空耳かもしれない単語について確認する必要があると考えたキャロラインは女性に質問をぶつける。

 

「聞き間違いかもしれませんので確認させて頂けますか? 私が『勇者』と聞こえたのですが……」


「いえ、間違いではありませんよ。キャロライン・ヴィルボード、あなたこそがこの世界の真の勇者なのです」


 キャロラインは絶句していた。おとぎ話などでよくある設定では勇者は男性で聖女は女性であり、キャロラインが憧れていたものは勇者パーティの一翼を担う聖女だったのだ。

 

 世界の危機に出現されると言われる聖女に任命されれば王妃候補からは除外されるという法があり、”疚しい事が無く”婚約破棄を真正面から行える…… つまり、キャロラインは本心ではこの馬鹿王子にとっくに愛想をつかしていたのだ。

 

 いくら小さい頃から次期王妃を期待されていたとはいえ、相手がこれでは残りの人生もロクな事にならない。流石のキャロラインも今後の数十年先の事を考えると頭を痛めていた。

 

 なので、この状況は渡りに船ではあるのだが…… 実態は一翼を担うどころか最早本体と言っても過言ではないポジションになってしまった。

 

 そしてキャロラインには心当たりがあった。

 

 小さい頃から途轍もない人間離れをした魔力と膂力を持っていたことに…… 幼少期の頃に自分の数十倍の大きさはあろう大岩を素手で破壊したこともある。

 

 だが、キャロラインは既に王太子殿下の婚約者であったため、淑女たるもの、次期王妃たるものにこの様な力は不要として自らに頑丈な封印をしていたのだ。

 

 それでも同年代ではぶっちぎりの能力を保有しているが……。

 

 しかし、キャロラインは考える。膂力と魔力があれば勇者ってちょっと安易すぎない? ……と

 

「あの…… 私は人より魔力と膂力に優れているかもしれませんが、ただそれだけですので勇者とされるのは無理があるのではないかと」


「あー、世の中そんなものですからね! 気にしたら負けですよ」


(普段、世の中にいない人に世の中を語られるとか違和感しかないのですけど…… 私だけ?)


「それに貴方の場合、優れているとかいうレベルではありません。一言で言うなら人から生まれただけの神が裸足で逃げ出す自然災害とでもいいましょうか……」


(全く擁護になってない……。それにその例えだとまるで私が神より強いという事になってしまいますが……)

 

 『勇者現る所に聖女あり』という言い伝えもあり、勇者がここに居るなら聖女もいるはずだと確信していたキャロラインは聖女の居場所をキョロキョロと確認する。

 

「えっと…… 勇者として任命されたという事はこの場に聖女となる方がいらっしゃるはずですよね? 聖女はどなたになりますの?」


 その質問に女性はわざとらしいクソでか溜息を尽きながらチラリとカトリーヌの方を見ていた。

 

「物事の是非すら己でまともに判断できず、そこのボンクラクソ男の罠に嵌ってしまい、挙句の果てに洗脳まで受ける様な愚物など本来であれば聖女どころか聖職者になる事すら烏滸がましいのですが、神聖力に関して言えば随一と言っていいでしょう。キャロライン、ここは私に免じて彼女を聖女(見習い)…… いえ、聖女もどき(一生見習い)としてお供として加えて頂けませんか?」


 散々な言われようのカトリーヌは女性の登場により、頭に掛かっていた靄が一瞬で霧散され正気を取り戻した。それによって女性の正体を把握した様で顔面を真っ青にしてガタガタと全身を震わせている。

 

 しかも聖女もどき? 一生見習い?って…… これってむしろ聖女にならない方がまだマシなのでは?まである。

 

 女性の元に赴こうと震わせた身体を一生懸命に杖をつきながら向かうさまは、まるで老婆の様である。階段から降りる際も一歩一歩必死に降りようとするが、杖を滑らせてしまい一気に落下する。

 

 その様相はあまりにも滑稽なのだが、笑うを通り越して哀れになってしまい誰も声を掛ける事ができなくなってしまった。

 

 カトリーヌは落ちた衝撃で腰を痛めたのか立ち上がる事も出来ずに匍匐前進の様な動きで女性の前まで進んできた。

 

 某黒い虫の様な動きで、流血したその姿はちょっとしたホラーの様で見ているキャロラインがビビるほどである。

 

「た、た、た、大変申し訳ございません、女神ヴィルヴィア様…… わ、私は大勢の皆様がそう申されておりましたので、てっきりそうなのかなーって思ってしまいました。しっかりと裏付けをするべきであったと反省しております。ど、どうかお許しを……」


「「そうなのかなーって」ノリが軽すぎて反省の色がかけらも見当たらないのですが…… それに私に謝ってどうするのです? あなたが粗相を仕出かした相手は世界を…… 大事な事なので、もう一度言いますね、”世界を救える希望”の勇者なのですよ。貴方はその勇者を敵に回すところだったんですよ? どうするつもりですか? 聖女が勇者を敵に回すなんて前代未聞…… 未来永劫の恥さらしとして歴史に名を残す事になりますけど?」


 カトリーヌは縋るような表情でキャロラインの近くまでにじり寄ってくる。

 

 目の前まで来たと思ったら突然頭を地に何度もガンガン打ち付けて謝罪を始めた。

 

