第2話 旅に出る

 Kには、帰るべき場所もなかった。ただ、消える前に、出来れば見ておきたい場所はいくつかあった。電車が動いていることを幸いに、Kは自分のマンションを後にして、旅に出かけることにした。マンションの掃除や片付けを軽くやり、どうしても手元に持っていたいものだけをキャリーケースに入れて持っていくことにした。いつ消滅するのか分からないとはいいながら、無意識ではまだこの先もことを前提としている自分に気づき苦笑する。

 でも、それならば、これまでだって多くの人間がそうであったではないか。事件や事故で急死してしまった人たちも、ほんの少し前までは自分が死ぬ=消滅するとは夢にも思わなかっただけのことだ。

 そういう意味では、すべての人間にいつか訪れるものであったものが、急速に、可視化されて起こっている事態と言えないこともない。

 リアリストのKは、死とは消滅だと信じていた。

 今回人類を見舞った事態について、その原因は知る由もなかったが、もともと人間、いや生き物である以上背負わされた運命が早く訪れているようにも思えた。

 Kは消滅するまでは存在することを頼りに、存在する限りで存在しつづけようと決めていた。

 最近は、自らを死に追いやる人々の噂や細々とした報道もあったが、Kはそんな気にはなれなかった。この世に強い執着を持つわけでもないが、消滅するまでは存在しよう。考えてみれば、執着すべきこの世そのものがすでに消滅しかかっているのだが。

 ともかくもKは、このカタストロフィーについて深く考察しようとするような性質の人間ではなかったのだ。

 ──出かけるのは朝がいい。

 Kは日の昇る時間と同じくらいに、キャリーケースを持って自宅を出た。自分の消えた後にしばらく存在しつづけることを思うと、清潔な服装がいいと思い、買ったまままだ未着用だったシャツと、比較的新しめの動きやすいジーンズを身につけ、足が痛まないようにスニーカーを履いて出かけた。

 何かを書くことがあるかもしれないので、ノートと筆記道具を持ち、何かの画像を残すことがあるかもしれないので、スマホではないカメラを持った。はたしてそれを見る人間がいるのかどうかも怪しいものだったが、そうせずにはいられなかったということもある。

 あらかじめ行先を決めていたわけではないが、道路に出てキャリーバッグを引きつつ駅に向かう間に、Kは決めた。

 平泉に行こう。いちど、奥州藤原氏の世界を見てみたいと思っていた。行こうと思えばいつでも行けると思うと、なかなか腰が上がらないものである。スマホはまだ見ることが出来るので、アクセスを確認した。最寄りは東北本線の平泉駅だ。さて、どうやって行けばいいか。鉄道は機能しているとはいえ、すべてではない。すでに鉄道関係者がすべて消滅してしまった地域では、運行は停止されているところもある。

 ネット上の情報も最新ではない。最新に更新する人間がどんどんいなくなっているからだ。新幹線はすでに運行を停止している。行くなら在来線を伝うように行くしかないだろう。

 東北本線は上野から出ていることが分かった。Kの自宅最寄駅は西武新宿線野方駅である。ここからJR山手線に接続して行けるだろうか。もし、すでに山手線がストップしていても、西武新宿線の駅でもある高田馬場と上野との間はさほどは離れていない。歩いても数時間だろう。

 野方駅前の狭苦しい場所にひしめき合うように集まっていた商店街も、今はひっそりとして、ゴミやそれを漁るカラスや猫の姿ばかりが目立つ。商店は大体空になっている。

 世界がこのように終末を迎えようとするとき、貨幣は無意味だった。その点、戦時中とも様相は違い、そしてより深刻だった。人間社会が成り立たないのなら、お金に何の意味もなかったのだ。ただの紙切れと安い金属で出来たものでしかない。

 Kが面白く思ったのは、商店がいかにも荒らされたような状況ではないということだ。一人一人が、申し訳ないと思いながらやむなく商品を取っていったような感じなのだ。

 飲食店も同様で、保存の効く食材や、大型冷蔵庫の中のものも、大体が空だった。

 路上にゴミが多いのは、略奪行動によるものというよりは、そうやって食材を持ち出した人たちのうち何人かが商店街を出る前に消滅してしまい、着ていた衣類などと一緒に、手にしていた食材もそのまま投げ捨てられたことによるようだ。

 あちこちに埃をかぶって風に飛ばされている衣服を眺めるのは、Kにもさすがに憂鬱だった。

 西武新宿線は、あと三時間待たなければならなかった。それだけの時間を憂鬱な気分で待つくらいなら、歩いていこうとKは思った。運行がほとんどないので、線路伝いに歩いていこう。線路上を歩く子どもたちの、昔の映画のポスターを思い出した。あの映画も、青春の映画のようでいて、死や苦さをうまく底においていた。ああそうか、人類のつくり出した「作品」たちは、もうすぐ誰にも認識されなくなるのだ。

 空を見上げた。秋の澄み渡った空。鰯雲。──そのように感じとる人類がいなくなっても、空も雲も太陽もあり続けるだろう。でも、それは存在していると言えるのだろうか。

 そうとも言えるが、言えないようにも思う。

 ましてや、人類の「作品」をや。

 それを認識するものがいなくなった世界で、それらは存在すると言えるのだろうか。

 もしかしたら、はるか先の宇宙で、それこそ地球外生命体の、人類に匹敵する知能者が地球を訪れることがあれば、は、ここに間違いなく「文明」の痕跡を見いだすことだろう。しかしそれは、もはや本来の目的を離れた、それこそ博物館の中の収蔵品のようなものだろう。

 「文明」は、滅びる。完全に。

 この謎の大量消滅の理由が何であれ、この「世界」はする。

 Kはようやく高田馬場まで出た。

 かつては学生が多く、活気のあった街だが、今は雑然としたビル群がただ無表情に立ち尽くすだけの場所となっている。駅前ロータリーの、小さな「平和の女神像」だけが、以前と同じように両手で何かを捧げるようなポーズで建っている。「平和」というのは、もはや現在においては次元の違う概念でしかない。

 ここにも、色とりどりで、けれども薄汚れた衣服が落ちて、しかも吹き溜まっている。汚らしいとも言えるが、人間の存在した痕跡でもあるのだ。近いうちにすべて劣化し消えてなくなるだろう。

 早稲田通りは、ところどころ、廃車が散らばり、場所によっては高く積み上げられている。運転手を失い、玉突き事故がさんざん繰り返され、片付ける者もなくそのままになっているのだ。

 大通りの中ほど、つまり車線にも汚れた衣服が落ちている。カラスだけが生きているもののように飛び交っている。

 Kも通りの真ん中を歩いた。

 無意識に下を見ながら歩く。

 衣服と一緒に、カバンの類、腕時計、ネックレス、指輪などの装飾品も散らばっている。

 Kはそういったものに詳しくはないのだが、それでもおそらくかなり高価なのではないかと思われるものもあり、どこかで聞いたことのある有名なブランドの表示があったりする。Kは不思議な思いで、やけに興味深くそういったものたちをしげしげと眺めてはまた元の場所に返していく。

 お金と同じように、高価なものも意味をなさない世界になったのだ。

 空だけは輝きを増したように思える。日の光を照りかえすまだ真新しい建物や看板の方が痛々しい。

 何を考えるでもなく歩きつづけたKだったが、明治通りとの交差点の手前で急に立ちどまった。以前は非常に見通しのいい交差点だったが、今は車の残骸が道を閉ざしている。視界に動くものがあった。カラスの類ではない。縦に伸びたシルエット。あれは、人間だ。

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