第7話 結局、ずぅーと、このままのまま、ここまで戻ってきちゃった

 どこで潮時かなを言って呉れるかって、ずぅーと待ってたのに、結局あなたはこの40年そこに触れようとはして呉れなかった。


 20年たった。逆打ちの折り返しが入って、再び20年たった。足し算の20年と引き算の20年で小学3年生がする算数なら解はゼロだけど、おとことおんなの彷徨はそんな算数みたいに引き算はないから40年でいいよね。・・・それなのに、あなたはまだ言うのね。わたしはあなたが死んだあと5年先まで進んでからの折り返しなんだから50年だろうって。そんな算数だけが好きな小学生3年生の男の子みたいなこと言うのね。

 意識がなくなったといっても、そのあとすぐに此方こっちに戻ってきたんだもの。それが1日なのか10年なのかなんて、分かりそうなものじゃない。「月命日にオムライス食べてるの」なんてお話、女同士ですもの、お店とお客の間柄じゃなくたって一時いっときは共感してくれるでしょう・・・明治の新派芝居しんぱしばいじゃあるまいし、黒紋付ころもんつき辰巳芸者たつみげいしゃでも拵えるくらい演出しなきゃ、そうそう構ってはもらえないわよ。

 19世紀でも20世紀でもなく、いまは21世紀なんだから、そんなドラマ仕立て、世間のどこにも落ちていやしないのよ。


 瑤子ようこさんだって、そう。

 あなたが危ないのわかってから、「そうしたときように」って、あなたから預かってたアドレスに入れたら、「ほんとうに危ないんですかぁ・・・・ほうとうにこれっきりって時がきたら、教えてください」って。

 きっと、あなたにアドレスせがまれたとき、そのとき用の「ほんとうに」を挟んだ定例文を用意してたのね。と違っての、世間の日常はドラマ仕立てじゃないのよ。オオカミ少年みたいに何度も何度も「危ない」があったら毎日のやり繰りが大変じゃない。そんなダラダラ続いたら、いままで奥の箱に入れて仕舞いこんでどこに置いたかも忘れようとしてきた面倒くさいがぷくっと膨らんで出てくるかしれない、じゃない・・・・一生涯いわなくてもいいことついつい口から出しちゃうヘマしないように、あたまにを付けたくなってしまう気持ち、女ですもの、ようく分かる。


 明人あきとのことは、ここには並べない。並べたくない。

 わたしが気管支炎からの肺炎で死にそうになったとき、「ほんとうに危ないんだ」に気づいたと思う。これが、母だったひとの最期だからと、中学生のときから続けてきたわたしとの我慢比べ終わらせるつもりで、あの子がしってるダンボール10箱分のわたしとの15年間をすべて送ってきたんだと思う。それでお終い。お互いに顔つき合わせて詰めていった10箱より奥の部屋に仕舞ってた時間の方が長くなっていたんだもの。あれが残ってる間は、あの子、カッパ禿げが気になるオジサンになっても中学生のニキビ面したジュクジュクがまだまだ背中に張り付いたまま、可哀想。

 おんな親と男の子の面倒くさい間柄は、やっと切れたの。

 


 女って、そんな生き物。

 1年前も、10年前も、50年前も、昨日も、覚えてる過去は、皆んな同じパラレル。それが、今のわたしをかたちづくっている。今があって、たぶん明日があって、わたしの目の前から消えていなくなるものが出てきたら、それは動かない静かなものになってわたしの中で変換される。

 昨日も、1年前も、10年前も、50年前も、わたしの中で残っていくのは、皆んな過どおりせずに滞まってるわたしのむかし。


 オカルトがかったことなんて一切ないの。あなたという一人だけの観客のために、手の込んだ小芝居こしばいずぉーと続けていただけ。ナンパするのなんて始めてだったけど、あの日はわたしと繋がってる人がひとりもいない地球だったから、そんな今までと決別した身の上だったから、しってる人類のいない初めての星に降り立った気持ちで、十数年、いいえ、数十年ぶりに鬼ごっこでしか使ったことのなかった図書館に行って、誰でもいい誰かをひっ捕まえようと待ち伏せしていたの。

 あれから、あなたは、それに、ずぉーと付き合ってくれているいいひと。

 そろそろ、「ほんとうに」を見せたらどうなの。騙すだってエネルギーいるけど、騙されるのだって、騙されてるふりするのだって、そうとうエネルギー使ってたでしょ。

 いまは、本当の老人カップル。あなたが80、わたしが75。髪の毛だってお肌だって、わたし、みんな化けの皮でこさえてるんだから。

 

 ・・・・・・なのになによ、その顔。何をいまさらっていうその顔、なんだっていうの・・・・・あなた、まだ、カマトトぶるつもり。、ずぅーと続けていくつもりなの。自分だけ天然のまんまの知らんぷりで押し通すつもりなの・・・・なによ、明日が図書館に行く日だから、ふたりがこうして始めた最初の日だから、とうとう入口まで戻ったんで怖気図おじけずいたって言うの・・・・・・・逆打ぎゃくうち始めて、拵えて、此処までの二人のはじまりまで戻ったらその先の崖っぷちをまっさかさまで眺めるのが怖くなったんだろうって、そんないけず言うなら、いま、ここで、あなたの目の前で、ほんとうを見せてあげるから、化けの皮はいであげるから、女子中学生みたいに頭のてっぺんに結んだあたしのシュシュ、外してみてよ。キュッキュッに絞ったつるんつるんが栓を開けた炭酸水みたいにシュワシュワ音を立てて崩れていくから、毎日毎晩の15分かけて丁寧にブラッシングした歯磨きのあとのしとねの中で抱きすくめてきた女は、毎日毎晩の一日づつのよわいを掘り下げていった35の肌は熟女なりたての女の脂なんかひとっ欠片も入ってない、毎日毎晩の一日づつのよわい積み重ねていった75なんだから、後期高齢者なんだから。どんな高額医療受けたって一月4万4千円で済んじゃう身体なんだから、あなただって六十かんれきから掘りさげて掘りさげて四十の男盛りまで掘りさげていったつもりでも、その顔だって、じぶん勝手ふたり勝手の思い込みなんだから、いつ死んでも大往生って言われる80なんだから

 

 ・・・・わたしがなにを怖がってるって言うの、この期に及んで、そんな見え透いたことをですって、なんでまだ、そっち側から一歩も動かずにこっち側を眺める目でわたしを見るの・・・・そんなにお喋りしてるくせに何でひとことも話さないの、なんで、わたしばかりに言わせるの。

 そうよ、あなたは何も話したことはない。この四十年何かを話してもらったことなんて一度もない。お喋りなクセにみんなひとりごと。二人しかいない世界だもの、向かって話している相手がわたしなのはしっている。瞬きもしないでわたしの目を見て話しているのもしっている。でも、あなたが見ているのはわたしじゃない。わたしの目の中の自分の顔、お喋りしてるあなたの口、それを相手にあなたはえんえんひとりごとを喋ってる。

 一日でも一年でも十年でも、叶うんだったら百年だってえんえんと喋ってる。時間の区切りも命の区切りも忘れて、ずぅーとひとりごと喋ってる。それがあなた。あなたってひと。

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よわい六十から逆打ちする 安部史郎 @abesirou

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