エージェントK−2

下東 良雄

エージェントK−2

 新月の夜、白波のない穏やかな海は暗闇に沈んでいた。

 小さな集落の小さな漁港に一隻の漁船が停泊している。

 明かりをつけず、真っ暗な操舵室には、年の頃五十過ぎ位の顎髭を生やした船長がいた。彼は腕時計に何度も目をやりながら、スマートフォンを手に連絡を待っている。


 ぶーん ぶーん ぶーん


 振動したスマートフォン。

 画面に表示されたのは――


 <音声通話 非通知>


 ――待っていた連絡かもしれないと、かかってきた電話に出る船長。


「もしもし」

『もしもし、あたしメアリー。今、漁港の集落の入口にいるの』


 いたずら電話かと思い、船長は通話を切った。


 しかし、数分後――


 ぶーん ぶーん ぶーん


 振動したスマートフォン。

 画面に表示されたのは――


 <音声通話 非通知>


「もしもし」

『もしもし、あたしメアリー。今、漁港の入口にいるの』

「お前、誰だ! イタズラはやめろ!」

『今からアナタのところに「天使の化石」を取りに行くからね』

「!」


 慌てて電話を切った船長。

 一体どうなっているのか、理解ができなかった。


 ぶーん ぶーん ぶーん


「も、もしもし」

『もしもし、あたしメアリー。今、漁船の前にいるの』

「…………」

『アナタの持っている「天使の化石」が欲しいの』


 船長は電話を切った。

 身体中から冷や汗が吹き出る。

 おかしい、『天使の化石』のことは誰も知らないはずだと。


 ぶーん ぶーん ぶーん


「…………」

「『もしもし、あたしメアリー。今、アナタの後ろにいるの』」


 自分の後ろとスマートフォンから二重に声が聞こえた。

 驚いて振り向く船長。


 そこにはセーラー服姿の女の子がいた。

 中学生か高校生にしか見えない。黒髪のショートカット、切れ長の目で、美少女と言っても誰もが納得するであろう顔付きだ。


「こんばんは、メアリーです」


 にっこり笑う女の子。

 船長は突然のことに何の言葉も出てこない。


「ねぇ、船長さん。アナタ『天使の化石』を持ってるよね?」


 なぜこんな小娘が『天使の化石』のことを知っているのか。

 そもそも、いつこの船に乗り込んできたのか。

 船長の頭の中は混乱を極めていた。


「悪いけど、その『天使の化石』は全部いただくよ」

「なっ! だ、誰がお前にやるものか!」

「ほら、日本は神道中心だからさ、天使って合わなくない?」

「黙れ!」

「まぁ、可愛い天使なら大歓迎なんだけどさ――」


 女の子が言い終わる前に、船長は腰に差していた拳銃を抜き、女の子に向けた――はずだった。

 しかし、そこには誰もいない。


「遅すぎる」


 耳元で女の子の声がする。

 いつ移動したのか、女の子は真後ろに回り込んでいた。

 全身から血の気が引く船長。


「堕天使に地獄へ連れて行ってもらいな」


 船長の耳元にひんやりとする金属が当てられた。


 プシュッ


 最後に聞いたその音が何の音なのか、船長が知ることは永遠にない。


「この国に天使はいらねぇんだよ」


 プシュッ


 女の子は、倒れている船長の胸にとどめの鉛玉を撃ち込んだ。

 そのまま左手でスマートフォンを操作する女の子。


「もしもし、任務完了よ。『天使の化石』の回収も完了。見た限り加工前の状態だから、まだになって外に出てないと思う。それにしても『天使の化石』とは上手い名前を付けたものね」


 ホッと安堵する様子を見せる女の子。


「エージェントK、天使の討伐を完了したので、本部へ帰還します。後処理を迅速によろしく」


 自らを『エージェントK』と名乗った女の子は、音もなく漁船から姿を消した。


 『エージェントK』。それは日本の危機を救う女子高生。彼女によって潰された国際的な謀略は数知れず、世界中の諜報機関が彼女を追い続けているが、その正体は明らかになっていない。




※ちり

 フェンサイクリジン(PCP)。それは幻覚剤として乱用されるようになり、アメリカなどで大きな社会問題となった麻酔薬。日本でも麻薬及び向精神薬取締法の麻薬に指定されている極めて危険なドラッグ。別名「エンジェルダスト天使のちり」。

 船長は、そのPCPを大量に日本へ持ち込むため、大きなブロック状に加工し『天使の化石』として密輸を図ろうとしていた。



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