第17話

 夕里亜は何が起こったのかわからず周りを見渡したあと何度も目をこすっていた。


「え、ここ……あれ? 琴子、みんな?」


『成功、したね。良かった……』


 凄まじい疲労を感じ取れる声で夕葉は言った。

 相当、無理をしたようだった。


「夕里亜」


 僕の声に夕里亜は顔を向ける。その表情には不安の色が色濃く表れていた。


「一部だけど、記憶が戻ったんだ。それで……信じられないと思うけど、僕はこの世界の住人じゃないんだ」


 夕里亜は黙ったまま浅く頷いてみせた。驚いたようには見えなかった。疑問に思ったけれど構わず続けた。


「この世界はもうすぐ消滅する、一緒に来てほしい。僕のいた世界に」


 そう伝えてからしばらく沈黙が続いた。次第に波の音が激しくなり、どこか遠くで地鳴りが響いている。それはまるで地球の悲鳴のようにも感じられた。


 夕里亜は俯いたまま、沈黙を破った。


「…………お父さんが、言ってた」


「え?」


「哲己は、自分の世界に帰ったんだって」


 夕里亜が僕を見る。


「哲己をうちで引き取るって決まって、私が世話焼いて、私が……私が哲己を、好きだって父さんが気付いたときに忠告されたの。哲己はいつか自分の来た世界に帰る人だって、そのときは引き留めちゃだめだよって」


「父さんが」


 ついさっき会った時を思い出す。父さんの最後の笑顔が脳裏に浮かんだ。


「私、怖くて哲己がどこかにいかないようにずっと哲己の眼の届く所にいた。私から引き留められないなら、哲己が私を置いていかないようにしようって……でも、あんたはいつも私を見てくれなくて、気付いたら、いなくなっちゃった」


「だから、ずっと僕のそばに……」


「世界が消滅したら、お父さんは、みんなは、どうなるの?」


 答えられなかった。答える必要もなかった。沈黙は、たった一つの答えとなっていた。

 夕里亜は自分の肩を抱きながら、大粒の涙を流していた。


「こんなのって無いよ。やっと哲己が私を見てくれたのに、嬉しいことなのにっ! それを選ぶってことは哲己以外を捨てることなんでしょっ? お父さんも琴子も、クラスや町のみんなも全部捨てなきゃ哲己と幸せにはなれないってことなんでしょっ?」


「……夕里亜」


 捨てる、夕里亜の言葉が胸のどこかに突き刺さった。何かを選ぶとはそういうことなんだ。それが大きいものであればあるほど、代償は、あまりにも。

 突然、ガラスが割れるような音が響いた。僕と夕里亜は咄嗟に空を見上げた。


「空が……」


 空に亀裂が走り、破片となって降ってきていた。

 割れた空の裂け目から顔を出したのは根源的な恐怖を感じさせる闇だった。重たく真っ黒で、見ていると命を吸い取られるような錯覚が襲ってくる。地鳴りがさらに大きくなり海が裂け、地面が割れていく。割れた先は空と同様の闇だった。落ちれば地獄まで真っ逆さまというような深さ。

 きっとこの闇と空の闇が合わさることが世界の終わりなのだと悟った。


「うわっ」


「きゃあ!」


 地面の割れ目は僕と夕里亜の間を別れさせるようにパックリと開いた。

 夕里亜が遠ざかり、ひとり残された。これが終末の世界。どこまでいっても孤独な命の終着点。世界にとってはただのリセットなのだろう。だがそこで生きている者にとっては絶望のなにものでもなかった。


「夕里亜っ!」


 僕は叫ぶ。こんな最後を認めるわけにはいかなかった。

 選ぶんだ。僕は夕里亜を選ぶ、彼女にも僕を選んでもらう。

 その結果、全てを捨てることになっても。


「僕は君に救われたっ! 父さんにも、クラスや町の皆にも話したいこと、感謝したいことはたくさんあるっ! でも、僕は夕里亜を選ぶ。夕里亜がいたから、僕はこの世界で生きていられたんだ!」


 いつも一緒にいてくれた。僕はずっと、夕里亜に救われ続けていた。

 地面の割れ目がどんどん広がっていく。空はもうほとんどが闇だった。


「哲己、私はっ……」


 その瞬間、夕里亜の足場が崩れ、彼女が闇に飲まれていく。

 僕は夕里亜に向かって跳躍した。


「夕里亜っ、手をっ!」


 底の見えない闇へと落下しながら夕里亜は僕に向かって手を伸ばした。その顔はとても穏やかだった。眼から涙を流しながらも安心したような、そんな笑顔だった。


 僕は夕里亜の手を取る、その温もりを確かに感じて。


 世界は、闇に覆われる。

 意識が遠のいていくなか、世界はゆっくりと消滅していった。

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