第13話 第一王女グレースの憂鬱
王の間で、デニスから重臣たちへ島に対する使節の派遣が言い渡された後。
王城の西の殿にあるグレースの執務室には、コンラート軍務卿、第二騎士団団長ミルコ、第四騎士団団長アンスヘルム、第五騎士団団長ヘルベルトの姿があった。
「まったく困ったことになりました。今の王国のどこに戦争を仕掛けるだけの余力がありましょうか。一応交渉を行うように説得は出来ましたが、宰相は端からまとめ上げるつもりはないでしょう」
グレースはため息をつく。
何とか彼女の説得によっていきなり戦争になることは避けられそうだが、デニスやライヒハルトの性格や思想では間違いなく戦争に突入すると予測している。
小国を戦争によってまとめ上げてきたルクスタント王国。
それまでの多岐にわたる戦争によって国民に多大なる負担と犠牲を強いてきた王国に、新たに戦争を起こすだけの国力は今はもう残っていない。
だが国王であるデニスは、それまでの戦争における圧倒的な勝利の数々に酔いしれて現実が見れなくなっている。
それに今までの戦争は敵をよく知った上での戦争であって、今回のような未知の相手に対する戦争ではなかった。
それも、アルベルトの報告にあったような得体のしれないものを使う相手に対してである。
敵情も全く分からないのにいきなり戦争を仕掛けるのはあまりにも無謀だとグレースは考えていた。
「グレース王女殿下、今回の派遣に対して我々は反対の考えを示します。おそらく殿下も同じであると思っておりますが」
軍務卿の言ったことに、集まった面々は頷く。
彼らは前から国王や宰相の方針に反対しており、同じ考えを持つグレースと今回のような密会をしばしば行ってきた。
王城内の勢力は今は国王派と王女派で二分されており、政治の中心にある騎士団長や宰相、軍務卿などの重鎮たちもきれいに半分ずつになっている。
地方を治める貴族たちも、どちら側に付くかによって今後の出世が決まるため、慎重に自分がどちら側に付くのかを考えていた。
「もちろん私も王族会議で反対しました。でもデニスお父様とアルベルトお兄様は戦争をしたがっているから……私の発言はほとんど意味を成しません」
王族会議だといっても、王位継承権が第二位のグレースの発言力は、王位継承権第一位のアルベルトや国王であるデニスに比べると弱い。
その2人がグレースに反対すると、彼女の意見は多数決で反対される。
そんな中で、デニスに島の人間とまずは交渉することを認めさせたのは大きな功績ともいえる。
「流石に国王の勅令に逆らうわけにはいきません。ですが……同時に守るべき国民にさらに負担を強いるのは許容できません」
ミルコが悔しそうに歯を食いしばる。
彼は、第一騎士団と一緒に派遣される処分部隊たちの身を案じていた。
処分部隊というのは、国内で重罪を犯したりして牢屋に入れられていた重犯罪人たちで構成される肉壁部隊のことである。
”処分”という言葉は、重罪人たちの命を処分するという意味でつけられた。
だが、処分部隊として戦争に参加させられるのは、王国が征服してきた小国で兵士をやっていて捕虜として連行されてきた人間や、その国にもともと住んでいたただの農民たちだというのが実情だ。
王国内に処分部隊を構成できるだけの犯罪者はもうおらず、肉壁の不足を補填するために多くの敵国の兵士や住人に”戦争犯罪人”のレッテルを貼り付け、強制的に部隊へ加入させていた。
デニスは彼らを半ば奴隷のように扱っており、先の戦争でも多くの一般兵たちが騎士団の肉壁として戦地に投入され、多くの犠牲を出している。
ミルコは戦争中は自分の部下たちを守ることを考えなければならなかったため、仕方なく彼らを盾にしていた。
だが戦争が終わった後、ミルコは彼らの犠牲の上に成り立った勝利であることに気づき、第二騎士団団長として国民に英雄として迎えられることに少しやるせない気持ちを抱いていた。
ミルコの後悔の念は段々と強くなっていき、今となっては騎士団を退団した後に教会勤めの身になって、戦争における犠牲となった全ての人間を弔おうと考えていたほどである。