 打ち付けた場所はカトリーヌの出血により血だまりが出来上がっていた。

 

(なんというバイオレンスな謝罪方法…… 見ているこちらの額が痛くなってきますわ)


「キャロライン様、取り返しのつかない失態を犯してしまった事は重々承知しておりますが…… どうか、どうかこの蛆虫に一度だけお慈悲を頂けないでしょうか。もしもお望みでしたら靴のみならず、足の指の間まできっちり綺麗に舐めさせていただきます」


 もはや自分を蛆虫呼ばわりし、自ら奴隷の如き対応を求め始めるカトリーヌに対して苦笑いしかできないキャロラインは哀れなカトリーヌをこれ以上責める事はできなかった。


「貴方、唐突な卑屈っぷりは何なんですの? でも分かって頂ければそれで構いませんので頭をあげて頂けませんか? というか頭を打ち過ぎて血が出てますわよ。可愛らしいお顔をしていらっしゃるのですから顔面血塗れでは勿体ありませんわ」


 キャロラインはハンカチを取り出してカトリーヌの頭から拭き取ると、カトリーヌは目に大粒の涙を浮かべていた。

 

「何故その様なお優しい言葉を頂けるのでしょうか? 罵詈雑言も唾を顔面に吐きかけられるのも覚悟の上でしたのに……」


 キャロラインは微笑みながらカトリーヌの涙を拭っている。

 

「怒りに怒りを、憎しみに憎しみをぶつけてもそれは永遠に終わる事のない負のループ。それはとても悲しい事だと思いませんか? それに私は知りたいのです。貴方が何を見て、聞いて、感じて何を想ったのか――私達に必要なのは罪の着せ合いではなく対話なのです。貴方の事を私にもっと教えてください、そして貴方にも私の事をもっと知って欲しい…… お互いを知る事が出来れば、不要な諍いなど起こさずとも解決策を見つける事が出来ると思いませんか? あと、令嬢たるもの人様に向かって唾を吐きかけたりはしませんから!」

 

 カトリーヌは憑き物が落ちたかの様な凛々しい顔つきになり、改めてキャロラインに跪く。まるでその様相は騎士のそれであった。

 


「勇者キャロライン様…… この聖女(一生見習い)カトリーヌ、貴方様の剣となり盾となりて永久とこしえの忠誠を誓うことをお許しください。キャロライン様でしたらいつでも唾を掻きかけて下さって結構ですので……」


 

 二人のやり取りはまるで物語に出て来る騎士と姫の様で、周りの人達だけでなく女神ヴィルヴィアもその様子を見守っていたが、カトリーヌのやたら唾を吐きかけられる事を拘っている件について、もしや変態趣味を持っているのではと内心不安を覚えていた。


 

「フフ、キャロラインと回復道具(カトリーヌ)との蟠りもこれで溶けたようですね。では、改めてキャロラインに問います。貴方にはこの世界がどう見えていますか?」


 周囲の人達は「今しれっとトンデモナイ発言かましてるな、この女神」と思っている。

 

 本当は全員でツッコミたいだけど、場の空気はそうではないと思い口にしないだけ。

 

 過ちを認めたとはいえ、女神はカトリーヌがキャロラインに行った仕打ちを忘れていない。

 

 当面の間はカトリーヌは罵倒され続けるんだろうなあと憐みと同情の目で見られていた。

 

 キャロラインも気付いてはいるが、そっちに触れたらカトリーヌの扱いがもっと酷くなりそうな気がしてきたのでスルーして質問にだけ答える事にした。


「どうって…… 平和…… なのではないでしょうか?」


「ふむ、貴方の目にはこの世界はその様に映っているという訳ですか……」


「世界と言いますか、私が見ている範囲は自分の領内と学園周辺…… つまりは王都くらいしか見ていませんから、その範囲でしかお答えが出来ないのですが、そういう意味ではなさそうですね……」


「私がここに降臨した事…… そして勇者と聖女が揃ったことを考えれば察しは付くと思いますよ」


 女神が降臨し、勇者と聖女が邂逅する時は世界に危機が訪れた時と言われている。

 

 


「それは…… つまり世界に…… 良からぬことが起きる…… そう言う事でしょうか」


 その回答を待ってましたと言わんばかりにヴィルヴィアはニンマリしている。

 

 

 

「ファイナルアンサー?」




 ヴィルヴィアは表情からして「ククク、言ってやったわ」と言う表情でとても満足げだ。


 会場の全員が『うざっ、それが言いたかっただけだろ』と思っている中、キャロラインもついつい「ウザッ」と漏らしてしまった。

 

 キャロラインはハッとして慌てて口を塞ぐものの、それを聞いたヴィルヴィアは肩を落とし、眉をへの字に曲げて悲しそうにしているが、女神のメンタルはそんな事で参ったりはしない。

 

 悲しみを堪えつつ、気を取り直して「コホンっ」と喉を整えてやり直しを図った。


「それは実際に外に出て、世界の様子をその目で見て、現地の人達を見て、言葉を聞いて、考えるのです。そして私に見せてください。貴方の――勇者の選択した世界の結末を」

 

 キャロラインは考える。この言い様だと全部を答える気は無さそうだと思って聞くことをやめた。

 

