2-2. 清乃
第9話
義父の変死を受けて聴取に現れた刑事は二人、先に名乗ったのは淺井という厳つい熊のような男だった。続いて隣の女性刑事が名乗ったが、それを待たずとも分かっていた。
スーパーで会った同級生が「刑事になったらしい」と話していたのはいつだったか。途端に以前の姿が思い出されて、似合ってるわと答えたのを覚えている。
中学の頃から、真面目で正義感の強い優等生だった。副室長としての責任感も強く、担任から与えられた任務を完璧にこなそうと努力していた。その中には私達のような怠惰で不真面目な集団を纏める役目も含まれていて、まあそれは本当に大変だったはずだ。
幸哉命で馬鹿だった私はとても滝川のことにまで頭が回らなかったが、もう少し頭のいい連中には回るものもいた。その頃の滝川は今より更に痩せていて髪も短く、分厚い眼鏡を掛けていた。気の強そうな顔立ちや振る舞いも相俟って「男みたい」だったのは確かだ。彼女らがその辺りを揶揄し、馬鹿にしていたのは覚えている。
ただ滝川も滝川で、黙って聞いているような性質ではなかった。教師のコネを最大限に利用し親まで呼び出して、彼女らを完膚なきまでに叩きのめしていったのだ。少しの逃げ道も与えないやり方は、当時の私や他のクラスメイトには「やりすぎ」と映った。
大人になった今なら滝川の行動を評価できるが、十三やそこらの子供が大人の視点など持てるわけがない。滝川が少しずつ孤立していったのは仕方のないことだった。
誰も無視はしなかったが、積極的に話し掛けようともしなかった。班作りや二人一組では最後まで余って、教師と組んだり担任の指示で適当な班に加えられたりしていた。よそよそしく接されている滝川を見て不憫に思うこともあったが、だからといって進んで一緒に何かをしようという気にはなれなかった。滝川と組むと「ちょっとこうしてみない」「こうしたら面白いんじゃない」が一切許されず、理科の実験も家庭科実習も全く楽しくなかったからだ。いつでも正しい滝川は、思春期の私達には息苦しい存在だった。
「あの淺井って刑事さん、君のこと好きだよ」
「なんの話をしてたんですか」
空いたコーヒーカップを盆へ移す向こうで、幸哉はカーテン越しに彼らの車を見送る。
「君になら毒盛られてもいいし、寧ろ盛ってくれないかなって話。同胞だった」
「ほんとにそんな話してたの」
「半分はね」
遠ざかる姿を確かめたあと、戻って来てベッドへ腰を下ろした。事故から約一年十ヶ月、弛まず続けたリハビリは成果を結び、今では杖を使わず歩けるようになった。もちろん足取りはまだ覚束ないし、速度も遅い。でも「歩けるようには」なった。
「そっちは大丈夫だった」
「うん、実家の話を聞かれたくらい」
「あの子、やっぱりきつそうだね」
二脚目を置く指先が、予定より早めに離れた。響いた硬い音に慌ててカップを持ち上げ、底を確かめる。欠けでもしていたら、夫の目を盗んでもう一客買わなければならないところだ。客用に良い食器を揃える考えには同意するが、果たしてこの家にこれほどのものが必要なのか。確かに貧乏ではないだろうが、一客三万のコーヒーカップと宮内庁御用達の銀スプーンが相応しい家格とも思えない。
「多分、友達の妹だ。試合を見に来てたし、遊びに行った時に会ったこともある」
「話したことは」
「挨拶くらいかな。赤くなって逃げちゃってたし」
気になる言葉に、握り締めていたカップから視線を上げた。
「俺のことが好きだったみたいだけどね。『死ぬほどきついから絶対後悔する』って必死に遠ざけようする妹思いの友達が不憫で、何もしなかった」
「友達の妹じゃなかったら、何かしてたの?」
どこにも被害のなかったカップを置き、平静を装いながら隣へ座る。色々と抑えたつもりだったが、幸哉はサングラスを外して左の視線を合わせた。
「このネタ、だいぶ引っ張れそうだなあ」
余裕の笑みで交わそうとする鼻先を摘む。再建された小鼻にも凹凸の残る肌にも、今は躊躇いなく触れられるようになった。
「冗談だよ」
幸哉はまた笑い、体を崩すようにして私の膝へ頭を載せた。そっと額を撫でると、やおら瞼が閉じていく。この手触りや重みの全てを幸せと受け止めきれるほど花畑ではないが、十数年振りの思いが荒み切った胸の内に火を灯したのは確かだった。
「昔はどうかな、手を出してたかもね。でも今はないよ。ああいう底の浅いタイプは好きじゃない」
眉間からニット帽の際まで、縫合の痕をなぞっていた指先が止まる。さっきあんな話をしたせいもあるのだろう。素知らぬ振りで流すには心苦しい言葉だった。
「私、人のことをどうこう言えないくらい酷かったの。ものすごく頭空っぽで浅はかで、少し考えれば分かることを考えようとすらできない、救えないレベルの馬鹿だった」
「だろうね」
それなりに勇気を振り絞った告白を肯定されて動揺する。一瞬で喉が干上がり、肌が汗ばむのが分かった。
「人格や人間性の深みって失敗とか後悔とか、そういう後ろ暗い経験が作るんだよ。正しいものしか追えない、間違いを認められない人にそんな幅が生まれるわけがない」
思わず口走り掛けた過去を慌てて引き止め、唾を送り込む。幸哉は黒い庇を重たげに擡げて私を見上げた。薄暗い部屋の中でも、鳶色はあの頃のように澄んでいる。
「話したくないことは話さなくていいよ。適当に騙して適度にごまかせばいい。一生の愛を誓えなんて傲慢なことは言わないから。まあ、誓ってくれれば嬉しいけど」
その割に、伸ばされた指は唇の隙間へ滑り込んで言葉を塞いだ。言動の乖離は幸哉に限ってはそう珍しいことではない。甘いものから仄暗いものまで、発された言葉を鵜呑みにすれば全てを失うのはこちらだ。それでも、分かっていてもどうにもならないこともある。
言葉の代わりに差し込まれた指先を噛む。幸哉は満足そうに口の端を引き上げて笑んだ。
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