第3話 過去、断ち切れず

 サムは重い瞼の上から、暖かな光を感じた。自分に何が起きたのか分からず、だがこれが3日ぶりの思考であることを思い出す。記憶をたどると、船が爆発した光景が脳裏をよぎった。


「!! っ……!」


 サムは急いで体を起こした。瞬間、手足に猛烈な痛みが走る。あまりの痛みに戸惑いつつ、震える手を目の前に出した。

 カタカタと無機質な音を出すその手は、海水に流される過程で負ったダメージによって、所どころ黒色の塗装が剥げており、太陽の光を反射して銀色に光っていた。


 しかし、目に見えるダメージはその程度であり、身体を診断してみても痛みの原因であるだろう異常は確認できなかった。

 意図的にアドレナリンを分泌してみても、まるで効果は無い。


 やるせなさに落胆するサムだったが、ふと自分の状況を振り返る。

 海を漂っているはずのサムは何故か、木製の格子窓から光が差す部屋の中に居た。綺麗な内装から手入れがされている事、敷かれた布団に自分が寝ていた事から、サムは誰かが自分をここに運んできたのであろう、と推測する。


「おはようございます。起きたようですね。お体の方はどうですか?」


 そんな事を考えていると、1人の人間が部屋へ入って来た。坊主に袈裟という見慣れない男の装いに一瞬戸惑ったが、彼が扱っている言語が、とある島国のものであることにサムは気付く。


「……あんたは?」


「! 失礼しました。私は好井よしい昭成あきなりと申します。お名前は何ですか?」


「……サム」


「サムさん、ですね。よろしくお願いいたします」


「……?」


 昭成は挨拶を終えるとお辞儀をした。知識としては吸収していたものの、いざ異国の文化を目の当たりにするサムは、困惑しつつ、ぎこちない動きでお辞儀を返した。


「サムさん。病み上がりのところ申し訳ないのですが、早速こちらへ着いて来てくれますか? どうしても確認してもらいたいことがありまして」


 そう聞かれたサムは、自分の手足を見た。いまだ鋭い痛みが襲い、震えは止まらないものの、身体の動作には、さほど影響は無いだろうと判断する。


「分かった」


「ありがとうございます。歩きながら話しましょう」


 部屋を出た2人は、吹きさらしの廊下へと出る。

 どうやらここは僧侶が住むような、所謂「寺」という場所である事に、サムは気が付いた。綺麗な緑の自然に囲まれた景色に、サムの眼が釘付けになる。


「……ここは?」


「そうですね、一言で言うと寺院ですが……まあ実際は、家の無い人たちのための、宿舎のようなものですかね」


 とある島国の最北端。ここは昭成が筆頭の、とある宗派が所有権を持つ、ほとんどの人間が知らない離島だった。

 昭成は、この島に寺院を置き、本土からやって来る問題を抱えた子供たちを、ここに住まわせていた。表向きは、自然の中での修行を目的とする宗教団体だが、昭成はここを半ば孤児院のように使っていた。


「流暢にお話しされていますが、サムさんのご出身は?」


 サムが景色を堪能していると、昭成がそう質問した。

 しかし、サムはその答えを持ち合わせていない。覚えているのは研究所で誕生してからの事であり、その前の事は彼自身も知らなかった。


「覚えてない」


 ぶっきらぼうにサムは、そう言った。

 それを聞いた昭成は、ちらりとサムの身体を見る。体のところどころに見える機械のようなものや、金属でできた手足。それは高性能な義肢装具かとも思えたが、昭成は、それが明らかに、人が生みだした許されざる産物だと察した。