 女神様の言う様に旅に出て自分の目で見てみないとこの先は判断できないと考えているからだ。キャロラインとカトリーヌは二人顔を合わせて無言で頷き合っていた。わざわざ口にしなくともお互いこれからやるべき事を理解していたからだ。

 

 そして周囲の連中も『この流れは二人の旅立ちか』と思っていた事だろう。

 

 

 

 が、しかしここに空気の読めない人間が一人いた。

 

 

 

「待て待て待て待て待てーい。何を勝手に話を進めているんだ」


 叫びながら階段から降りて来たのは、王太子ヴェイン。キャロラインが気に入らないのか、キャロラインに下ったカトリーヌが気に入らないのか忌々し気な目つきで二人を見ている。

 

「勝手にとは何でしょうか? 今の話の流れに王太子殿下の許可が必要な内容などありましたでしょうか? 特にお話しする事もないかと思います。何しろ、婚約破棄を受けた身ですから」

 

「何を勝手に勇者を名乗っているのかと聞いている! 勇者に相応しいのはこの私だろうが!」

 

 周囲の連中も流石に『この人、この状況で何言ってるんだ? 空気くらい読んだら?』と同様の見解を持っているが、王太子にはそんなものお構いなしである。

 

 そこに立ちはだかるのは勇者の回復道具――いや、忠誠を誓ったカトリーヌ。

 

「『勝手』とはどういう意味でしょうか? 女神ヴィルヴィア様がお認めになった”真”の勇者であるキャロライン様を差し置いて誰が勇者に相応しいと仰っているのですか? 身の程を弁えてはいかがですか?」


 カトリーヌは元々教会の人間――すなわち神の下僕であり、王家に無条件で従う訳ではない。

 

 あの時はキャロラインが罪を犯していたと判断したから教会の人間として協力するために王太子の傍にいただけであり、その事実が覆った今は王太子の傍にいる必要等ないと判断しただけなのだ。

 

「ふんっ、所詮は薄汚い孤児院育ちの犬畜生にも劣る下賤の排泄物以下のケダモノ。やはり王族には相応しくない」


 周囲の誰もが思った。『王太子殿下の手のひら返しが早すぎると。ついさっきまでカトリーヌを婚約者にするという話はなんだったのか?』


 その発言に対して顔面にビキビキと青筋を立てていた人物がいた。そう…… カトリーヌである。

 

 自分の生まれ育った場所を貶された上に孤児院育ちというくくりをする時点で共に育った家族達まで含めて侮辱されてしまったのだ。

 

 頭に来ていたカトリーヌは相手が王族だろうと関係なく一発ぶん殴ってやろうと王太子に向かおうとするが、キャロラインに肩を掴まれて止められてしまったのだ。

 

 そしてカトリーヌの代わりに王太子の前に立ちはだかるキャロライン。その表情は怒気に満ちていた。


「今の発言は取り消してください。孤児院出身だろうと、貴族出身だろうとこの国の民である事に変わりはありません」


 カトリーヌの発言を嘲笑うかの様な王太子…… こんなクズな性格をしているが、国王の息子で次代の国王予定の王太子ヴェルドはこの様に言い放ったのだ。

 

「はんっ! 残飯を漁って食ってはしゃいでいる様なゴキブリ以下の存在である孤児院の連中などに人権はない。そんな奴らは民ではなく、虫と同列に扱うべきだ」


 カトリーヌの堪忍袋の緒が切れる…… 実際は切れてヴェルドに殴りかかろうとした時、両者の間に腕を差し込み割り込んできたのは勇者キャロライン。

 

「残念ですわ…… ヴェルド様。昔の貴方は、多少人を見下すところはあれども人を虫として扱うような方ではなかったはずです。貴方の様なケダモノが作り上げる国などこちらから願い下げです。婚約破棄でも追放でもお好きなようにすればよろしい」


「貴様には婚約破棄も追放も生温い…… 今日で貴様の人生は終わりだ。衛兵共、キャロラインと汚物(カトリーヌ)を捕らえろ」

 

 しかし、衛兵たちは戸惑っている。

 

 それもそのはず、彼らは法を犯した者達を捕縛するためにいるのだが…… この話の流れではどう考えてもヴェルドに正義はない。

 

 と言うかむしろ王族だからと言って法をガン無視してキャロラインを貶めようとしたヴェルドが捕らわれても仕方ないのでは? と思っているので、躊躇せざるを得なかった。


 この国の法は王族を守る為にあるものではなく、秩序を保つために存在する。故にヴェルドに無条件で味方をする事は無い。

 

 ついでに汚物って誰の事を指しているのか分からずにさらに戸惑っ…… むしろ混乱している。

 

「もういい…… 貴様らには頼らぬ。しかし、こんなこともあろうかと準備しておいて正解だったわ」


 会場の参加者は『こんな事もあろうかと思っていたんだ…… 馬鹿なのか用意周到なのか分からない』と思っていた。

 

 ヴェルドが指笛を鳴らすと会場の中にずかずかと入りこんできた集団が現れた。

 

 総勢50人ほどの集団で、出で立ちから察するとどう見ても貴族ではなく傭兵の類だろう。

 

