第4話

 放課後の帰り道。

 僕と夕里亜、佐久間さんと三人で下校するのは毎日のことだった。午後の授業が終わったあと、小倉くんが夕里亜に一緒に帰るのを誘い、夕里亜が断るというイベントも毎日のことで、皆でクスクス笑うのも毎日のことである。

 とはいえ、小倉くんは至って真面目なので僕は見ているのが痛々しかった。そう思うのが恋敵だけというのも皮肉な話である。


 別に夕里亜は小倉くんと帰るのが嫌というわけではなく、小倉くんは柔道の部活があるから、それが終わるのを待つのが嫌なだけだった。

 ただ「嫌よ、哲己と帰るから」と返すものだから、その度に僕は小倉くんに睨まれる羽目になっていた。せめて佐久間さんの名前も出してほしいのだけど、あまり意味はないのかもしれない。


 海のさざ波が聞こえる。

 僕たちは堤防を挟んだ海辺の歩道を歩いていた。家までの帰り道を考えると遠回りになるのだけど、僕たちは決まってこの道を通ることにしていた。

 ここは夕里亜が好きな場所で、僕と夕里亜が出会った場所だから。


「二人は卒業したらどうするの?」


 少し先を歩く佐久間さんが投げかけた。あまり触れたくない話題である。


「私は父さんの仕事を手伝うだけ」


 僕の隣りの夕里亜が即答した。


「おじさん、立派な人だもんねぇ。でも勉強が出来ないときついと思うよぉ」


 夕里亜はグサリと胸に何かが刺さったように顔をしかめた。容姿端麗で運動神経も抜群の夕里亜だったが、勉学は笑えるレベルで苦手だった。人間そう簡単には文武両道の素質は持たせてくれないのだなと、彼女を見ているとすごく思う。


 ぐっと黙っている夕里亜に、僕は言った。


「そろそろ期末テストの準備しないとね、ノートはちゃんととってる?」


「たまに、寝ちゃってる」


「……うん、よく見かけるよ」


 授業中、背筋をピンと伸ばした姿勢のまま目を閉じている夕里亜の様子は何度も見ていた。それは美しい工芸品のようで静かなオーラを発しているのか、先生に当てられることは一度もなかった。


 佐久間さんは僕たちの会話に笑みを浮かべながら、僕へと視線を転じた。


「哲くんは?」


 その質問は彼女なりのエールだったのかもしれない。歳を越せば、卒業まで三ヶ月弱だ。僕は夕里亜に伝えなければならなかった。僕の進路、僕の生き方を。


「決めてはいるよ、どうするかは」


 そう応えると夕里亜が固く唇を結ぶのが横目に見えた。

 佐久間さんと目が合って、僕たちは互いに苦笑してみせた。


「佐久間さんは、何か決めてるの?」


 そう聞くと、彼女は待っていたかのように照れ笑いをした。


「私は結婚よ、結婚」


「相手がいないでしょうが」


 夕里亜が言うと、佐久間さんは誇りきった笑みを浮かべた。


「実はそうでもないんだな。この前話したでしょ? お父さんの知り合いの息子さんが私にお熱だって」


「そんなこと言ってたわね、でも乗り気じゃなかったじゃん」


「それが実際、会ってみたらさぁ。もう大人の男って感じで」


 何を思い出したのか佐久間さんは身体をクネクネ動かして恥ずかしそうにしていた。詳しく聞いて欲しそうな顔だったけれど、夕里亜は「よかったじゃん」と淡泊に言っただけだった。


 昨今の男女の縁結びはお見合いが多数を占める。育った町を出て行くことがほとんど無くなり、地元の人間同士で付き合うことが多いからだ。小倉くんのような誰かを好きになってみたいな恋愛から発展する結婚もあるけど、大抵、親同士が自分の子どもを勧め合うのが通例と化していた。


「で、二人はいつ結婚するの?」


 あまりに自然に発せられた台詞に、僕は反応に遅れてしまった。対して夕里亜は硬直したまま動かずに足を止めた。

 佐久間さんは面白がるように意地の悪い笑みを浮かべて


「楽しみだなぁ。二人の遺伝子を継ぐ子はどんな子どもなんだろうね」


 夕里亜は俯いて顔を隠そうとしてるけど、耳まで真っ赤になっているのは隠し切れていなかった。気が強くて気品を鎧のように纏っている彼女はこの手の話にめっぽう弱い。もちろん、佐久間さんは確信犯だ。夕里亜をいじれるのは僕たちの世代で佐久間さんだけだと思う。


「ば、ば、バカなこといわないでよ、もう」


「バカなことじゃないでしょ、子作りは私たち女にとって最重要使命なんだから。街の外から人は滅多に来ないわけだし」


 佐久間さんはチラリと僕を見る。


「哲くんは有望よ、強いし頭もいいし、顔もまあまあだし。いいなって思ってる女子はけっこういるんだから。美人の誰かさんがいつもそばにいるから近寄れないだけでね。夕里亜が興味なくて正道のほうに行くなら、私が哲くんの相手見繕っちゃおっかなー」


「ダメっ、絶対だめっ!」


「へぇー、どうしてぇ?」


 赤面した夕里亜が僕をそおっと見つめる。目が合うと心配になるくらいの赤い顔になって一目散に走り出した。


「琴子のバカっバカバカバカバカバカっ!」


 あまりの足の速さに、バカの連呼が音楽のフェードアウトのように聞こえた。

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