第7話 練習に身が入らない理由

 翌週の日曜日、開店前に店の掃除をしていると、山田さんが浮かない顔で来店してきた。

「早苗ちゃん、おはよう」

「おはようございます。山田さん、何か嫌なことでもあったんですか?」

「ん? なんで分かったんじゃ?」

「だって、顔にそう書いてありますよ。で、何があったんですか?」

「実は一週間前に、わしの本を読んだという人から連絡が来て、昨日初めて会ったんじゃが、すぐに意気投合して、来週の日曜日にまた会うことになったんじゃ」

「それはよかったじゃないですか。なのに、なんでそんなに浮かない顔をしてるんですか?」

「その人、林節子さんていうんじゃが、ある男から交際を申し込まれていてな。来週の日曜日、その男を連れて来るみたいなんじゃ」

「えっ! なんで、そんなことになったんですか?」

 想定外の事態に、わたしは目を丸くする。

「その男があまりにもしつこいから、節子さんは『私には付き合ってる人がいます』と嘘をついて、あきらめさせようしたんじゃ。そしたら、男が『だったら、一度その男性に会わせてください』と言ったみたいなんじゃ」

「なるほど。じゃあ山田さんは、節子さんと付き合ってる振りをしないといけないってことですね」

「そうなんじゃよ。だから、早苗ちゃんも一緒に来てくれんか?」

「えっ! なんで、いきなりそうなるんですか? わたしが行っても、何の役にも立ちませんよ」

「そんなことはないよ。相手の男は多分ケンカ腰でくるじゃろうから、早苗ちゃんがいると、その抑止力になるんじゃよ」

「わたし、そんな修羅場になりそうな所になんて、行きたくありませんよ」

「そんなこと言わずに来てくれよ。こんなこと頼めるのは、早苗ちゃんしかいないんじゃから」

「わたしより、父が行った方がいいんじゃないですか? 大人の方が相手も警戒するだろうし」

「いや。こういう場合は大人より、むしろ子供の方がいい。それに、店長はいまいち頼りにならんからな」

(……ああ。やっぱり、お父さんって、そんな風に思われてるんだ)

 常連客の山田さんの頼みを無下に断るわけにもいかず、わたしは渋々承知する。

「分かりました。じゃあ一応付いていきますけど、わたしは何もしませんからね」

「おおっ! 来てくれるのか。早苗ちゃん、ありがとうな」

 歓喜の声を上げる山田さんとは逆に、わたしは不安でいっぱいだった。


 合唱コンクールを来週に控え、我がクラスは放課後生徒全員が教室に残って、課題曲を練習している。学校行事の一つに過ぎないとはいえ、他のクラスに負けたくないという意識がみんの中にあるみたいだ。

 ただ、練習するのはいいけど、女子たちの集中力が散漫なのが気になる。彼女たちをそうさせているのは、指揮者をしている壮馬君だ。わたしは壮馬君が指揮者をすることは反対だった。理由は、こうなることが分かっていたから。

 なのに、一部の女子たちが壮馬君の顔をずっと観ていたいからって、無理やり指揮者に推薦し、それが通ってしまった。

「お前ら、もう少し集中しろよ。ほら、また最初からいくぞ」

 壮馬君が注意すると、女子たちは愛想よく返事をするけれど、一向に改まる気配はない。もしかして、壮馬君のことをずっと観ていたくて、わざとそうしてるの?

 まったく進展しない現状に、練習に付き合ってくれている担任の根津先生が呆れたように言う。

「女子たちさあ、西口ばかり観ていないで、他の男子たちにも目を向けてやれよ」

 突拍子もないことを口にする先生に、女子たちはもとより男子たちの非難の目が一斉に向けられる。男子たちにとって、その言葉は屈辱以外の何物でもないから、彼らが怒るのは当然だろう。

「先生、あたしにまでそんなことを言うのは、お門違いですよ」

 その中で、有紀が先生を睨みながら抗議する。うちのクラスで唯一、壮馬君にハマっていない彼女は、『女子たち』と一括りにされたのが気に食わないのだろう。

「ああ、悪い、悪い。松田は西口に興味が無いんだったな」

 先生はばつの悪そうな顔でそう言ったけど、それなら男子たちにも謝ってもらいたい。先生の心無い言葉に、彼らはプライドをズタズタにされたのだから。


「ほんと、頭に来るよね」

 合唱コンクールの練習が終わった後の文芸部の部室で、ブーたれる有紀。どうやら、怒りはまだ収まっていないようだ。

「あんな言い方したら、私まで西口のこと好きだと思われるじゃない。 ほんと、やめてほしいよ」

「まあ、先生も悪気があったわけじゃないんだから、もう許してあげたら?」

「前から思ってたんだけど、あの人デリカシーないよね。この前も、猿顔の田辺さんに『モンちゃん』ってあだ名を付けようとしたしさ」

「まあ、確かにそういうところもあるけど、最近ずっと練習に付き合ってくれてるし、言うほど悪い先生じゃないと思うけど」

 心の中は有紀と同じ思いだったのに、彼女に同調しなかったのは、わたしまで悪く言ったら先生があまりにもかわいそうだったから。

「やけに先生の肩を持つじゃない。早苗って、西口だけじゃなくて、先生のことも好きなの?」

「そんなこと、あるわけないでしょ! 先生は四十代だし、結婚もしてるじゃない!」

「あははっ! 冗談で言ってるのに、何をムキになってるのよ」

 馬鹿にしたように笑う有紀に言い返そうとすると、顧問の伊藤先生がそれを遮る。

「盛り上がってるところ悪いんだけど、そろそろ読書会を始めてもいいかしら?」

 その言葉に、たちまち顔が熱くなる。先生はどうやら、わたしたちがおしゃべりをやめるのを待っていたみたいだ。

「……すみませんでした。どうぞ始めてください」

 恥ずかしさのあまり、みんなの顔が見られないわたしの隣で、有紀は平然とした顔をしている。この図太さが彼女の魅力の一つなんだけど、わたしにはとても真似できない。


 








 


 

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