2-4. 清乃

第16話

 通夜を終えて戻って来た幸哉が、気になることを口にした。通夜の席に姿を現した刑事は、淺井でも滝川でもなかったらしい。


「それで、寄ってって聞いたんだよ。あの二人どうしたんですかって」

「聞いたの?」

「気になったから」


 驚く私に幸哉は平然と返しながらサングラスを外し、喪服の上を脱いだ。予想外の突撃に、向こうもさぞ面食らったことだろう。


「そしたら、違う事件に回されたって。新しい担当は渋川さんて人らしいよ。そのうちここにも来るんじゃないの」

 体を起こそうとした私を視線で制し、荷物の中からハンガーを取り出す。カーテンレールに引っ掛けたあと、器用に上着を掛けた。


「どんな感じの人だった?」

 もう一通り暴いて終わりではなかったのか。新しい刑事に再び根掘り葉掘り訊かれる場面を想像しただけで暗澹とする。淺井はともかく、滝川相手のような気安さは感じられないだろう。


「嫌な感じではないけど、浅井さんに比べたら融通は利かないね。ここまで乗せてくれないかって頼んだけど断られたし。趣味も合わないだろうなあ」

 ベッドの縁へ腰掛けてズボンを脱いだあと、靴下も引き抜く。露わになった左脚には火傷痕だけでなく、金属パーツ出し入れ時についた縫い痕もあった。


「多分、明日の葬式が済んだら研哉は連れて行かれると思うよ」

 左手で器用にシャツのボタンを外しながら、思い出したように不穏な予言を口にする。そう、と小さく口にした答えは届いたかどうか、幸哉はニット帽とパンツ一枚の姿になってから「寒い」と言った。


「着替えは」

「明日の分しか持って来てない」

「じゃあ、そのシャツを着てて」


 寝たまま脱いだばかりのシャツを指差すと、幸哉は素直に着始める。送り出す時に言っておくべきだったのに、滝川と出て行く姿に気を取られすぎて忘れていた。


「朝、滝川さんとどんな話したの」

 さり気なく切り出した懸念事項に、幸哉はボタンを嵌めながら宙を見上げる。


「何話したかなあ。俺のことを覚えてるか聞いたら覚えてるって」

「忘れられてると思ったの?」

「いや、全然。でも、理不尽っていうか不条理だよね」


 諦めたような口調で零しながらこちらを向いた。手招きして近づけたシャツをもう少し引き寄せて、掛け違えていたボタンを外す。


「向こうはみんな俺が好きで俺しか見てないから、俺のことを知ってたり覚えてたりするのは当たり前なんだよ。名前から生年月日からクラスから、俺は何一つ教えてないのにみんな知ってた。でもさ、俺は向こうのことなんて知りようがないんだよ。クラスが同じとか滝川さんみたいに友達の妹なら紐付けできるけど、その他大勢を一人一人把握するなんて不可能だった」

「そんなこと、好きだった子はみんな分かってる。当時の自分を反省はしても、幸哉さんを責めたい人なんていないわよ」


 過去の不躾な自分の行動を苦く味わいながら、最後のボタンを止めた。


「荷物の中に、私のカーディガンがあるから」

 擡げた視線が、じっと見据える瞳を捉える。私にないものを全て含んだ、焦がれてやまなかった瞳だ。明るい色なのに、拭えない翳がずっとつき纏っている。今でも一瞬で私を惹きつけ、胸の奥を掻き毟っていく。恋慕も嫉妬も何もかもが鮮やかで、今も全てが苦しいままだった。


 近づく顔を引き寄せ、冷たい唇を受け入れる。それでも隙間から溢れる息と滑り込む舌は熱い。少しずつ崩れていく体を抱き締め、冷えた肌に布団を掛けた。


 幸哉はふと気づいたように私の背を撫でたあと、掛けた布団を私の方へと戻す。


「どっちの子か聞いてないって言ったら、驚いてた」

「そんなこと言われたって、出てくるまで分からないんだから。気にしないで」


 子供のように私を見上げ、報告する素直な頬を撫でた。もちろん好奇心で訊いたわけではないのは分かっている。それでも、私にはとてもできそうにない仕事だ。


「俺を父親にはしたくないの」

「子供がいるから離れられないとは思って欲しくないの。自分に足りないものを子供に埋めてもらうのは卑怯よ」

「俺は、自分がこれだけ与え尽くされた人を捨てる鬼畜だと思われてることが不満だよ」


 溜め息をついたあと、幸哉は額を寄せる。気づいたようにニット帽を脱いで額を合わせた。温めるように触れた頭は、ところどころに縫い目が触れる。


 ヘルメットのおかげで最悪の事態だけは免れたが、火傷までは防げなかった。髪の毛が残っていたのは左側の一部のみで、それを植皮して頭皮を回復させるにはかなりの時間が掛かると言われた。幸哉は必要ないと答えて、最低限の処置で終わらせた。


「そんなに、俺が信用できない?」

 幸哉は甘えるように鼻先をすりあわせながら、溜め息と共に不満を零す。


「違うの。あなたを落胆させそうで怖いのよ。失望されてそっぽを向かれる自分になる日が怖いの」

「それを世間では『信用してない』っていうんだよ」


 呆れたように返し、私を引き寄せて抱き締め直した。首元で数度、ゆっくりとした息が繰り返される。いい匂いがする、と零した甘い声に歪な頭を撫でた。

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