 先頭に立っている男はどうやらリーダー格の様で見た目は筋骨隆々で身体のいたる箇所に古傷の様な跡が見られることからかなりの荒事を得意とするのだろう。

 

「王子様よぉ、ターゲットはどいつよ」


 ヴェルドは忌々しい顔つきでキャロラインを指さして答えた。

 

「そこにいる銀髪の女だ。好きにして構わぬ」


 リーダーはキャロラインを見るなり、舌なめずりをしながら頭から足先までじっくりと観察していた。

 

「こりゃあ、いい女だぜ。黙って言う事を聞けば肉便器で許してやるが、口答えする様なら四肢を切り落として孕み袋にしてやるが、どちらがいいか聞くまでもないよなぁ?」


 


「見た目はオーガで言動はゴブリンとか…… これほどまでに醜悪な組み合わせのキメラが相手とかやれやれですわね」

 

 キャロラインが心底ガッカリして、クソでかため息をしながらやれやれポーズをわざとらしく行っているとその姿に苛立ったのか、背中にしょっていた本人の倍はあろうかという程に巨大な斧を手に取り始めた

 

「どうやら四肢を切り落とされるのがお好みらしいな…… 吐いた唾吞まんとけや、小娘」


 男の脅し口調にキャロラインは一瞬キョトンとした表情を浮かべた直後、キャロラインは右手に持っていた扇子で口元を隠して笑っていた。


「フフッ、もしかして今の脅しのおつもりですの? 全くなっていませんわ…… 何故なら貴方には…… 足りません。凄みも…… 力も……」

 

 男は裏社会で今までどんな相手にも怯まない。むしろ、歯向かう相手は徹底的に追い詰める。身も心も……。

 

 そして敵としてきた連中を幾度となく怯えさせてきた。にもかかわらず、今目の前にしている貴族令嬢は笑っている。

 

 女性に舐められたのは生まれて初めてで、最早目の前にいるのが公爵令嬢だろうが王族だろうが関係ない。

 

 裏社会の人間は敵と決めたら徹底的に叩き潰すのが信条。

 

 泣いても喚いても許さない、例え大勢の前で靴を舐めようが、人間の尊厳を極限まで貶めようとしても……。

 

 そんな絶対キャロライン泣いても許さないマンは巨大な斧を軽々と振り上げて、キャロラインの左肩に向かって振り下ろす…………

 

 

 しかし……

 

 

 斧はキャロラインの肩に振り下ろされる事はなかった。

 

 キャロラインは左手の人差し指と中指の二本で挟むように斧を掴んでいた。

 

 男は必死で掴まれた斧を引き剥がそうにも全く剥がれない。

 

 力を入れ過ぎて全身が茹蛸の様に赤くなり、全身を震わせても全く微動だにしない。


 一方でキャロラインは無言で虫を見るような目で男の挙動をじっくり観察していた。

 

 男は斧から手を離して、疲れている様子で息切れして膝に手を付いていた。

 

 キャロラインは二本の指でつまんでいる斧を男の足元に指先だけで投げつけると斧は大理石に半分ほどめり込んでおり、その勢いに驚いたのか、尻もちをついていた。

 

 満面の笑みでキャロラインは「その斧はお返ししますね」と言いのけた表情に男は恐怖した。

 

 裏社会の申し子ともいえる男に初めて生まれた感情だった。顔面は青ざめて全身に痙攣を起こして泡を吹いて気絶してしまった。

 

 その様子を見た王子は予想通りと言わんばかりに特に驚いた表情もせずに一人の衛兵を呼びつけた。

 

「全く…… 貴様の用意した賊も大したことはないな。」


「あんなんでも本当は結構裏社会では名の知れた賊なんですよね。まあ、相手が悪かったという事ですね」


 王子に呼び出されたのは衛兵は今年は言ったばかりの新人だった。

 

 その新人が平然と王子と馴れ馴れしく会話をしている光景に他の衛兵達も唖然としていた。

 

 その中で先輩と思しき人物が新人に近寄って説教を始めた。

 

「お前、殿下に向かって何という口の利き方をしてるんだ」


 新人はニヤつきながら王子に対して先輩衛兵の苦言に対して意見を求めていた。

 

「だそうですよ、王太子殿下」


「構わん。そいつは特別だ」


「ですが……」


「二度は言わんぞ」


 王子が認めている以上、とやかく言うと自分が処罰されかねない。先輩衛兵は肩を落としてすごすごと他の衛兵がいる場所に戻っていった。

 

 王子の近くに居る新人衛兵をずっと目で追っていた人物がいた。

 

 一生見習い回復道具…… もとい聖女のカトリーヌである。カトリーヌは衛兵に最初から違和感を感じていたが、あくまで感じた程度でもしかしたら自分の勘違いかも知れないという事で口にはしなかった。

 

 しかし、その違和感が間違いでなかったと確信出来る程にどんどん強くなり、次第に重苦しい重圧まで感じ始めていた。

 

「キャロライン様、あの王子の隣にいる衛兵の方…… 何か様子がおかしいです。普通の人間とは雰囲気が違う…… 禍々しい力を感じます」


 流石のキャロラインもカトリーヌ程、相手の機微に敏感ではないが、カトリーヌが尋常でない汗を掻いているのを見て目の前にいる新人衛兵がただ者でない事を悟った。

 

「カトリーヌ、あの者の正体を暴けたりできますか?」


「私にお任せください、元・聖女の名に懸けてキャロライン様のご期待に応えて見せましょう」


 ”元”とつけて一生見習いと口にしない辺りがカトリーヌに残った最後のプライドの様なものなのだが、誰もそんな事気にしていない。

 

 『結局の所、一生見習いなのはもう変わらないでしょう』が全員一致の見解なのだから……。


 そんなミソカスプライド所持者のカトリーヌは指で円を作り、目から覗き込む様な仕草で何やら詠唱していた。

 

真実の目聖女は見た!


