第3話 最初の人間

 光を見たような思いで思わず駆け出し、手を差し伸べかけたKだったが、すぐにその身体は凝結した。立ち上がった男はまだ若く、三十にいっているかいないかくらいだったが、やけに真白なシャツを着て、スーツ姿である。それとはあまりにアンバランスに、顔の下半分をひげが覆い、髪も伸びている。

 そして何よりも、工事現場の廃墟からでも持ち出したのか、太く長い鉄棒を手にしていた。まるで、格好は現代人だが、中身は原始人に逆戻りしたかのようなのだ。

 うぉう……という声さえも、まるで獣のようだ。

 しかし、数秒後、その音はしっかりと声に変わった。

「生きている人間が、まだいたのか」

 はっきりとした発音だった。それを聞いてKは再びほっと気持ちがゆるんで男の方に駆け寄っていく。

 生きている人間がいた。人間の姿を見ること自体、何日ぶりだろう。Kは初めて自分が激しく人間と出会うことを欲していたのだと気づいた。感激が胸を熱くした。

 が、それも短い間だった。

 近づいて男の顔がはっきりと見えるようになったとき、Kは、その男の目がひどく虚ろで、生気がないことに気づいた。

 本能的に踵を返し、逃げようとするが、男も早かった。

 再び獣の叫びを上げ、鉄棒を両手で振りかぶってKを殴ろうとした。

 本当の恐怖がKを貫いた。この世界では、もはや暴力も殺人も止めるような人間自体が存在しない。誰も助けを求められる人間がいない。

 Kも自ずから叫び声を上げて必死に走った。

 振り下ろされた鉄棒はKのシャツの端をかすめてアスファルトの表面を打った。反動が激しかったようで、男の痛みに悶える声が聞こえる。視線を向けると両手をこすり合わせて痛みを和らげようとしている。

 Kは積み上げられた廃車の山に無我夢中でよじ登りはじめた。

 男は再び鉄棒を持ってKを追う。

 廃車の三台目に手をかけたところで男に追いつかれ、ひゅんという、風音が耳をかすめた。次の瞬間、廃車の壁にしがみついていたKの左足に激痛が走った。

 悲鳴を上げながらKは、何とか痛みをこらえ、両手と右足を廃車の壁から離さずにいることに成功した。同時に身体の深奥からこれまでに経験したこともないほどのどす黒い憎悪が噴出した。

 興奮状態が痛みよりも大きくKを動かし、彼は両手と右足でさらに廃車による突起の多い壁をよじ登った。もはや、男の鉄棒は届かなくなっていた。すると男は鉄棒を横に投げ落とし、自分も廃車の山を登りはじめた。Kはさらに急いで、頂上のモスグリーンの乗用車のへこみが目立つ屋根まで行った。

 見境のなくなっている男は、がむしゃらにKの後を追って登ってくる。もはや、理性などどこかに落としてきてしまったのだろう。自己保存本能よりもKを追うことに夢中になっていた。目はすでに濁っており、頭髪は毛束になるほど汚れ、顔の下半分を覆ったひげも薄汚い。シャツだけが、着替えたばかりなのか、奇妙なほどに真白だ。

 Kは頂上で辛抱づよく待った。そして、男がKと同じようにモスグリーンの乗用車の車窓のくぼみに手をかけたタイミングを狙いすまし、無事なほうの右足を思い切り突き出して、男を仰向けに蹴り落とした。男がアスファルトに叩きつけられる鈍い音がした。

 この高さでは即死は出来ないだろう。Kは左足をかばいながら、下を見下ろす。男は蹴り落とされるままに頭から落ちたらしく、体はまだ動いていたが、頭部から血が流れはじめた。Kはほっと大きい息を吐き、さらに深呼吸を繰り返したうえで、今度は廃車の山を下りはじめた。

 用心して、男がひっくり返っている場所とは少し離れた場所に降り、男の投げ捨てていた鉄棒を手に取った。

 それから男をのぞき込むと、何かかすれた音を発している。

 Kの姿を目に留めると、男は最期の力を振り絞るようにそれを言葉として発した。

「最後の、一人、になりたかった」

 どうやらそれがKを襲った動機らしい。どうせすべての人間が消滅していく運命だとしても、男は自分が最後になりたかったようだ。

 そのときKには、そんな男の気も知れず、ただ浅ましいと感じただけだった。

 できれば男に打たれた左足を医師に見せたかった。しかし、早稲田通り沿いに歩きながら左右にクリニックがないか確認するも、あってもすでにもぬけの殻だった。せめて湿布などがないかと思ったのだが、医療品なども持ち出した人間がいるらしい。

