第16話
「夕里亜っ」
夕里亜は泣きそうになるのを堪えるように僕を見つめていた。
「ごめん、遅くなって」
それがスイッチになったのか夕里亜は僕の胸に飛びついてきた。踏ん張りが効かずに抱き留めると同時に後ろに倒れてしまう。
「バカバカ、どこ行ってたのよっ! バカぁ」
ポカポカと僕の胸を殴り続けるが最後には声を殺して泣きはじめてしまう。僕は包み込むように夕里亜の背中に手を回した。
「ごめん、本当に……」
つられたのか他の女の子たちもすすり泣き始める。
佐久間さんが自分の衣服を着直しながら近寄ってきた。彼女は夕里亜よりも体中が傷だらけだった。
「いやぁホントにタイミングが良いのか悪いのかだね。哲くんらしいけどさ」
「佐久間さん」
「ありがとう。私の大切な嫁入り道具が汚されるところだったわ」
身体が小刻みに震えていることを除けば、彼女はいつも通りの笑顔だった。佐久間さんは誇らしげに左手の薬指の指輪を見せてくる。随分と気が早いパートナーのようだった。
僕は微笑んだあと表情を落として言う。
「小倉くんと、少しだけ話せたよ……」
佐久間さんのの笑顔に影が差した。夕里亜が僕の胸から顔を上げる。
「正道とみんなは……」
あの惨状を夕里亜も見ていたと思う。でも小さくとも希望を見いだそうとしていた。僕はその祈りに応えることが出来す、首を横に振った。
「みんなを助けてくれって、小倉くんが……」
佐久間さんが苦しそうな表情で言った。
「あいつ、最後まで私達を守ろうとして……なんで、こんなことに」
どうしてこんなことに。その理由を僕は知っている。
それは遡っていけば、やはり人間のせいなのだ。人間が世界を疲弊させ、壊した。そして全体重をかける相手がいなくなり、自滅した結果なのだ。
それでも、そうだったとしても、ここで生きている世界の人が、喧嘩したり笑い合っている人が、こうして傷つくのが当たり前だといえるのだろうか。割り切れるだろうか。反論が見つからない、でも、どうしても僕は仕方が無いと思うことが出来なかった。
夕里亜は何も言わずに俯いていた。
小倉くんの好意を知っている彼女は何を思うのか、きっと僕にはわからない苦しみだった。
「とにかく、皆で安全な場所に避難しよう。ここだとこいつらの仲間が襲ってくるかもしれない」
『待って、お兄ちゃん』
「夕葉」
夕里亜が僕を見て疑問の表情を向ける。夕葉の声は僕にしか聞こえていないらしい。
『お兄ちゃんが連れて行きたい人は、その夕里亜って人でしょ。ならその人と一緒に浜辺に来て』
「いや、でも……」
『避難場所なんてもうどこにもないんだよ。その世界にいる人は世界といっしょにみんないなくなる。選ぶってことがどういうことか、お兄ちゃんはわかってたはずでしょ』
「っ……」
「哲己、どうしたの?」
夕里亜が心配そうに僕の袖を掴んだ。
その隣では佐久間さんが首を傾げていた。他の女の子たちも同じだった。クラスメイトで、知っている人で、みんな生きている人だ。僕の選択を、夕里亜はどう思うだろうか。
「夕葉、僕は……」
突如、地鳴りと共に建物が大きく揺れ始めた。悲鳴が連鎖する。
『予想より速い。まずいな』
常に余裕のあった夕葉の声には焦りが滲み出ていた。
鉄筋の校舎とは思えないくらいに床が揺れ続ける。とても立っていられなかった。
『少し無理するけど仕方ない。お兄ちゃん、夕里亜さんを抱きしめてっ早くっ!』
緊迫した空気に当てられて、僕は頭より先に身体が動いていた。咄嗟に夕里亜を抱きかかえる。反射的に夕里亜も僕を抱いていた。
『飛ぶよっ!』
夕葉が叫んだ瞬間だった。目の前の光景がぐにゃりと歪み始めた。視界が真っ白に塗り変わる刹那、佐久間さんの姿を見た。恐怖と不安を滲ませた顔で地震の揺れに耐えている。気さくに笑い、何度も話しかけてくれた佐久間さん。それは夕里亜の幼なじみだから仕方なくなんてものではなかった。
僕を、天瀬哲己をひとりの個人として話しかけてくれた人だった。
僕は見ていられずに眼を閉じる。夕里亜を選ぶ僕に何か言葉を伝えることは許されなかった。
それでも、ありがとうが言いたかった、救われていたと伝えたかった。
そう思い直してすぐに眼を開けると、もうそこには佐久間さんの姿はなかった。
時間にすれば一秒も経っていなかったと思う。気付くと僕と夕里亜は浜辺でしゃがんでいた。
残滓の海、僕と夕里亜が会った場所、僕と夕葉が再会した場所だった。
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