 すると、王子の傍にいた新人衛兵は鎧姿の青年から執事服を着用した青年に変わっていた。

 

 青年は自分の姿が元に戻るやいなや自身の全身を確認して元の姿に戻っている事に驚き、改めてカトリーヌが只のポンコツキャラではない事、女神から『神聖力は随一』と言わしめた事は伊達ではない事を改めて理解した。

 

「カトリーヌ嬢もたいしたものですね。やはり聖女と言われただけの事はあります、ねっ、王子」


「ふん、使えると思ったから手元に置こうとしたのだが、キャロライン如きに忠誠を誓う犬になり下がった…… 所詮は野良犬…… その時点で我らの敵だ」


「本当に王子様はキャロライン嬢がお嫌いなんですねえ」


「好きだの嫌いだのそんな次元ではない。それはアイツも同じだ……」


「アイツ?」


 王子はざわついているモブ共…… もとい、参加者の中から一人に自分の元に来るように促していた。

 

 周りが『誰だ、誰だ』とざわつく中、そんなことお構いなしに王子の元へ歩く一人の令嬢がいた。

 

 ゆっくりと王子の元に歩くその姿はまさにザ・貴族令嬢と言わんばかりに華やかな出で立ちで周りの視線を釘付けにしていた。

 

 そのご令嬢はにこやかに微笑みながら周りの視線にもしっかりと答えていたが、唯一キャロラインにだけは視線を合わせる事はなかった。

 

 

 

 その令嬢をを見たカトリーヌは「あぁっ!」と何かを思い出したかのように大声を上げてキャロラインに告げた。

 

「あ、あの人です。キャロライン様に嫌がらせをされたと私に告げたご令嬢です」

 


「アリシア……」



「キャロライン様のお知り合いの方なのですか?」


「アリシア・キャンドライト…… キャンドライト侯爵家の一人娘であり、彼女は私の従妹なのです」


「えぇっ!? なんで従妹がキャロライン様に対してあんなことを……」


「それは本人に聞くしかありませんわね」


 キャロラインはアリシアに向かって話しかけようとすると王子の隣で身体を預けているアリシアから話しかけられた。

 

「ねぇ、キャロライン…… 私とヴェルド様はこういう関係なの。貴方が婚約破棄を受ける前からね……」


 唐突に勝ち誇った表情をキャロラインに向けるアリシア。しかし、キャロラインとしては『今の話の流れを聞いていなかったんですの?相変わらず空気読めない子ですわね』と呆れた表情で対応する。


「はぁ…… もしかして側室にでもなりたかったのですの? まあ、私はもう関係ないので正室になるなりお好きになさったらよろしいかと……」


 嫌味のつもりで言ったはずが、キャロラインにはノーダメージである事がわかったアリシアは声を荒げ始めた。


「アンタのそういう所、ほんっとうに昔っから大っ嫌いなのよね。アンタ…… ヴェルド様を取られて悔しくないの?」


「私とヴェルド様に課せられた義務であり、そこに恋愛感情は存在しません。小説の様な脳みそお花畑一杯の甘酸っぱい恋愛をしたいのならばどうぞご自由に」


 キャロラインはアリシアに呆れているのか、眉をひそめながらやれやれポーズを無意識的に行うと、その姿を見たアリシアが怒り心頭で地団駄を踏みながらジェニスに命令していた。


「本当に腹立たしい女…… ジェニス、あの女をこの場で八つ裂きにして」


「王子、よろしいので?」


「構わん、好きにしろ」


 先程まで新人衛兵の恰好をしていて、現在は執事服にチェンジしたジェニスと呼ばれた男は相も変わらず飄々としてキャロラインに近づいてくる。

 

 つい先程まで素手だと思っていたその手には一本のナイフが握られていた。

 

「すみません、私もこんな所で流血沙汰は避けたかったのですが…… 雇い主が言うのであれば仕方ありませんね」


 ジェニスは手に持っていたナイフを左右にパスをしながら、ナイフを隠したりなど手品のような芸当を見せながらゆっくりとキャロラインに近づいてくる。

 

 次の瞬間、ジェニスは既にキャロラインの目の前まで迫っており、手を伸ばせばキャロラインの首筋にでも届きそうな距離……。

 

 ナイフを持った相手が徐々に近づいてくる。これだけでも相当な恐怖であるはずだが、キャロラインは無表情で冷静にジェニスの動きを観察していた。

 

 

 

 その首に向かってナイフが突きつけられる瞬間、一つの影がキャロラインとジェニスの間に割り込んできた。

 

 

 