 骨折まではいっていないが、どうやらひびでも入っているらしく、まともに歩くのは無理だった。

 幸い男の残していった頑丈な鉄棒があったので、それを杖にしながら左脚を引きずりつつ歩く。慣れてくると、それなりの速度で歩けるようになっていた。

 けれど、重い鉄棒を杖にしているので、肩の方が痛みはじめる。代わりのいいものがないかと目で探しながら歩いたが、鉄棒よりもよさそうなものはなかなか目に入らない。

 Kは、東京メトロ早稲田駅の入り口を横目で見、とりあえず飯田橋までは早稲田通り沿いを行こうと思った。コンビニはほぼもぬけの殻だったが、都内地図の本をかろうじて手に入れた。スマホの電源は切った。いつ切れるかも分からないことに怯えながら行くことが、何かしら耐え難く感じたのだった。

 相変わらず衣服やかばんなどが散らばり、廃車にあふれる道のり。

 Kは知らず知らず、左右の歩道のほうには目をやらないように気をつけるようになっていた。

 考えても見るがいい。

 親が突然消滅した場合、子どもはどうなるのか、ましてや赤ん坊は──。

 消滅する前に死んでしまった幼子たちの亡骸を見るのは、先ほど生まれてはじめて人を殺めたKにとっても堪えるものだったのだ。

 逆に言うと、これだけの大量の人物(そう、もはや大量という言葉がしっくりくる)が消滅したのに、その亡骸がないことが、不気味でもあり、ありがたくもあった。Kは消滅をイコール「死」と思っていたし、先ほどの男もそう思っていたが、ふとそうなのだろうか、と思い当たる。消滅した人間はどこか別の世界で別の生き方をしているのではないか。

 しかし、Kは首を振った。Kは徹底したリアリストで、霊魂の存在もパラレルワールドも超常現象も信じることはできなかった。、その問いに対する答えはなかったが、それでもファンタジックな空想を持つことも、その希望にすがることもKには出来ないのだった。

 しかし、そんなKでさえ、この事態は何かのような存在の意思のように思えてくるから不思議だ。

 特定の宗教はもちろんKにはなかったし、理性では、この事態も何らかの物質の法則であり、科学で解明されうるものだと思っていたのだが(解明できる人間がいたなら!)、それでも心のどこかでを思うのだった。

 それは形を持ったものではなく、大いなる意思としか言い得ず、善悪などの判断基準もなくただ存在するもの──そういうふうに感じるのだった。

 人間が消滅しはじめてからまだ大した日数も経っていないのに、街はすでに死に体だ。

 飯田橋までたどり着き、後楽園の方向に行先を変えてまもなく、かの遊園地のジェットコースターがただの鉄の骨組みとして眩しい青空に映えている姿を見たとき、なぜか涙が頬を伝った。べつに遊園地に格別の感慨があるわけではないのに。

 驚くほど音がなかった。

 人声のざわめきはもちろんないし、市街地にいる小動物は限られる。風が吹けばからからと空き缶やペットボトルなどのゴミが転がる音はするが、かえってそれが寂寥の思いを強くする。

 ただ、自分の持つ鉄棒の杖を引きずる音、左脚を引きずる音、自分が吐く息の音。

 あとはせいぜいカラスの鳴き声だ。

 犬や猫でさえ、姿がない。屋内で死に絶えてしまったのだろう。

 なるべく目を向けないように注意はしていたが、アスファルトの上で半ば干からびた遺体になっている幼子を目にするとKは全身から力が抜け落ちていくようだった。埋葬してあげようというまでの気力はない。けれど、そっと何かカーテンなどの布の切れ端とか、ビニールシートとか、近場で枯れかけてはいてもまだ花をつけている枝をそっとその上においてやり、両の掌を強く合わせた。

 合掌する以外に死者を悼む方法は思いつかないのだった。

 それでも、誠心誠意を込めて彼らの冥福を祈った。

 見るに堪えないほどに原型をとどめていない遺体もあった。推測するに、ドライバーが消滅した車に突っ込まれて交通事故死した人たちの遺体だ。そのあまりにも惨めで、回収もしてもらえない遺体を見るのは辛かった。かろうじて、衣服の切れ端から、かつて人間だったことが分かるだけの肉塊。

 最初は近寄るのも恐ろしかったが、やがて思い直して、なるべくその亡骸を何かで隠してやるようにした。鳥や犬の餌食になっていくのかと思うと堪らない気持ちになるのだ。

 もうすでに、それらの遺体はものすごい悪臭を放ってはいたが、Kは堪えて空きビルや空き家から持ち出したイスや布団でもいい。息を止めて遺体に近づき、遠くから投げるようにして遺体にかぶせ、また手を合わせるのだった。

