シナプス鉱物

深月ハルカ

第1話

鉱物師――正式には神経細胞結晶検査技師という。

こんな職種が生まれたのは、死にゆく人の脳内に鉱物様の結晶ができることが知られるようになってからのことだった。亡くなった人を磁気検査にかけるケースは少なかったし、目に見えるほどの大きさで結晶化することは非常に稀なので、そんなものができているのだとわかったこと自体が、最近のことだ。技術の進歩が生んだ新しい鉱物といえる。


神経細胞シナプス同士は、イオンによって情報を伝達する。細胞同士が直接つながっているのではなく、接近している部分からナトリウムイオンが行き来するのだ。だから、普段は結晶化することはない。

死のように、生物としての危機に際して、脳内ではまさに花火のごとく伝達が走り、ごく瞬間的に高圧が生まれる。

ただし、局地的にだ。この時、圧によっては細胞同士が繋がり、構造を変えて結晶化する。それはあたかも地殻の奥深く、マグマの高圧によって生まれるダイヤモンドの結晶に似ている。


そこでできるのは一ミリから、大きくても二ミリに満たない、小さな小さな結晶だ。モース硬度は4。もろく壊れやすい宝石、フォスフォフィライトよりわずかに硬度がある程度。

この鉱物は、さまざまな色をしている。人々はロマンチックな想像を巡らせて、「故人の記憶が結晶化したもの」なのだといいはじめた。通称は『シナプス鉱物』とよばれる。


鉱物の色や形は、どんな原子がどんな角度で繋がっていくかで決まる。同じコランダムでも、クロムイオンが混じれば赤いルビーになるし、鉄分が含まれると青いサファイアになる。同じクロムを不純物として含んでいても、緑柱石であるエメラルドは緑色に輝く。これはどちらもクロム原子が酸素原子に囲まれた構造なのに、結晶構造が微妙に違うために、光の波長を吸収する領域がわずかにずれるためだ。

脳の中に、鉄やクロムのような金属成分はあまりなさそうなのに、その時その時の生成条件で変わるのか、やっぱり故人の想いによるのか、取り出されるシナプス鉱物は美しい色を持つ。夜明け前のような藍色の鉱物や、儚い記憶をとじこめたようなスモーキーピンク、二色も三色も混じる鉱物、オパールのように光の加減で虹色に見えるものまである。本当かどうか知らないが「二つとして同じものはない」といわれていた。



小さすぎるし、宝飾品として飾られるものではない。

臨終に際して遺族が望んだ時だけ、保険適用外で検査をする。それに、鉱物が発見された場合でも、実際に取り出すのは外科処置が必要だからけっこうな出費だ。検査を希望するのは、どうにかして故人の想いをかたちとしてみつけられないか、と望む家族に限られている。


砂粒のように小さな鉱物。人の身体の中にできる、真珠のような“生体鉱物”を、遺族は大事に大事に持って帰る。樹脂に埋め込んだりして、保存しやすい加工をする業者もいる。


検査をして、遺族のシナプス鉱物を手渡すたびに、そこまで愛された家族を羨ましく思う。

金と手間暇をかけて、きれいだけど何の役にも立たない塊を、泣きながら受け取って帰るのだ。

――いいよな。

強烈に嫉妬したりはしない。ただ、ぼんやりと愛のかたまりみたいな家族を見送る。そして次の検査に戻る。


依頼を受けていない検査だ。

どこにでもいる好事家のためのビジネス。美しいというだけで、脳内で生まれる鉱物を欲しがる蒐集家に売りつけるために、貧乏人の死体をわざわざ検査にかける。費用は会社もちだ。


検査技師だから、依頼があればどんな相手でも検査はする。むしろ、自分の勤務する病院だとこうした会社依頼の方が多い。独居老人が多い地域の市民病院で、多くは葬儀も告別式もなく、火葬場に直行して灰になる。