 並々ならぬ事情を抱えているであろう子供に、それ以上、昭成は説明を求めることはせず、謝罪の言葉を返す。


「それは……すみません。無神経な問いでした」


「いや、別に。……それで話って?」


「あぁ、そうですね。実は先日、大きな船がこの島の海岸に流れ着きまして。そこでサムさんも発見されたのですが……」


 その話を聞いてサムは再度、船の爆発の事を思い出した。爆風に吹き飛ばされた時、子供たちの手を握っていた事も。


「!! 俺の他に誰か居なかった……です、か?」


「……着いて来てください」



 そう言ってサムが案内されたのは、墓所であった。数は少ないが、手入れが行き届いている綺麗な墓石が、点々と存在している。

 そして件の彼らは、墓石群の中、その一角で眠っていた。


「見つけた時には既に……。あまりにひどい状態で放置するわけにもいかず、ご勝手ながら葬儀を済ませていただきました」


 そう言って昭成は深々と頭を下げた。サムはそれに対して特に言及することなく、ゆっくりと墓石の前に膝を突いた。

 うすうす分かっていたものの、希望を捨てきれないでいたサム。そんな彼を抗いようのない無力感が襲う。苦楽を共にした仲間という訳でも無いが、サムは見ず知らずの彼らへ、それなりの情を抱いていた。


「……あり、がとう」


 サムは昭成に感謝した。

 幾度も人がゴミのように死ぬところを見てきたサムにとって、人の死とは、ただの結果であり重要なものではなかった。しかし、目の前の石の下で眠る彼らの事を想うと、これが人の最後として最善なのだろう、とサムは何となく、そう考えた。


「……もう少し、ここに居させてほしい」


「ええ、もちろん」


 それ以降、サムと昭成は、しばらく会話をすることが無かった。自然が奏でる鳥の鳴き声や、木々のさざめき等の音が、この場に流れていくだけ。

 その静かな時間は、久しぶりにサムの心に平穏をもたらした。


 しばらく経ち、ここに居る理由も無くなったサムは、ここから立ち去ろうとする。


「えっと……昭成、さん」


「どうされました?」


 感謝や別れの言葉を残そうと口を開くサムだったが、上手く言葉が出てこない。

 呪縛から解き放たれ、晴れて自由の身になったサムだったが、最後の被害者である彼らの墓参りを終えた今、何をすればいいか分からないでいた。

 祖国に戻ろうにも、もはや帰るべき家は無い。失ってしまった自分の過去への未練はあったが、その手がかかりは全て消去されたと聞いている。もし残っていたとしても、あの研究所へ戻るのは、かなり危険な行為だった。


 するとサムは、自分が途方に暮れているということを、ようやく悟った。


「迷ってらっしゃいますか?」


 まるで心を見透かされているかのような昭成のその言葉に、サムは驚いた。

 思えば、こんな山奥で生活しているというのに、昭成は理性的な振舞いを崩さないでいた。それは現代人である証拠にも思えるが、年季の入った寺や生い茂る自然の中で生活している人間が、こうも余裕のある態度を見せるのは、そこはかとなく違和感を感じる事だった。

