Revenir au noir

犀川 よう

Revenir au noir

 いにしえの魔導書に、愛する者に命を捧げ祝福の祈りをあげると、その愛する者は不死を得て、命を捧げたものは天使となるという魔法がある。ただし、天使は天に召されることなく死を受け持ち、そのまま大地に埋もれ、途方もない時間をかけて化石となるという。


 幼き日の過ちを取り返したい。わたしは彼に「生きたい」と自分の願いを告げてしまった罪を背負って旅をしている。ざっと二千年くらいにはなるだろうか。不死は生の停止でもあることを思い知らされながら、散り散りになった天使の化石を集めようとしている。

 

 その魔導書には、すべての天使の化石を集めることによって、愛する者の不死に終わりを告げることができるとも書いてあった。

 わたしは彼に会いたい。会って謝りたい。その気持ちだけで化石を求めて、今でいうフランスとスイスの国境付近のある故郷の村を出たところから、わたしの旅は始まった。

 

 罪の根源はわたしたちの幼き日にあった。わたしが彼に花冠を作ってあげたのがいけなかったのだろうか。

 わたしは持病で起き上がることも難儀で、あとは死を待つばかりの身だった。隣の家に住む同い年の彼は、わたしのために毎日山に登り、花を摘み、身体に良い野草や木の実を採ってきてくれた。その小さな身に切り傷をたくさん作りながら、笑顔でわたしを見てくれる彼に、わたしはささやかなお礼として、花冠を作ってあげたのだ。


 それだけであれば、わたしは短いながらも平穏なひと時を過ごして死ぬことができた。たけど、運命は苛烈な罪をわたしに与えたもうた。わたしは彼に、「もっと生きたい」と言ってしまったのだ。理由はわからない。ふと彼の顔を見て、生きたい、と思ってしまったのだ。


 彼はその言葉を聞いて、「心配ないよ」と言った。彼の祖先は魔法使いだった。彼もまたすべてを超越した時間の中で生きてきた人間の子孫、すなわち魔法使いであったのだ。彼は自分の家にある入る事を禁じられた部屋から魔導書を盗み出し、わたしの寝床まで持ってきた。そしてわたしを見て、微笑んだ。


 彼は先程と何の変わりもない声で、「心配ないよ」と言ってから、静かに祈った。花冠をしたまの彼は、祈りを終えると、笑顔のまま少しずつ黒くなっていった。わたしはそれが彼の死であることを直感的に理解した。彼が床に倒れて動かなくなった後、わたしは立ち上がることができるようになったからだ。


 彼の墓は山の中腹に作られた。魔法を使った彼は、数百年をかけて化石になっていく。わたしは笑顔のままの黒い亡骸にそっと新しく作った花冠を捧げて、泣いた。


 それから千年ほど経ち、わたしは彼の墓をあばくことにした。彼の化石をすべてかき集めることで自分の命を終わりを得て、彼のもとに帰るためだ。ようやく彼に会える。わたしは胸が張り裂けそうになりながら、彼の骸たる化石を見つけようとした。


 石棺に守られた彼の化石はバラバラになっており、すべてが揃っていなかった。盗掘されたのだ。今でいう中世と呼ばれる時代だろうか。その頃、天使の化石は魔法の結果ではなく、神話の宝物として語られるようになった。そう。美術品として扱われ始めていたのだ。


 石棺に残る彼の化石をかき集めてみると、最低でも5つ。多くて7つの化石がないことがわかった。わたしは気が狂うような怒りを携えてヨーロッパの大地を駆け巡り、ひとつ、またひとつと回収していった。ある者は王であり、ある者は悪の権化のような商人であり、ある者はただの良き妻であり良き母であった。ある者は神の使いであり、ある者は悪魔の手先であった。


 どんな事情や善悪も関係なく、わたしは彼らを殺して化石を回収した。話し合いで取り戻せることは一度もなかった。素手で、石で、弓で、刀で、銃で。時代と共に武器も変えて回収を図った。流した血の量など気にすることはなかった。――わたしはもっと罪深いものを抱えているのだから。


 ようやく今日、最後のひとつを在処がわかった。なんてことはない。彼の子孫が持っていたのだ。わたしは数百年ぶりに自分の故郷に帰ってきた。化石は彼の子孫の住む家の中にあるという。わたしはその子孫に会い、化石を譲ってくれるよう頼んだ。懐には銃を入れて。


 だが、子孫は首を振るばかりで譲る気はないらしい。わたしは仕方なく、いつものように銃を取り出し、子孫の頭につける。そして言う。「わたしが引き金を引かないことを祈りなさい。そして、化石をわたしに


 子孫は目を閉じた。そして、「これは先祖代々からの口伝です」と言ってから、もはや世界中の誰も知るはずのないわたしの名前を呼んで、を、続ける。


 その懐かしいフレーズを聞いて、わたしは黒き回帰Revenir au noirにこだわってきた自分の旅が終わったことを知った。そして、彼からもらった永遠に、ようやく感謝をすることができるようになれた気がした。


――心配ないよ。

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