検査技師になって、十年目だった。最近は老人ではなく、まだまだ働けそうな年齢の故人をみることが増えた。

 独身者が多いからかなと思っている。養わなければと気負うような相手もなく、漫然と働いて己の口を養うことに倦み、些細な身体の不調から復調できないまま終わる。

 けれど、生物としての人間は、半世紀も生きれば十分だと思う。自分でも、長い人生の後半を、なかば消化試合のように生きていた。


 業者の依頼分を検査し終えて、だれもいない霊安室に向かう。大昔の巨大な磁気装置と違って、今はハンディスキャンだ。シナプス鉱物は脳にしかできないから、頭の部分だけ視られればいい。

 回廊はひっそりしている。

 やましいことをしていないという証拠のように、扉を開けておく。もうすぐ市役所の委託を受けた葬儀社のスタッフがくる。この無縁仏は、市の公費で荼毘に付されるのだ。

 両親を見送り終え、兄弟もなく、親戚は疎遠で社葬にもならない。喜びも哀しみもあったはずの数十年は、誰にも偲ばれることなく終わり、名もないひとつかみの骨灰となる。

 骨壺すら、今は使わないのだ。サステナブルな環境配慮により、灰はそのまま樹木の下に埋められ、地殻のサイクルの一つになる。無理に生体鉱物など探さなくても、数億年後にはちゃんと大理石のように鉱物になるだろう。



「……」

――あった。

 画面に表示される小さな反応を頼りに、頭蓋に少し特殊な注射器を挿す。針の形状が先端にいくほど細い漏斗のような形をしていて、先が大きく斜めになっている。頭蓋を突き抜け、二ミリまでのものは、吸い取れる。

 モニターが針を映し出し、やわらかい脳梁の奥にある小さな鉱物に近づく。シリンダーで吸い上げると、影は消えた。

 シャーレに吸い上げたものを押し出し、洗浄液で余分なものを落として結晶をピンセットで摘まむ。

 

 それは、薄いペパーミント色をしていた。

経験上、弔う人のいない淋しい終わりを迎えた人の鉱物ほど透き通っている。不思議だ。削ぎ落されているのか色を付けられるほど成分が豊富ではないのか。

 かすかについている色が、よけいにさみしさを感じさせた。削ぎ落して、削ぎ落して、最後に残ったこの鉱物は、どんな感情を伝えて結晶化したのだろう。


ふるいエレベータのガタン、という音を聞いて、急いでポケットから小さなコルク栓付きのガラス瓶を取り出した。100均の手芸売り場で売っているやつだ。親指の第一関節くらいまでしかないおもちゃのような小瓶に、ピンセットでシナプス鉱物を入れる。あとは検査機の内側にざっくりしまって、エレベータが到着するより前に部屋を出た。廊下は、人がこないからといつも節約されていて、照明器具は一個置きにしか灯りがついていない。リノリウムの床がキュッと音を立て、一人分の足音を響かせた。



あるときから、検査に紛れて自主的に検査をし、誰からも申し受けされない鉱物を取り出すようになった。

 それを業者に売ろうとか、コレクションして眺めようと思っていたわけではない。ただ誰からも、死んでもなお顧みられることすらない感情に、業者すら「無駄だ」と検査代を惜しむほどのカスカスの死に、自分が耐えられなかったからだ。


自分が検査技師だからだろうか。検査すらされない遺体を送り出すのは、なんだかたまらない気持ちになる。

 どんなひとにも、結晶はきっとある。むしろ、家族が誰も駆けつけてこなかった孤独な死体のほうが、最後の想いを抱えているんじゃないか……だれかひとりくらい、そのひとの結晶を見届けるくらいは、してもいいんじゃないかと思い始めてしまった。


 幸か不幸か、検査器具が進歩するにつれて、孤独な死も増え、こうして誰からも依頼されていない検査をするのが簡単になっていった。



取り出した結晶は、備品をストックしてある検査室の予備部屋にいくつもいくつも並んでいる。


 掃除用具入れより少し広い程度だ。畳にしたら半畳分くらいで、ドアを開けると梁の分だけ奥行きがある。そこに天井までのスチール棚が入っていて、細い縦長の窓には、よくこんなに細いサイズがあったなと思う十五センチくらいのブライドが下りていた。

 自分以外、誰もここを開けない。鍵も自分が管理している。自宅に持って帰るようなものではないので、このそっけないスチール棚の一角に、備品を入れた段ボールと一緒に小瓶が並んでいる。

 