 サムは昭成に、自分には知らない何かがあると感じた。


「そう、だけど……どうして分かったんだ?」


「そうですね……何となく、です。こんな島で、見知らぬ人と出会う機会はあまり無いですが、人の悩みというのは、どれも本質が似ていると思いますので」


 何となしにそう応える昭成。事務的なコミュニケーションしか経験していないサムにとっては、昭成の言葉を介さないその気遣いが、とても不思議な能力に思えた。

 昭成は、サムが初めて人として好ましいと思う人間だった。そしてサムは無意識に、昭成へ敬いの気持ちを持つようになった。


「そうですね……。これはサムさんが良ければですが、少しの間ここで生活してみませんか? これといった娯楽は何もないですが……」


 突然の思いもよらぬ提案に、サムは面食らってしまう。

 嬉しくないと言えば嘘になる申し出だ。サムには行くあてが無いし、ここに居れば何か人生の意義のようなものを見いだせるかもしれない。

 しかし、それはつまり昭成やこの場所を危険にさらすことにもなる。可能性は低いが、もし国がサムを追っているのなら、その矛先がこの島に向くかもしれない。

 だが、サムは許されてしまったその選択肢に、気持ちが揺らいでしまった。


「無理にとは言いませんよ。まあ、何も無い所ですから。若い子はやはりこんな離島から出て……ん?」


 深く悩み始めてしまったサムに、あくまでもこれは提案だ、ということを遠回しに伝えようとする昭成。

 すると昭成は、ちょうど外を歩いていた一人の女の子を見つけた。


「紫織さん。来てください」


 昭成の声が届くと、紫織と呼ばれた女の子が疑問符を浮かべて歩いて来た。

 しかし、少女はサムが居ることに気付くと、とても驚いた様子で、昭成の陰に隠れてしまった。怖がっているのか、はたまた緊張しているのか、紫織は覗き見るようにサムの様子を窺う。


 状況がイマイチ掴めないサムは、困り顔で紫織を見つめている。

 彼女は、坊主にぶかぶかの袈裟という世間の女の子のイメージからかけ離れた容姿をしていた。おそらく僧の見習いか何かなのだろう、とサムはあたりをつける。


「紫織さん。挨拶を」


「……」


「……?」


 挨拶は無かった。紫織は、ただジーっとサムを見つめ、しばらくすると昭成の陰に完全に隠れた。サムは困惑し、昭成は少し大げさに溜息をつく。


「紫織さん……」


「う……」


「……まあ、いいでしょう。すみません、サムさん。こういう環境で人慣れしておらず、ご理解ください」


「いや、俺は別に……」


 サムはその言葉通り、ショックを受けてはいない。ただ、どうすればいいのか分からず、ひたすらに困惑することしかできないのだ。

 自我を取り戻してからというもの、新しい出来事の連続で、彼の調子は狂いっぱなしである。


 そうこうしていると、この場に堪えきれなくなってしまったのか、紫織が何処かへ走って行ってしまった。昭成は走り去る紫織の背中を見て、またも溜息をこぼす。


「実は、件の船を見つけてくれたのは紫織さんなんです」


 昭成が突然そんなことを言うと、サムは驚いた表情を見せた。


 その後の話によると、たまたまそこを通りがかった紫織が異変に気付き、昭成や他の大人を呼んで救助活動にあたったらしい。

 つまり、紫織はサムにとって命の恩人だった。


「じゃあ、あの子は亡骸を……」


「いえ、皆さんのご遺体とサムさんは船から離れた場所で見つかったので、紫織さんの眼には触れていないですよ」


 その言葉を聞き、サムは少し安堵する。もしかしたら人の遺体に慣れているのかもしれないが、それが決して気分がいいもので無い事は、サムにも分かっていた。

 サムは会ったばかりの紫織の精神状態を心配した。道徳や倫理などないデーモンとして戦っていた彼は、自然とそう思えるようになっていた。


「サムさんは優しい人ですね。紫織さんと会わせて良かったです」


 昭成にそう言われて、サムは自分がうっすらと笑顔を浮かべている事に気がつく。

 無意識に気を許していた自分に、他でもないサム本人が驚いていた。


 昭成や他の人たちとの生活から、何か良い影響を得られるかもしれない、と漠然と考えていたサムだが、それは淡い希望であり、難しい事だと思っていた。

 しかし、こうして簡単に自分の変化に気が付けるほど、サムの心は変わっていた。

実際は、デーモンの洗脳から解放されたサムの本来の人格が、善性寄りのものだったというだけなのだが、これはサムに決断をさせるきっかけになった。


「……昭成さん」


 懸念点は多い。誰にも知られない場所で生きるとはいえ、サムの敵は少なくない。本当ならば同じところに長くとどまるよりも、出来るだけ足跡を消しながら遠くの地へ離れた方が、お互いのためになるかもしれない。