ミルコだけでなく、ここに集まっている人間は全員が同じことを考えている。
他の騎士団団長たちも、先の戦争のために犠牲になった今は自分たちの守るべき国の国民、かつての敵国の住民に申し訳なく思っていた。
騎士団員たちは弱き国民を守ることを何よりの誇りとしており、彼らは戦後にその誇りを自分自身の手で壊したことに気づいていた。
軍務卿も、捕虜や敵国の住民を肉壁として使うことには反対していたが、国王と王太子からの命令には逆らうことは出来ず、泣く泣く肉壁として利用することを許可する書類にサインをしてしまった。
グレースもその時の父親である国王の暴虐を止められなかったことにずっと後悔していた。
「王女殿下、やはりこの状況を打開するにはクーデターを起こすしか道は残されていないのではないでしょうか」
「そうです殿下。我々が極秘に計画していたクーデター。今実行しない限りさらに多くの罪なき命が失われることになります」
アンスヘルムとクレヴァ―がグレースに提案したのは、クーデターを起こすこと。
クーデターとは、主に武力などの暴力的な手段の行使によって引き起こされる変革を意味する。
グレースたちは少し前からクーデターを起こす計画を練っており、軍務卿や各騎士団長たちによって1つのプランが考えられていた。
クーデターには多くの戦力が必要であるが、彼女の元には多数の騎士団員たちがおり、クーデターを起こすだけの戦力はあった。
だがグレースはクーデターを起こすことを渋っていた。
王権争いによって国内がさらに混乱し、国民にさらに負担をかけるわけにはいかないと思っていた。
だから彼女は何度も父に反対の気持ちを言葉で訴えてきたが、その努力が叶うことはなかった。
「クーデターは実行しません。国民に迷惑をかけるわけにはいきませんので」
グレースの言葉に団長たちはしょんぼりした。
だが彼らは彼女の考えていることも何となく想像がつき、これ以上何かを言うことは無かった。
その後密会は終了し、各々持ち場へと帰っていった。
◇
翌日、フォアフェルシュタットの港にて。
宰相と第一騎士団は町の住民たちに見送られながら船に乗り込んでいた。
その時の町民たちには、彼らが何をしに行くのかは一切伝わっていなかった。
騎士団員の乗り込みも終わり、いよいよ出港かと思われたが、1つ問題が生じていた。
「団長。連れてきた処分部隊なのですが、昨日の今日ということもあって船の調達が間に合っておらず、出港を延期しなければならなくなりました」
昨日急に出撃が決まったので、出撃に必要な船の調達が完了しておらず出港が不可能となっていた。
騎士団の人間と宰相の乗る船は王国の新造軍船を使用する。
だが王国は戦争時には海軍戦力をほとんど有しておらず、戦争終了後になってようやく建造に着手し始めたばかりであった。
今回連れて行こうとしていた処分部隊の人数はおよそ10000人。
今の王国の軍船の総力を挙げても輸送が不可能な人数であった。
騎士団員たち使節が載る船にはまだ空きがあり、幾人かであれば輸送は可能であった。
だが肉壁とは大勢いて初めて意味をなすもの。少人数では意味がない。
それにバルテルスや宰相は処分部隊と一緒の船に乗ることを嫌がった。
「仕方がない、処分部隊は置いていく。王の命令を一刻でも早く遂行しなければいけないからな。それにたかが島の1つ、我々だけで余裕に制圧できるだろう」
バルテルスは処分部隊を連れて行かないことにした。
それだけ自分の部隊に自信があったのだ。
結局処分部隊は王国内に置いて行かれることになり、処分部隊の犠牲は1人も発生しなかった。
奇しくもグレースたちの処分部隊の犠牲を心配は無くなった。
バルテルスたちを乗せた船が歓声を受けながらフォアフェルシュタットを出港した。
艦首をイレーネ島へと向けて船は海をゆっくりと進んでいく。
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