 その入ってきた影がかざした盾によってナイフは弾かれてジェニスは一旦距離を取る。


「残念だったね、ボクがいる限りキャロラインに手を出すのは無理だと思いたまえよ、キミ」


 そこに現れたのは、重鎧を身に纏い、身長の半分ほどもある大楯を腕に装着した騎士の出で立ちをした少女がいた。

 

「セレスト? 貴女、どうしてここに……」




「…………クビになった」




「クビ? 神殿騎士団を? 貴方、受かった時にあれだけ「もう野宿せずに済むんだ」と、喜んでいたのに今度は何をやらかしたんですの?」


 


「お世話になっている先輩がね、「俺には好きな女性がいる」って言うから間を取り持ってあげようと相手の名前を聞き出して、その女性に直接会いに行って好きな人を聞いたら全くの違う人でさぁ…… 更にその女性の好きな人って言うのが…… なんと既婚者だったんだよねえ…… ククッ、この複雑な人間関係のカオスっぷりがまた堪らなくテンション爆上げしちゃってさあ…… まずは女性と既婚者の男性を逢引する段取りを調整した後に宿場町で既婚者の奥さんと女性を狙っていた先輩を鉢合わせるように仕向けたワケさ。そしたらトンデモナイ修羅場に発展してさあ…… ククク…… フヒヒヒヒヒ…… アハハハアハアハ、今でも思い出すだけで興奮してきちゃうよね…… そしたら先輩がショックを受けたのか出勤しなくなっちゃった上に既婚者夫婦は当然離婚で旦那はトンデモナイ額の賠償請求を受けて、女性の方は何故か当日に実家バレして追い出された上に自殺未遂、それらの理由を探った団長はボクを一連の事件の首謀者って事にされちゃってさ、クビになったってわけ」


 悲しそうな表情から一転、セレストは当時の事を思い出しているのか恍惚とした表情で腰をくねらせながら舌なめずりをして自分の世界に入りかけていた。


「……擁護出来ない程のクズっぷりは相変わらずですわね…… 「されちゃってさ」じゃないですわよ、実際に首謀者なんですわよね…… 貴女は同じ様な事をお世話になっている侯爵家のご当主の女性関係を暴露した結果、伯爵家を追い出されたのにも関わらず、ようやく拾ってもらった先でこれまた騒ぎばっかり起こして…… だから『邪悪な聖騎士』なんて不名誉な呼び名をされますのよ。それで、クビになって暇だからここに来たんですの?」


 キャロラインは幼馴染である元・伯爵令嬢セレストの過去を振り返りながら、全く懲りていないセレストに頭を抱えているが、それを見たセレストはケラケラ笑っている。


「いや、ボク達をここに連れて来たのは、後ろにいるあの御方さ」


「ん? ボク…… ?」


 その直後、キャロラインの真後ろからボソボソと声が聞こえて来た。

 

 

 

《マサオは誰もいない教室にサダキチを呼び出して突然腕を掴んだと思いきや、壁ドンするとマサオはサダキチの首筋に舌を這わせて息を荒げている。突然の出来事にサダキチは驚きながらもマサオの荒い息遣いと舌遣いをによって下腹部に感じるものが――》




「うっ…… この魔法詠唱と思いたくない文言を口にする…… 思い当たる人物は一人しかいませんの……」




地獄名物針山にデス一名様ご案内~♪ニードル


 キャロラインの背後の地面から射出される何十もの鋭い針がジェニスに襲い掛かる。

 

 その針はジェニスを貫いたかと思いきや、貫かれたはずのジェニスの姿がふっと消えていた。

 

 すると、ジェニスは何時の間にか王子の真横に戻っており、笑顔で答えた。

 

「残念ですが、それは残像です」


 距離を取った事を確認すると、キャロラインの真後ろに居た魔法を唱えた人物は後ろからキャロラインにしがみつき顔だけひょこっと出していた。

 

 顔を出した少女はの身長はキャロラインの半分に満たない程で、大きな魔女帽を被っており、顔を見上げてキャロラインの様子を伺っていた。

 

「…………キャロライン …………無事?」


「大丈夫ですわ、アルベルティーヌ。まさか、貴方までここに来るとは思いませんでしたけど…… 貴方もセレストの言う御方に連れられてここに来たんですの?」


「…………うん」

 

 二人がやって来た方向から一人の女性の声が聞こえてくる。

 

 上品な足取りでゆっくりとキャロラインに近づいてくる。

 

「キャロライン、また貴方に迷惑を掛けてしまいましたね。本当にごめんなさいね」


 聞き覚えのある声にハッとする。あの御方がここに? いや、そんなはずはない……。

 

 キャロラインが加勢に入った二人のセリフを思い出す。

 

 『あの御方』

 

 元・伯爵令嬢のセレストと侯爵令嬢のアルベルティーヌがあの御方とまで言わせる人物。

 

 声の方を振り向き、一人の女性を視界に入れるとキャロラインの予感は当たった。

 

「この度は私の力不足によりこの様な結果を招いてしまい申し訳ございません、王妃様」


「いいえ、貴方はよく尽くしてくれました。なのに…… その献身を無に帰するどころか、仇で返すだなんて覚悟は出来ていますね、ヴェルド」


「ええ、母上。覚悟もなしにこの様な行動には出ません…… どうぞ、お好きになさってください」


「貴方は本日付けで廃嫡とし、国から追放処分とします。尚、本件について陛下は既に存じ上げており、名代として私をここに遣わしたのです。私の言葉は陛下の言葉であると思いなさい」


