アイを燻らす

王生 くるみ

アイを燻らす

私の知らない景色を見てる君が嫌いだった。大工だった祖父は幼少の私と様々な工作に励む時、1時間に1回程どこかに行っては、五分程で帰ってくる。「あと一頑張りや。」そう言って私の肩を叩く祖父の言葉と手からは、いつも嗅いだことの無い匂いがしていた。私の「知らない」を纏っている祖父はそばに居る様で、どこか遠いところで生きている様な、そんな感覚を覚えた。そして、祖父に近づくことは無いまま、もっと遠い世界に祖父は旅立って行った。


青年と呼称されるようになった私の腕には、年齢に対し、不相応な腕時計が巻かれている。祖父の形見として受け取ったそれは、ヴィンテージと呼ばれるほど古いものらしく、故障して、高いパーツで修理して、を繰り返してきたものだ。しかしついに、パーツが出回っていない部分が壊れ、修理もできない状態となった。すごく狼狽して、祖父と造った椅子や小屋を眺めたり、祖父の車に必ず置いてあったガムを噛んだり、と私の気持ちに宛先を書けるように、手当り次第祖父の思い出を振り返った。それでも私のそばには祖父を感じるものがひとつも無かった。家に帰ると私の鼻を刺激する微かな匂いに気がついた。今まで忘れていた、祖父の匂い。それが母からする煙草の匂いであることに気づくまで一切時間はかからなかった。祖父の胸ポケットから覗いていた、白と青のパッケージ。「hi-lite」と書かれた箱。それが煙草なのだと、今なら分かる。


現在の私には、遠くに、すごく遠くに行ってしまった祖父がいる。しかし、私が見る景色は決して孤独ではない。近いところにいる祖父と私は視覚を共有している。誰も温めることのない火を消して、天にのぼり気持ちの宛先を示してくれる煙が消える。もう私の知らない景色を見る君の姿はない。

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