 しかし、それでもサムの中で何か諦めきれないものがあった。考えれば考えるほど失った過去への渇望が沸き上がっていく。


 サムは自分の心に従い、この島に留まることを決めた。



「――おはようございます。サムさん」


「おはよう、ございます」


 サムにとって、この独自の文化を持った島国での生活……というより、人間としての生活は、戸惑いの連続だった。


 礼儀を学ぼうと修行をすることにしたサム。まずは形から入るため、貸し出された袈裟を身に纏い、決して強制ではなかった剃髪までも行った。

 覚悟の意を込め、決めた選択だったが、良いか悪いかサム独りの時間を増やすことになった。


 修行と言っても、するべき事は多くなかった。日課である洗濯や農作業などの仕事を手伝い、あとは空いた自由時間で昭成に作法や教えを説いてもらう。これでも時間が余るため、何も考えず、ひたすら座禅を組んでいることもあった。


 更にここで生活するのは、お互い同じ場所で生まれ育った子供たちと昭成を含めた大人たち。顔だちだけでなく、機械の手足を持った常人から明確に離れた存在であるサムが馴染めないのは、仕方の無い事だった。


 同年代の子供たちが一緒になって遊んでいる中、サムは独りで林を歩く。

 いじめがあるという訳では無い。サムと他の子供たちが、幼いながらも互いを気遣おうとした結果、こうなってしまっただけなのだ。


 この状況を陰ながら把握していた昭成は、サムの事を案じつつ、どうにかできないものかと様々な策を思案していた。


 しかし意外なことに、当のサム本人は、この日々を満喫していた。



 普通の生活というものを知らないサムからしてみると、ここでの自給自足の生活は幸福なものだった。

 自分たちで衣食住を整え、ただ生きるために生きる。そんな当たり前の事が、サムにとっては大きな意味があったのだ。


 今まで、ただケーブルを通してラーニングしていた情報が、自身の五感で感じるというだけで、どれも新鮮なもののように、サムの世界を華やかに色づけている。

 サムは失った過去を含めて、まともな人生を歩んでいない。かつても人並みの生活を求めていた事は知る由も無いが、何となく夢が叶ったような、そんな充足感をサムは感じていた。


「っ……」


 いつものように散歩をしていると、また謎の痛みがサムを襲った。もう何回目かも分からないシステム診断を行うが、未だ原因は不明。それはつまり、診断プログラムの故障か、その痛みは幻覚の類だということを暗示していた。

 サムはなるべく痛みへ意識を向けないよう散歩に手中し始める。すると誰かが自分の様子を窺っていることに、サムは気が付いた。


「……」


 いつぞやの再現か、紫織が木陰に隠れてサムを見ていた。しかし今回、近くに昭成は居ない。どうやら紫織は、自分の意思でサムに近づいて来たみたいだ。

 何か自分に用があるのか、とサムが不思議がっていると、紫織がゆっくりとサムに近づいて来る。


「……頭、坊主だ。修行?」


「え? ……うん」


 紫織はサムに、自分と同じく修行しているのか、と尋ねたようだ。何となく意味を感じ取ったサムが相槌を打つ。しかしサムは、それがただの世間話だということに気が付けず、相手の真意は何か、と勘繰っている。

 サムがこの島で生活し始めてから2週間が経とうとしている。身なりを見れば誰でも分かる事を、わざわざ今になって聞きに来ることは無い、とサムは考えていた。


「変な手」


「あぁ、うん」


「……怒らないんだ?」


「……?」


 少しつまらなそうに、こちらの反応を試す紫織に、サムは更に混乱した。


「怖い人かと思ってた」


「……あー」


 ここでようやくサムの理解が及んだ。どうやら、周りと違う見た目から、ただ警戒をしていただけらしい。

 サムは先ほどの質問にも特に意味が無い事を察し、念のため謝ることにした。


「ごめんね。怖がらせてたみたいで」


「別に。関わらないようにしてたし」


「そ、そう」


 紫織が掴みどころのない性格をしているだけなのだが、サムは自分のコミュニケーション能力が至らなかったと思い、心の中で反省することにした。

 とにかく、用も無いと分かったサムは、一人の時間に戻ろうとする。


「それじ――」


「――でも別人みたい」


 サムは早々に退散しようとするが、遮るように出た紫織の発言に、思わず動かしていた口を止める。

 意味深な発言だったが、思わせぶりな事を言っても不思議ではない相手だ。だが、まるで自分を知っているかのような紫織の口ぶりに、サムは続きを聞かないわけにはいかなかった。