「五月蠅いおばさんですねえ、黙らせちゃいましょうね」


 

 

 ジェニスがターゲットをキャロラインから王妃に変えると、キャロラインが両者の間に割って入る。

 

 王妃に対して殺気を向けたジェニスをキャロラインは許しはしない。

 

「この力を使うつもりはありませんでしたが、仕方ありませんわね」


 キャロラインがかつて王子の婚約者になった際に封印した力…… 過ぎたる力は身だけではなく心まで蝕んでしまうかもしれない。

 

 故に己への枷として嵌めていたのだが、第二の母とも呼べる人に殺気を向けられては流石に黙ってはいられない。

 

 例え、この力を見られて周囲にバケモノと罵られようとしても――

 

 

封印解除アーカイブ――開始解凍処理


《import zipfile

 path = "./caroline"

 passwd = "I wont stop hitting you until you cry"

 with zipfile.ZipFile("sealed.zip", "r")as zf:

  try:

   zf.extractall(path=path, pwd=passwd.encode("utf-8"))

  except RuntimeError as e:

   print(e)》



 この世の言葉とは思えない謎の詠唱を唱え終わったキャロラインは青白いオーラの様な膜に包まれ、強烈な威圧感を感じ、周りにいる生徒たちは最早立っている事さえ出来ずに地面にへたり込んでしまった。


 その姿から隠す必要のない程の力を感じたジェニスは半ば呆れた様な表情で王子に提案していた。

 

「これは流石に無理ですよ。瞬殺されちゃいます…… ここではね・・・・・。ですから、一旦戦略的撤退をしましょう」


「いいだろう。アリシアもそれでいいな」


「はい、どこまでもお供しますわ」



「ヴェルド!」



「申し訳ありません、母上…… 私は例え王族から廃嫡されたとしてもキャロラインと対峙する事を決めたのです。そうでなければ……」


「一体何が貴方をそこまで駆り立てるのですか?」


 その問いにヴェルドは答えない。ただ一点、無表情でキャロラインを見つめている。


 キャロラインはその視線に気付きながらも、謎の存在であるジェニスを問いただす。


「ジェニスと言いましたね…… 貴方は一体何者なのですか?」


「私ですか? 私は…… とある御方に仕える…… そうですね、いせか…… いえ、貴方達にとっては…… そうですね、悪魔とでもお呼びください」


「……悪魔」


 その言葉にアルベルティーヌが目を輝かせ、鼻息を荒くしながら反応した。

 

「おぉ…… 昨日私が寝る前に読み込んでいた小説は王子が迷い込んだスラムのイケメンに唆されてベッドに押し倒された結果、朝チュンするという悪魔的な内容だった。おかげでとても寝不足…… これは間違いなく悪魔のせい……」


「悪魔の意味が違いますわよ、アルベルティーヌ…… 百歩譲って『悪魔』という存在が本当に実在していたは良いとして、『とある御方』とはそこにいる元・王子とは別という事ですわよね?」

 

「ええ、彼は協力関係にはありますが主従関係にはありません。それでは私達はそろそろ行きますね」


「ヴェルド様、アリシア!」


「キャロライン…… 次に会う時が貴様の最後だ」

 

 アリシアは特にキャロラインに話しかける事は無く、「フンッ」と目を合わせるもの嫌なのか、顔を背けてしまった。


 ジェニスは詠唱を唱えると、三人を囲むように魔法陣が展開され、直後に消えてしまった。どうやら転送用の魔法陣だったようだ。

 

「悪魔…… か」

 

 悪魔とは魔族と契約した精霊と言われているが、その存在は本の中でしか見た事は無かったため、おとぎ話の様な存在だと思っていた。

 

 そしてそれは契約者とされる魔族も同様だった。この大陸には人間と天敵である魔物は存在するものの、人間以外の知的生命体は存在しない。

 

(だからフィクションの存在だと思っていたのに…… 彼が本当に悪魔だとするなら魔族も存在する? なら彼の言う『あの御方』とは魔族の事なのかしら……?)


 ヴェルド、アリシア、ジェニスが消えて周囲は静まり返った空気だったが、流れを変えようと思ったのか、それをぶった切って来たのは空気読まない女こと、女神ヴィルヴィアだった


「ちょうどいい区切りだったわね」


 キャロラインはヴィルヴィアの存在が頭から完全に抜けており、「そういえばこの人いたんでしたわ」という程度のノリで思い出し彼女の方に振り返ると……

 

 なぜその場にあるのか不明だが、そこにあるのが不自然ともいえるソファに寝そべりながらぼりぼりとスナック菓子を食べていた。

 

「何でこんな場所でくつろいでますの? ああっ! お行儀の悪い体勢で食べてるからボロボロ溢してますわよ、ちゃんと起き上がってくださいまし」


「いや、だって私の出番無さそうだったし……」


「寝そべってお菓子を食べて良い理由に全くなっていないのですが…… ていうかソファなんてどこから取り出したのですか、神の力を無駄に発揮しないでいただけます?」


「うーん、お母さんかな?」


 キャロラインに母性を感じながら、指先についたスナック菓子のパウダーをちゅぱちゅぱと舐めながら、先程の展開を振り返る。

 

