第22話

 帰還した課内は、予想通り殺伐とした雰囲気だった。御山は額を押さえたまま固まっているし、その他はどうにもならない状況に沈黙している。通り掛かりに若造の袖を引っ張ると、二木が弁護士事務所へ向かったらしいです、と小さく耳打ちした。


 必要以上の拘束、外部との連絡の不許可、休息の不許可、自白の強要。どこにも救いはない。訴状が届けば終わりだ。御山は手柄を焦りすぎてしまったのだろう。


 七三の山は崩れ、襟元もだらしない。憔悴を隠さず溜め息をつく姿に胸が痛んだ。一瞥した淺井は動じる様子もなく、普段通りパソコンへ向かっている。自ら口を開くことはありえないだろう。


 訴状が届くのは早くても一週間先だ。それまでに逮捕できれば、御山を救えるかもしれない。私にできることは一つしかなかった。

 淺井に声を掛けようと身を乗り出した時、勢いよくドアが開く。


「二木研哉は、父親の動脈硬化を知っていた可能性があります」

 渋川の報告に御山は顔を上げた。


「確かですか」

「病気のことだとは言わなかったそうですが、夏頃に『保険を請求すれば出るのに』とぼやいていたのを聞いたと」

「夏、か。職場や車関係で保険が発生するようなことは」

「七月なら不払い訴訟の最中だったので可能性はありますが、分かりません。車の方も調べます」

「頼みます」


 課内に拡がった妙な安堵感の中、渋川は数人を引き連れて出て行く。もちろんその中に私は入っていない。この島で手持ち無沙汰なのは私と淺井だけだ。淺井は渋川を一瞥しただけで再び作業へと戻った。


 先さえ読めれば、隙を縫って電話一本掛けるくらい私だって造作ないことだ。でも携帯を覗き見たところで履歴は消しているだろうし、通話記録を確かめるにしてもこちらの開示は駅の防犯ビデオのようにはいかない。


 でも、どこに隠したのか。絶対安静は解かれたとはいえ、自宅安静が必要な状態だ。日中の世話が不可能な自宅へ隠したとは考えにくい。口が堅く、清乃の世話を引き受けてくれるような相手が必要だろう。実家は帰りたくない場所だと言っていたが、どのみち短絡的だ。疑われて捜索されたとしても、すぐには割り出せない場所へ隠したはずだ。それはどこだ。


 本当は引っ掴んで連れて行って尋問したいが、答えないだろう。御山に告げたところで同じことだ。事件が片付くか幸哉を帰すまで、清乃は戻って来ない。

 溜め息をついて顔をさすり上げる。見やった島の先で相変わらず淺井は淡々と仕事を続けていた。その向こうに祈るように知らせを待つ御山が見えて、視線を逃した。



 その晩、母親より更に久し振りの兄から電話が掛かって来た。内容は分かっていたが、捜査の基本に則り兄からも聞く。まあ予想通り全く問題のない離婚で、問題があるのは母親だった。父親では抑えきれないからと頼まれたが、こちらだって自分のことで手一杯だ。私だって、と切り出したところで不意に刑事の自分が頭を擡げた。


「お兄ちゃん、二木幸哉って覚えてる?」

「ああ、二木だろ。なんか事故で酷い目に遭ったって聞いたけど」


 兄は迷う様子もなく答える。まあ、あれを覚えていないわけがない。


「うん、色々大変みたいよ。で、今うちの署に任意で引っ張られてるんだけど」

「え、なんかしたの?」

「父親が死んだんだけど、変死でさ。兄弟両方とも疑われてるの。弟の方は証拠不十分で帰されたとこ。昔、父親のことを恨んでたとか、憎んでたとかそんなことなかった?」

「いや、聞いたことないな。弟のことは嫌ってたけど」


 予想外の方向へ伸びたベクトルに、慌てて傍らのレポート用紙を引き寄せペンをノックした。


「どんな感じだった?」

「口では『好きじゃない』程度だったけど、行動はえげつなかったぞ。弟の彼女や仲のいい子を片っ端から口説いて寝取ってくんだよ。それで自分のものになったら捨てるとこまでが一セットだった」


 仕入れていた情報との差異に、書きつけていたペンを止める。


「向こうが先に惚れたんじゃないの?」

「まあ、そんなのもいただろうけどな。普段から女癖は悪かったけど、あれは鬼畜の所業だったわ。事故に遭ったって聞いた時、悪いけどちらっと天罰が浮かんだからな」


 押し寄せる嫌な予感に、次の言葉が出なくなった。清乃はもちろん「弟の惚れた女」だ。口説いてモノにして妊娠させて、今は別れを切り出す時を待っている最中か。研哉と離婚したら、清乃も「用なし」になるのかもしれない。


「今、弟の嫁と不倫してるんだけど」

「まだ懲りてないのかよ」


 兄は呆れたような口調で返す。驚きでも非難でもない、初めて得る反応だった。


「弟も弟で『いい奴』とは言い難かったけど、人間味でいえばまだマシだったんじゃないか。気も弱かったし、人を殺せるようなタイプじゃないだろ」

「幸哉なら殺せると思う?」

「物騒な話だから無責任なこと言えないけど、弟に比べればな。まあ話半分にしといてくれ。あんな事故に遭ったんだし、今は違うかもしれない」


 兄は慎重な見解を最後に通話を終えた。結局、離婚の話は最初にしただけで私の電話になってしまったが、おかげで助かった。恋に目の眩んでいた昔は分からなかった、生々しい幸哉の姿だ。幸哉が「何も変わっていないなら」、哀れな清乃は隠されて正解だったのかもしれない。


 母親を死に追いやった二木を殺し、その罪を研哉に着せ社会的な人生を終わらせる。一方で清乃を奪って離婚させ、心の支えも失わせる。心身ともにどん底へ落ちたのを確かめたところで、清乃と我が子を捨てる。


 動機の信憑性は、以前より高まった。

 レポート用紙に殴り書きの要点を纏めたあと、携帯を手に取る。深呼吸をして胡座の脚を正座へ変え、通話記録から課長デスクの番号を選んだ。


*


 三十分ほどして鳴った電話は呼び出しだった。幸哉が情報源を私と察して、私となら話をすると言っているらしい。御山に了承を返して通話を終え、部屋干しラックから新しいシャツを引っ張る。顔を埋め、生乾きの臭いがないか確かめたあとで羽織った。


 一度事件を抱えれば、昼間の外干しなんて土日だろうが不可能だ。スーツは纏めてクリーニングへ丸投げして、事件が落ち着いてから取りに行く。刑事課にはその辺の事情に通じた御用達の店があった。私ももちろんお得意様の一人だ。一人ものは黙っていても綺麗なスーツやシャツは出てこない。御山を始めとした単身赴任連中は、こんな時に妻のありがたみを感じるのだろうか。


 妙な方向へ走った思考を断ち、靴へ足をねじ込む。久し振りに関われるのだ、失敗をする訳にはいかない。ドアを開けると一層冷たくなった夜風が吹き込む。時刻はもう十一時近い。今日は留置所にも帰さないつもりなのか、幸哉に法律知識がないことをいいことに絞り切るつもりなのかもしれない。


 保険の一件は不払い訴訟も車関係も関係なかったため、医療保険の可能性が高まった。しかし研哉は「そんなことは言っていない」と真っ向から否定している。言った言わないの水掛け論は不毛で埒が明かない。しかしこの動機なら、幸哉が嘘をついている可能性は十分に考えられるのだ。


 シートベルトを差し込み、鍵を捻る。低い唸りにサイドブレーキを下ろし、アクセルを踏んだ。

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