「どういうこと?」


「前見た時は……鬼みたいだった」


 返って来た答えは、またも理解が追いつかないものでサムは沈黙する。しかし、前と言われて思い当たったのは墓場の時のこと。

 確かに、あれからサムは自分でも分かるくらいに心が落ち着いている。そのことだなと、サムは当たりをつけた。


「確かに。今は墓の前で会った時より元気だよ。おかげさまでね」


「? ううん、違うよ」


「え?」


「海の側にいた時だよ。人、引きずってたじゃん」


 その発言に、サムの心臓が跳ねた。何故か意識しないようにしていた手足の痛みが鮮明に現れ始め、嫌な汗が背を伝う。


「どういうこと……?」


「……覚えてないんだ。墓に埋まった人たちの身体、引きずって歩いてたよ」


 サムは身に覚えのない事象にただ困惑することしかできない。仮に意識が無かったとしても、五感で感じるデータは保存されるようになっているのだが、そのような記録はどこにも見当たらなかった。


「血だらけで、死体が歩いてるのかと思った」


「……それ、本当?」


「うん。それに……人を埋めてた」


「え……」


「船の中から人をいっぱい降ろして、全部埋めてた」


 先ほどまでの幸福な気分はどこへやら、額に汗を滲ませるサムの頭に浮かんだのは、最後に殺した兵士たちの亡骸。

 船に乗っていた自分が一緒に流されて来たのであれば、全てでなくとも、あの兵士達も絶対に居るはずだった。


 しかし、昭成からそのような話は聞かされていない。

 昭成がそれほど大事なことを伏せておくとは、サムには思えなかった。


「場所を教えて」


「んー案内するよ。ついて――」


「いや、やっぱりいい。自分で探すから」


「私の方が島のこと詳しいよ? 一緒に――」


「来るな」


 強い言葉で、サムが紫織を拒絶した。

 先ほどまで感じ取れていた情緒が消え去り、サムの顔には虚無だけが残っている。そのサムの豹変ぶりに、さすがの紫織も驚きの表情を浮かべていた。

 口から出た底冷えした声に、サム本人が驚く。しかし、そんなことを考えている暇はない、とサムは紫織を置いてどこかへ去っていった。



 紫織の話が本当ならば、まずは急いで事実を確認しなければならない。だが、サムの足取りは、とても重いものだった。


 焦りが無いわけではない。だがサムは、どうしても拭えない悪寒を感じていた。

 サムが、ここに住み始めてから大した時間は経っていない。しかしサムにとって、兵器としての過去を忘れさせてくれるには、充分な時間だった。

 それも仕方のない事だろう。サムの人生において、それは、ようやく訪れた安らぎの時間だったのだから。

 嫌なことを忘れる子供のように、サムは過去を置いて来たつもりだった。


 しかし、過去の出来事というのは、当人の意識だけで完結できるものではない。生きていれば、いつか思いもよらないところで、自分の行いが返って来る。

 それは人によって善と悪に分かれるが、例外は無い。過去から逃げ切れる人間は、絶対に居ないと言い切れるだろう。

 特に、サムのように薄暗い道を歩んだ者ならば。



 サムは長い時間をかけて、目的の地までたどり着いた。

 砂浜に乗りあがった船の残骸を見つめるサム。自身の手で行った所業が思い起こされ、気分が酷く沈んでいるようだ。

 しかし、彼は確認しなくてはならない。


 周辺を捜索しつつ、サムは考える。自分の身に何が起こったのか。


 子供たちを解放した後、サムは人格を取り戻したはずだった。自ら選択をし、過去を断ち切った、と。

 でも実際は違った。自分にもわからない何かが、サムの中に潜んでいる。決別した筈の悪魔の顔が、サムの脳裏に焼き付いていた。思い出そうとすればするほど、その顔に影がかかっていき、足場の無いような恐怖に襲われる。