「……」 

ことん、とあたらしい小瓶を置いた。

瓶の中で、洗浄されたばかりの薄荷色をした結晶がほんのりうす闇に浮かび上がる。まるでフローライトのようだ。


 ――……。

 この人の人生は、しあわせだっただろうか。

 薄荷色の想いは、よろこびだっただろうか、かなしみだっただろうか。それとも、こんな儚げな色からは想像もつかない、初恋の澄んだ思い出だったりするだろうか。

 ……この人は、最後に何を思い出したのだろう……。


 採り出したからといって、誰に見せるものでもない。死者の孤独が癒されたわけでもない。どちらかといえば、これはこれから来る己の死に対して、癒しを探しているだけなのだとわかっている。

 物質のひとつとして死んでいくであろう、孤独そのものの自分の最後を想像して、せめて誰かにこうして思いを馳せてもらえないかと願っているのかもしれない。

――実際にそんなことをされたら、嫌かもしれないけど。

 自分が人生の最後に視るものなど、誰にも知られたくない、その想いがどんな結晶の色になるかなんて、やっぱり誰にも見てほしくない。

 ――この人たちも、そうだったのかな。

 そっと身体と一緒に火葬にしてくれれば、残された想いも灰にして消せたかもしれないのに……もしかして、そんな気持ちにさせていないだろうか。

「……」

 ふと申し訳ないような気持ちになって、もうこんな自己満足はやめるべきだと思った。


 翌日のことだった。

 気温が乱高下したあとで、体調を崩した高齢者が多かった。冬の終わりと秋の入り口によくある日だ。検査の人数が多くて、その日、仕事が終わったのは夜の九時をまわっていた。


 白衣を脱いで、もう帰ろうかという頃に、引き戸式の扉をノックする音がした。誰だろうと扉を引いたら、女性が立っていた。

 俯き加減なせいか、年齢はわからない。小柄で、肩の辺りまである黒髪にかざりけのないパンツとカーディガンで、社会人なのか学生なのかの区別もつかなかった。

女性は、亡くなった人の行方を捜して辿り着いたという。しかも、亡くなった日にちもわからないらしい。死んだ人はすぐ病院から搬出されてしまうし、何日も前ならおそらくもう火葬されてしまったと思う、と伝えると、その女性は肩を落とした。


 無茶な話だと思う。

どうして病院なのか。警察には聞いたのか、色々と言葉を変えて尋ねてみるけれど、女性は気力を失ったように押し黙っている。それきり動かないので、なぐさめになるかもしれないと思って、鉱物のことを話した。


 この病院でなら、亡くなられた方はすべて自分が検査をしていて、もしシナプス鉱物ができていたら、採り出して保管している。

 でも、どれがあなたのお探しの方のものかわからないし、この中にはいないかもしれない。

 そう話したら、彼女は見せてくれと俯いたまま言った。


帰りかけた部屋へ招きいれ、備品を入れている倉庫の鍵を開ける。蛍光灯の電球を外されたままの部屋は暗くて、ブラインド越しに、駐車場の灯りが射しこんでくる。

薄闇の中で、シナプス鉱物たちはまるで蛍光鉱物のように、ほんのりと色を増して並んでいた。


「あった……」


 女性は迷わず細い指を小瓶に伸ばした。

「あなた」

両手でだきしめるように小瓶を包み、胸元でささやく。

鉱物はぴん……と澄んだ音を立てて砕けた。


たった1音の音楽。

たった一度のメッセージ。


そうか。この鉱物には「意思」が残っているのか。

そう思った次の瞬間、女性の姿が消えていた。


ブラインドからは、駐車場の無機質な白い灯りが射しこんでいる。幻をみたのか、あまりそうは思えないけれど、ああいうのも幽霊の一種なのか。

でも、棚に並ぶ鉱物たちは、小さく光っている。



このことは誰にも話していない。

日々は淡々と続いている。

相変わらず、涙に濡れて引き取られていく鉱物もあるし、業者が引き取りにくる鉱物もある。でも、誰からも振り向かれることのない死者にも、そっと検査をかけ続けた。

また、誰かの手にこの記憶の結晶を渡せるかもしれないから。

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シナプス鉱物 深月ハルカ @MITSUKIHARUKA

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