 一方でキャロラインはヴィルヴィアをジト目で見ながら、『最初に現れた時の威厳がとっくにマイナスに振り切ってますわ』と舐めた指をこっそりと服で拭いている所を見逃さなかった。

 

「あぁ! 全く…… 大きい子供ですわね…… ハンカチくらい持ち歩いてください」


「ハンカチってさあ、手を洗った後に持っていた事を忘れて服で拭いちゃわない?」


 とかいいつつ、既に自分の服で汚れを拭いていた。その光景を見たキャロラインはドン引きしていた。


「汚いですわね…… これが女神様の本性とか信仰者激減まったなしですわね」


「えー、それはちょっと困っちゃうな…… あっ、そうだ! ここにいる全員の記憶消せばいっか」


「やめなさい!」


「はい、ママ」


(((立場完全に逆転してる……)))


「改めて確認しますわよ。あの悪魔がここに来た理由と女神様が降臨した理由について関連性があるのか教えて頂けますか?」


 キャロラインが頭の中で出した答えを確認する為に女神の表情を伺うと、先程までとは打って変わってキリっとした真面目な表情で話始めた。


「貴女にはフィフティー・フィフティー、テレフォン、オーディエン――」


「いや、もうそのネタ続けなくていいです」


 女神は最後までセリフを言わせてくれないキャロラインに背を向けて体育座りでいじけ始めた。

 

 それでも都度チラチラとキャロラインの顔を伺いに来る女神にかまってちゃんを感じてはいたが、キャロラインはまともに答える気の無さそうな女神を気にせずに考え事をしていた。

 

(女神様の降臨、勇者と聖女の邂逅、悪魔の出現、悪魔と契約しているとされる魔族の存在…… ならば先程女神様が仰っていた現地とは…… まさか…… 魔界)


「行ってみるしかなさそうですわね……」


 キャロラインはキャロラインに身も心も捧げた気になってる元・聖女(一生見習い)のカトリーヌ、自分で作った修羅場を第三者視点で見るのが三度の飯より大好きな外道聖騎士セレスト、男性同士のぶつかり合いが三度の飯より大好き(但しナマモノには抵抗あり)な変態賢者アルベルティーヌを見つめて


「悪魔達が何をしようとしているか、その真意はまだわかりません。ですが、世界に何かしらの影響を与える事は間違いないでしょう。世界を守る為に貴方達の力を貸して下さい」


「貴方様に忠誠を捧げたあの瞬間から(ベッドだろうが、お風呂だろうが、トイレだろうが)どこまでも一緒に居ると決めております。私(の身体)を思う存分使ってください」


(頼もしく聞こえるはずなのに違う意味で聞き取れてしまうのは何ででしょう……)


「フフ、悪魔達との戦い(修羅場)を経験するのも聖騎士としては避けて通れない道だよね」


(この子、絶対に戦いの意味を勘違いしてますわ…… そのうち性騎士とか呼ばれそうで怖いんですけど……)


「悪魔にも男女の性別あるのかな…… 私としては男性のみだとしても構わないんだけど、生殖行為とか非常に気になるから是非とも後学の為に参加したい」


(悪魔を相手にBL展開を生み出そうとしている貴女の方がよっぽど悪魔な気がします……)


 

 


 四人は社交界場を後にすると外に出て空を見上げると、そこにはいつもと変わらぬ青空が広がっていた。

 

 ふいに吹く風に銀色の髪を靡かせて心地良さを感じている。

 

「いい風…… 世界はいつも通りなのにこの世に悪魔達が暗躍しているなんてまだ信じられませんわ」

 

「そんな事より折角女子が四人そろってるんだし女子会でも開いて僕が実際に見て(仕掛けて)来た略奪と言う名のNTRについて話をしようよ」


 決して自らが当事者になる事は無く、状況を生み出して修羅場を展開させて影でその様子を見て鼻息を荒くしながら興奮しているド変態の幼馴染にキャロラインは既に頭を痛めている。


「………………新作のBL本品評会」


 趣味嗜好は人それぞれ…… しかし、アルベルティーヌはそんなことお構いなしにキャロラインを沼へ引きずり込もうとしている。

 

 その時の彼女は闇よりも暗く、底なし沼より深い濁った目をして見つめてくるアルベルティーヌにキャロラインをはドン引きしていた。


「キャロライン様、後で宿についたら全身をねっとりマッサージさせて頂きます。夜は…… 長いんですから…… じゅるり」


 獲物を狙うかの如く、キャロラインの肢体を舐め回すように見つめて舌なめずりをするカトリーヌの獣の視線にキャロラインは恐怖を覚えていた。




(このパーティの人選ミスったかもしれない…… 下手すると、一人で悪魔を相手にしている方がよっぽど楽かもしれませんわ)

 

 

 これは世界の歴史に名を遺し、いずれ救世主と称えられ続ける四人の物語の幕開けである。

 

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【短編】婚約破棄されて追放直前に勇者になった公爵令嬢~聖女になりたかったのに勇者になってしまったんですの?~ うにたん @uniuni797

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