きみには成仏してほしくないんだ

まれ

きみには成仏してほしくないんだ

 今日は陽があたたかい。春の匂いは彼の匂いに似ている。うららかな春の日に窓辺に凛と佇む彼の姿を思い出す。


 私の実家には十数匹の猫たちが暮らしている。社会人になって実家を出るまで、猫に囲まれて生きていた。そんな我が家にはじめてやって来た猫はグレーのサバトラ猫だった。譲渡会でスタッフの方に小さな小さな彼を手渡されたとき、もう離すことはないと本気で思った。家族の意見など一切耳に入らず、兄弟猫の中で唯一ノミまみれだった彼をぎゅっと抱きしめていた。彼は私たちの家の猫になった。

 彼は臆病で、あとから我が家にやって来た猫たちにビビり散らかし長男としての威厳は残念ながらなかった。「きみの命の恩人は私だよ」と私に刷り込まれながら育ったおかげか、これまた残念ながら猫にモテない私にとても懐いてくれた。猫モテ抜群の母の周りにはいつも他の猫たちがいるから、消去法だったかもしれない。それでも控えめにすり寄ってくる姿は愛おしく、私はいつも彼の背中を撫でながら眠りにつく日々だった。


 そんな彼も数年前に旅立った。暖かい日、もう意識はなかったのだろう。他の猫たちも一緒に眠るベッドの真ん中ですぅっと最期のひと呼吸。


 彼がいなくなってから私は実家を出て、家に猫がいない生活をしている。時折、彼の夢をみる。その夢は決まって、彼が脱走して「帰ってこなかったらどうしよう」と家の中や近所を探しまわるというような夢ばかりだ。彼がいなくなってそれなりの月日は経っているのに、私は未だ彼がいなくなることを恐れている。それでも、懐かしい元気な姿が嬉しくてまぶたの裏で彼を愛でるのであった。


 ねぇ、きみ。私は今でもきみが近くにいてほしいんだ。


 さらさらでいい香りのする灰色の毛皮を被ってなくてもいいから、寒い夜には布団に潜り込んできてほしい。きみが鳴らす喉の振動を感じながら眠りにつきたい。きみには成仏してほしくない、この世に留まって近くにいてほしいと思うのはあまりにも身勝手だ。こんなにも身勝手な生き物だから、人間は一生猫に敵わないのだと思う。

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