第9話 行司初体験!
よく分からないまま相撲をとることになった山田さんと安岡さんだけど、それにも増しておかしな展開となった。なんと、わたしが行司を務めることになったのだ。
安岡さんが言うには、節子さんだと公平な判定ができないから。けど、気持ち的には、わたしも山田さんに勝たせてあげたい。
「さあ、着きましたよ。覚悟はいいですか?」
公園に着いた途端、安岡さんは山田さんに余裕の表情を向ける。喫茶店から歩いて五分くらいで着いたその公園は、 砂場と鉄棒があるだけの、こぢんまりとしたものだった。
「言い忘れておったが、わしはこう見えても、昔柔道をやってたんじゃ。ナメてかかると、痛い目に遭うぞ」
「そうですか。じゃあ、遊びは無しで、真剣にお相手しましょう」
二人はジャケットを脱ぐと、共に気合のこもった顔をしながら、木枠で囲まれた砂場の中に入った。わたしはその辺に落ちていた木の枝で仕切り線を引き、テレビで見た行司の見よう見まねで、二人に
「見合って、見合って。はっけよい、のこった!」
わたしの掛け声と同時に、二人は組み合った。
「のこった! のこった!」
真剣な顔で激しく押し合う二人に、わたしも精一杯声を掛ける。すると、その声が聞こえたのか、いつの間にか周りはギャラリーで溢れていた。
「二人とも、がんばれ!」
「マドンナが見てるぞ!」
「でも、もう年なんだから、あまり無理するなよ!」
応援とも野次ともつかない言葉に、笑いそうになるのを堪えながら、なおも声を掛け続けていると、疲れの見えてきた山田さんを、安岡さんが一気に木枠まで押し込んだ。山田さんは木枠に足をかけながら懸命に堪えているけど、このままでは、そのまま押し出されるのは時間の問題だ。
「のこった! のこった!」
わたしは山田さんになんとか粘ってほしくて、懸命に声を掛ける。すると、まるで願いが通じたのかのように山田さんは息を吹き返し、大柄な安岡さんを見事に投げ飛ばした。ギャラリーの割れんばかりの拍手が鳴り響く中、わたしは軍配に見立てたスマホを山田さんが立っていた西側へ向け、山田さんが勝ったことを示した。
「まさか、あそこで逆転されるとは思いませんでした。さすが柔道をしていただけのことはありますね。これから節子さんのことを、どうか守ってあげてください」
本当は悔しくて仕方ないんだろうけど、それを
「それでは、私はこれで失礼します」
とても敗者には見えないくらい、堂々と去っていく安岡さんを見送っていると、山田さんが思いがけない言葉を吐く。
「まさか本当に勝てるとは思わなかったよ。柔道をやってたというのは、ただのハッタリだったんじゃからな。がははっ!」
「えっ! じゃあ最後に安岡さんを投げ飛ばしたのは、 技術的なものじゃなくて、火事場のバカ力ってことですか?」
「おいおい。どうせなら、愛の力と言ってくれよ。がははっ!」
能天気に笑う山田さんを見ていると、わたしは安岡さんが勝った方がよかったんじゃないかと、真剣に思った。
わたしたち一年一組は、結局ろくに練習できないまま、合唱コンクールの本番を迎えることになった。
「西口を指揮者になんかするから、こんなことになったのよ。これで私たちの優勝の目はないわね」
次の出番に備え舞台袖で待機していると、人一倍負けず嫌いな有紀が、明らかな人選ミスを今更ながら嘆いた。
「わたしもそう思うけど、まだ負けは決まってないんだから、やる前からそういうこと言うのはやめようよ」
「出たー! 早苗の優等生発言。これで学級委員じゃないんだから、不思議だよね」
「からかわないでよ、有紀。わたしはまじめに言ってるんだからね」
「ごめんごめん。じゃあとりあえず、がんばるよ」
「とりあえずは余計だって」
軽口を叩く有紀を
舞台が暗転している間に、わたしたちは前のクラスと入れ替わり、最後に壮馬君が現れて、客席に向かってお辞儀をした。途端、地鳴りのような歓声が客席から沸く。壮馬君はウチのクラスだけでなく、学校中の人気者なのだ。
ざわめきが収まらないままピアノ演奏が始まり、壮馬君がタクトを振り始めると、その絵になる姿に思わず引き込まれそうになる。それをなんとか堪えると、わたしは歌うことに全神経を集中させようと、壮馬君の振るタクトだけを観ようとする。
けど、そうしようと思っても、どうしても壮馬君の顔が視界に入り、歌うことに集中できなくなる。このままでは、わたしも他の女子たちと一緒だと思って、心の中で気合を入れ直していると、壮馬君と偶然目が合った。
どうせ、すぐに彼の方が視線を外すだろうと思って、そのまま観ていると、壮馬君はなぜか視線を外さず、わたしをじっと観てくる。
(どういうこと? なんで壮馬君はわたしのことを観てるの?)
そのシチュエーションに耐えられず視線を外すと、彼はそれをきっかけに、いろんなところに視線を送り始めた。
やがて本番が終わると、わたしはぐったりしながら舞台を降りた。こんなに疲れる合唱コンクールは、もう二度とやりたくない。
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