 そして同時に考える。

 ここで生活した数日間。あの安らぎは、もう永遠に来ないのではないのか、と。

 確証はない筈だったが……きっと、知らないふりをして生きたところで、必ずあの悪魔が邪魔をしてくるのだろう、とサムは、そう確信してしまった。


「そこらへんだったよ」


「……来るなって言ったろ」


 サムが岩肌に囲まれた小さな砂場に踏み入ったところで、紫織に声をかけられた。どうやら、こっそりとサムの跡をつけていたらしい。やはりというべきか、変わり者とはいえ、彼女は強い精神の持ち主のようだ。


「……あ」


 何かを見て紫織が声を出した。

 サムがそちらに目をやると、不自然に破れた布と、欠けた骨のようなものが、砂の表面から突き出ていた。どうやら、潮の満ち引きによって、中に埋まっていたものが地表に出てきたらしい。


 サムは無言のまま、ゆらゆらと揺れる水面を踏み歩き、それの前に立った。

 彼は、数秒それを見つめて膝を突くと、そのまま機械のような動きで砂を掘り始めようとする。段々と震えが大きくなるサムの手は、カタカタと痛みを訴えていた。


 サムの手が砂に突き立てられようとする。

 すると、紫織がその手を掴んで止めた。


「墓荒らしは駄目だよ」


 そう淡々と紫織は言った。2人の視線は突き出た骨に注視されている。

 目を合わせてはいないが、サムは、触覚が無い自分の腕を掴む紫織の手から、強い意志を感じ取った。


「……墓とは言えないよ」


「墓だよ。水浸しで、しょっぱいけど。それでも仏さまがいる」


 そう言われると、しばらくの沈黙が流れた後、サムはゆっくりと手を引っ込めた。形だけとはいえ、彼も教えを守り、修行をしている身である。何もかも手遅れのような気がしたが、大事にしようと決めた生き方は、簡単に手放せなかったようだ。


