第5話

 遠ざかる夕里亜を見送ってから、僕は恨めしそうに佐久間さんを見ると、彼女はくくっと笑ってみせた。


「相変わらずこの手の話は弱いねぇ、夕里亜は」


「ちょっとからかい過ぎじゃない?」


「だって言葉にしないでうやむやにしてるだけじゃん。もう卒業まで半年もないんだよ、いつまでも子どもじゃいられないんだから」


 そういう佐久間さんの顔は、大人らしい、それにて寂しそうな笑みを浮かべていた。


「夕里亜は、哲くんが好きなんだよ」


「うん、知ってる」


「じゃあ哲くんは、夕里亜のこと好き?」


 僕が応えないとわかっていたのか、佐久間さんはもう一つ、僕に問いかけた。


「哲くんは、街を出るんでしょ?」


「……うん」


 高校を卒業したあとの進路は二種類だった。


 町に残り、生活を守るか。

 東京に行き、日本の未来を守るか。


 東京には有識者が集う研究機関がある。

 大自然への対応や機械の発明、増産、生活必需品の開発。そしてこれらを各地に送る物流。みんなその場の生活で手一杯という人が多いので町に残る人がほとんどだけど、なかには国のためにと高い志を持って出て行く人も一定数はいた。


 正直、僕はそんな仰々しい旗を掲げられるほど立派な人間ではない。でも、僕が選ぶ道はこのひとつしかなかった。これ以上、天瀬家に迷惑はかけられない。


 佐久間さんは肩を竦めてから歩き出す。僕がその後ろついていくと佐久間さんは振り向かずに言った。


「哲くんをここで見つけて三年なんだよねぇ、あれは本当に驚いたなぁ」


 歩を進めながら、佐久間さんは浜辺へと視線を送る。つられるように僕も海側を見た。

 砂浜には船の残骸などといった大小問わないガラクタがたくさん散乱していた。外国から流れてくる物や何かよくわからないような物が流れてくるらしい。前時代の遺物がやってくることからここは『残滓の海』なんて呼ばれていた。


 三年前、僕はここで見つかった。

 自分の名前以外を持たない真っ白な人間として。

 僕は、僕が倒れていた辺りを見つめながら言った。


「あの夜、夕里亜と佐久間さんが僕を見つけてくれなかったら、僕は死んでいたよ」


「大袈裟。私はテンパりすぎて大人を呼びに行くことしかできなかったし。哲くんが無事だったのは、夕里亜が冷静に救命措置したからだよ」


「うん、感謝してるよ」


「だから夕里亜のためにこの街に残って、なんて言わないけどさ」


 佐久間さんが振り返って、僕を見る。


「哲くん、みんなから嫌われてるって思ってるでしょ?」


 肯定するか迷って、僕は苦笑するだけに留めた。

 国の統制が死んでから半世紀。日本ではいくつもの町が構成され、町ごとの社会が構成されるようになった。町というコミュニティだけの自給自足の生活は、住民の横の結束が不可欠であり、結果として町外からの人間は拒絶される向きがあった。


 よそ者である僕がここで暮らせたのは一部の大人の説得があったからだ。

 それでも町の大人達が向ける僕への疎外の目つきは変わらない。学校でもそうだった、僕に話かけてくれるのは夕里亜と佐久間さん、そういう意味で小倉くんも僕を住人としてみてくれるひとりだった。


「実はさっきの嘘でもないんだよ、哲くんをいいなっていう女の子はけっこういるの」


「いやいや、まさか」


「まさかって思うよね。でも本当。男の子だって哲くんと仲良くなりたいって子いると思うな。小学生とか小さい子はかっこよく見えてるんだよ、あのゴリラみたいな正村をホイホイ投げ飛ばすんだから」


 それはにわかに信じられないことだった。

 学校の人たちははいつだって僕と距離をとっている。よそ者とは関わるなという大人の教えがあるからだ。特別嫌がらせをされたことはないけれど、一度も話したことない人ばかりだった。


「よそ者だからとか、迷惑がかかるとか、誰も思ってないんだよ。当然夕里亜もおじさんも。だから、そういう理由で町を出ていっちゃうのは寂しいなってね」


「そんなことは……」


 言い淀んでしまう僕を見て、佐久間さんは声を出して笑った


「その優しさはきっと哲くんの良いところだけど、夕里亜を傷つけちゃうかもよ」


 帰ろ、と佐久間さんはまた歩き始めた。


 さざ波の音に僕は残滓の海に目を向ける。どこからか流れついた名前のない物たちに問いかけたくなった。僕はいったいなんの残滓だったのだろうと。

 僕がなんであるのかさえわかれば、この霧がかった気持ちも少しは晴れるのかもしれない。

 そんな現実逃避をして苦笑した。ないものねだりもいいところだ、失った記憶は、いまの僕で埋めていくしかないのだから。


 少し足を速めて佐久間さんを追いかける。

 帰ったら夕里亜の機嫌をとらないといけない。きっと佐久間さんにからかわれてプリプリしてるだろうから。


 このとき、海の浜辺でひとりの少女がこちらを見ていたことに、僕は気付くことが出来なかった。

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