 これほどの苦行を強いられるくらいなら、自分もいっそのことひと思いに自死しようかとも思うのだが、奇妙なことにやはりそれは何かためらわれるのであった。

 なかには、明らかに高い建物から飛び降りたらしい遺体もあり、その数はだんだん増えていくのだった。

 これほど死者の姿に心が傷つきながらも、Kはすでに複数の生きた人間を手にかけてもいたのだ。

 あの最初の、「最後の生き残りになりたかった」という狂った男だけでなく、同じような類の人間がときどき現れる。

 ひっそりと死に絶えているような街だが、まだ消滅もせずに生きながらえている人間は一定数潜んでいるようなのだ。

 眠るときはなるべく外から見えないような物陰を探したり、逆にかつては会議室やホールでもあったような広く見通しの効く場所を探すのだが、それでも生き残りに出くわしたことは何度かあった。

 最初の男のように、自分が最後の生き残りになりたいというような願望を口にする者もいたが、後にあった人間たちは「早く終わりにしたい」ということを口走るものも多かった。その気持ちはKにも痛いほどよく分かった。

 はやく、すべての人間を消滅させ、すべてを終わりにしたい。

 そういう思いがどんどんと募っていく。それは決して、人間を嫌う思いから出ているのではなく、むしろ愛する人類の最期の苦しみを長引かせないように、早く死に水をとってやりたいという気持ちだった。

 人間とは、人類とは何だったのだろうか。

 生き物、動物、哺乳類。

 けれども、明らかにその他の生物とは違う種のものだった。霊長類という言い方は、あながち間違ってはいないとKは思っている。

 つい最近、消滅が始まるまでは、人新世などという言い方が提案されてもいた。

 明らかに自然界から生み出され、自然の一部をなしていた人類が、その自然に大きな──そして多くは負の──影響を与えることを、地質学的に新たに区分しようという考え方だ。

 二酸化炭素の増加、オゾンホールの破壊、地球温暖化、核物質や人工化学物質の大量生産・放出。また他の多くの種を絶滅に追い込んだ乱獲や環境汚染。

 とりわけ、十九世紀、二十世紀以降の生産力の爆発的な発達と人口の著しい増加。

 ホモ・サピエンスの誕生以来緩やかに増加していた人口は、産業革命の時期を境に急激に上昇し始めた。これは何を意味していたのだろうか。

 中世を繰り返し襲ったペストなどの伝染病の脅威をしのぐ、二十世紀の二つの世界大戦を始めとする人類同士の大量殺戮の時代。それでも増加しつづける人類──。

 このような現象と、現在起こっている人類の消滅とは、何かの関連があるのだろうか。

 それを見て美しいと思う者の消滅しつつある大地を、星明りが照らし出しまるで辺り一面濡れているようだった。Kは、生まれて初めて天の川というものを肉眼で見た。

 上野まで来ると、上野公園内の広い道をゾウが歩いていた。ゾウもいきなり檻の外に投げ出されて、どうしてよいのか分からないというふうに当てもなく歩いているように見える。その遠くにはキリンの長い首も。

 見ると、ウサギやタヌキなどの小動物の姿も見かける。驚くべきことに、ライオンらしき影も遠くに見えたが、腹が満ちているのかこちらに来ようとはせず、街路樹の向こうに消えた。

 国立科学博物館も、国立西洋美術館も──上野公園にある文化施設はすべてきっちりと施錠されていた。盗難や破損を恐れたのだろうか。しかし今や、そんなことをしようと考える人間もいるまい。どうせ買う人間もいないのだ。

 いや。

 Kはもう一歩考える。

 しっかりと施錠して逃げたのか消滅したのかした係員は、せめて人類が存在していた証を、後々まで残したいと考えたのかもしれない。人間がすべて消滅したら、この中にあるものを認識しうる存在も消えてなくなるということにはなるが、それでも、遠い未来でも、宇宙の果てからでもいい。いつか、いつか理解しうる存在が見つけだしてくれるかもしれないではないか。

 文字は、解読されるかどうかは未知数だ。その点、美術品なら、すぐに分かるはずである。

 もうすぐすべての認識主体が消えうせるというのに、それでもと思う気持ちをKもまた持っている。

 人類が消滅するとは、世界を認識し理解することのできる唯一の存在が消えるということ。それは世界の消滅に等しいのではないか。

 長い間檻の中にいて、もはや飼いならされ野生を忘れている動物たちの動きは鈍かった。Kはもともとは動物が好きだったが、今は近づいて撫でてみようという気にもならない。

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消滅世界 仁矢田美弥 @niyadamiya

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