「聞いてもいい?」


「……何を?」


「全部。さすがに気になるよ」


 直球な紫織の問い。俯いているサムは、波に揺られる自分の顔を見つめる。

 サムは自分の目に映るその顔が、まるで他人のもののように感じた。

 自分が認知できない何者かが内に潜んでいるからか、それとも、失った過去が自分のものでは無いと感じるからか。

 忘れた過去を思い出そうとしても、透明な水に映るサムの顔が、波紋に消えていくだけだった。


「……俺にも、分からないよ」


 苦しむ様に、絞り出された言葉。紫織が求めた答えでは無かったが、これはサムの本心だった。

 本人でさえ答えが分からない。少なくとも、それが嘘偽りでない事を、紫織は感じとった。


 それからポツポツと、サムが自分について話し始める。

 この離島に住む人からすれば、現実味の無いような暴力の世界のこと。自分の中に潜んでいるであろう悪魔のこと。

 何故か、誰にも知られないよう努めていた黒歴史を、サムは自分で思っていたより簡単に話せた。

 心があると、人に頼らざるを得ない。サムは、そう体感した。


「――……もう、この島からは離れるよ」


 終始、無言で話を聞いていた紫織にサムはそう言った。このようなことがあっては、そう考えてしまうのも頷ける。

 しかし、そんなサムへ返って来た言葉は、彼にとって意外なものだった。


「何で?」


 紫織が、サムの負い目に気が付いていないわけではない。

 話の内容は、ほとんど理解できていなかったようだが、サムが真面目に身の内を話したことを、紫織は分かっている。

 だからこそ紫織は、サムのことを見捨てられなかった。


「ここを出る理由には、ならないでしょ」


「……なるんだよ。まだ理解できないだろうけど、これは――」


「何それ。そうやって無理やり相手に理解させようとして、あなたは楽になるの?」


 やけに突っかかってくる紫織に疑問を浮かべるサム。なぜ、自分を引き留めようとするのか、サムは心底理解ができない。ましてや、こんな怪物相手に。


「俺は人殺しなんだ。こんなやつに人並みに生きる権利なんてないだろ」


「そんなのどこ行ったって同じでしょ。償いの当てでもあるの?」


「償い、なんて……そんなの……どうしようもないだろ……!」


 苦しそうに、サムはそう言った。

 罪は法によって裁かれるのが常識だ。それは、どこの国でも同じだろう。それゆえに、サムは罪の意識を感じていても、償う方法が無かった。

 なぜなら、その法を管理する国によって、彼は己を手を汚したのだから。


 誰に償えばいい。誰に認めてもらえればいい。誰が自分を裁いてくれるのか。サムはそう問いたかった。


「神でも信じれば、俺は裁いてもらえれるのか……?」


「違うよ」


 もう神に縋る事しかできなくなったサムに、紫織は、真正面から否定の言葉を投げかけた。サムはその言葉に目を丸くし、「ぇ」と小さく声を漏らす。


「サムは自分を許せるようにならないと。そうやって自分を許した罪人を、正しいかどうか決めるのが、神様の仕事だよ」


 心底、真面目な顔で紫織がそう助言した。

 曲がりなりにも、彼女は修行僧の一人だった。だから、道を失い、我を忘れた人間を見捨てることは出来ないのだろう。


 サムは納得できなかった。そんな都合のいい話があるわけない、と。自分が犯した罪はその程度のものじゃない、と。


 だが同時に、救われた気分にもなった。

 話を理解しているかも怪しい、何も関係など無い少女に助言を受けただけ。ただのそれだけで、サムは心を動かされた。そこに唯一の救いを見た気がしたのだ。


 そしてサムは、とあることを思い出した。

 子供たちを助けたあの時。自身の心を取り戻した後、彼らに感謝されたことを。

 彼らは、血に塗れたサムの手に触れた。それが救いの手だと思って。


 あの時、サムの心も救われた。どうしようもない己の所業を考えて尚、嬉しかったあの気持ちに偽りはなかった。


「っ……ぅ」


 気が付くとサムは泣いていた。必死に声を殺して、涙をボロボロとこぼしている。

 サムは、救われた気になった身勝手な自分の心を、卑しく思った。


「それで、サムはここを出ていきたいの?」


「……まだ、この場所に居たい」


 諭すような紫織の問いに、サムは自分の望みを口にした。

 罪を抱えて、それでも過去を捨てたい、とサムは思った。

 自分の内にある悪魔を後回しに。それが間違いでない事を信じて。



 ――それから様々な変化があった。

 サムは、紫織と仲良くなった。先の出来事をきっかけに、この島で出来た初めての友人であり、大切な家族と呼べるほどに。


 次にサムは、自分を偽ることをやめた。自分が覚えている範囲の出来事を、少しずつながら、昭成たちに語れるようになった。

 その結果だろうか、他の子供たちの輪に入れるようにもなり、大人に頼りにされるようにもなった。

 サムの話を聞いた昭成が、どこかサムに対して過保護になったのは、そのうち笑い話になるだろう。


 もちろんサムは、罪の意識を忘れたわけではない。他者の仕事を積極的に手伝い、己を律するために、あらゆる修行をした。それが贖罪になるかは分からないが、少なくとも、サムはそう信じようと頑張っていた。


 そのうち、過去への執着も薄れていった。サムは、この島で過ごすほど、かつての自分がどんな人間かも気にならなくなっていったのだ。


 サムの人生は良い方向へと向き始めている。きっとそのうち、過去との折り合いを付けられる日が来る、そう希望を持てるほどに。



 しかし何故か、こうして3年の時が流れたにも関わらず、とある悪夢がサムを苛み続けた。

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