第4話 憧れの彼と初めての……

 バイトが決まらないまま迎えた日曜日の朝、開店前に店内の掃除をしていると、常連客の山田八郎さんが来店してきた。現在七十歳の山田さんは釣りが趣味で、釣りの月刊誌を毎月購入してもらっている。

「やあ、早苗ちゃん。おはよう」

「おはようございます。山田さん、今月号はまだ入荷されていませんが」

「ああ、知っとるよ。今日はカップル棚に本を置いてもらおうと思って来たんじゃ」

 山田さんのまさかの言葉に、わたしは一瞬、自分の耳を疑った。

「えっ! ……あのう、よく聞こえなかったので、すみませんがもう一度言ってもらえませんか?」

「だから、カップル棚に置く本を持ってきたんじゃよ」

 どうやら、聞き間違いじゃなかったみたい。わたしは山田さんが差し出したコメディ小説を受け取ると、そのままカップル棚の六十歳以上の欄に収めた。

「あと、女性の棚の本を読んでもいいか?」

「はい」

 山田さんは三年前に奥さんを病気で亡くしたと、父から聞いたことがある。なので、カップル棚を利用することに、なんら問題はないんだけど……。

 なんとなく山田さんのことが気になって、そっと覗いてみると、彼は二十代の欄に並べられている本を手に取り、じっと観ていた。その異様な光景に目を丸くしていると、わたしに気付いた山田さんは慌ててそれを棚に戻し、六十歳以上の欄に並べられている本を手に取った。何とも言えない気まずさが残る中、わたしはそっとカップル棚から離れていった。


 やがて開店時間になると、どこにいたのかと思わず聞きたくなるくらい、大勢のお客さんが押し寄せてきた。父は朝一で図書館に営業に行っていて、昼過ぎまで帰ってこない。つまり、それまでは、わたし一人でお客さんの対応をしなければならない。前に父が『憂鬱だよ』と、こぼしていたことがあるけど、今のわたしはまさにその心境だ。

 そんなことを思いながら、本の受付とレジの両方をこなしていると、レジの列に並んでいた大学生風の男性が野次を飛ばしてきた。

「おい、いつまで待たせるんだ。ていうか、他に店員はいないのかよ」

「すみません。今、父は出掛けておりまして、昼過ぎまで戻らないんです」

「あんた、まだ中学生だろ? こんな子供に一人で仕事させるなんて、あんたの父親は鬼だな」

「…………」

 どう返していいか分からず、黙ったまま受付作業をしていると、男性はかさにかかって攻撃してきた。

「おい、客が話してるのに無視するなよ。ほんと、親が親なら子も子だな。父親が鬼なら、あんたはさしずめ悪魔ってところか?」

 男性の言葉に、何人かのお客さんがクスクスと笑っている。他のお客さんは我関せずといった感じで、皆スマホに目を向けている。

(なんでこんなひどいこと言うんだろう。それに、周りのお客さんも誰も助けてくれないし……ああ、このままどこか遠くへ行ってしまいたい) 

 泣きたい気持ちを堪えながら、そのまま作業を続けていると、突然列の後ろの方から聞き覚えのある声が聞こえてきた。

「こんなにたくさん大人がいるのに、誰も助けないのかよ。ほんと、あんたたちはどうしようもないな」

 慌てて目を向けると、そこには呆れたような顔でこちらを見ている壮馬君がいた。

(嘘? なんで壮馬君がここにいるの?)

 そう思ったのも束の間、壮馬君はつかつかとこちらに向かって歩いてくると、わたしに暴言を吐いた男性を睨み付けた。

「おい、あんた。子供相手にそんなこと言って、恥ずかしくないのか?」

「なんだと? お前こそ子供のくせに、大人に向かってそんな口を利いていいと思ってるのか?」

「大人なら、それらしく振る舞ったらどうなんだ。待たされていることにイライラして、何も悪くない店員にそれをぶつけるのは、どう見ても大人の振る舞いじゃないだろ」

「ぐっ……くそ、こんな店もう二度と来るか!」

 男性は持っていた本を床に叩きつけ、逃げるように店を出て行った。壮馬君はその本を拾い上げ、わたしにそっと差し出す。

「それ、汚れてるから、もう売り物にならないだろ? 後で俺が買ってやるよ」

「えっ! ……助けてもらったうえに、そこまでしてもらっちゃ悪いよ」

「遠慮するなよ。俺たち一応クラスメイトだろ?」

(えっ、壮馬君、わたしが同じクラスにいるって、気付いてるんだ)

 わたしは内心喜びながらも、その本を壮馬君に売るわけにはいかなかった。

「本当に大丈夫だから。見たところ、そんなに汚れてないし、よく拭けばまだ売り物になるわ」

 わたしの頑なな態度に、壮馬君はようやく諦めたようで、それ以上何も言ってこなかった。


 その後、昼過ぎに父が帰ってくると、わたしは父に店をまかせ、休憩室に引っ込んだ。母の作ってくれたおにぎりをパクつきながら、わたしはさっき男性が床にたたきつけた本に目を向ける。さっきはああ言ったけど、これはもう傷みがひどくて売り物にならない。壮馬君にそう言わなかったのは、どうしてもこの本を彼に売りたくなかったから。だってこの本は、カップル棚に置かれていた本だから。

 しかも相手は高校生。わたしくらいの年齢の男子は、年上の女性に憧れを持つって、雑誌で読んだことがある。壮馬君に限ってそれは無いと思うけど、万が一ってこともあるから、用心するに越したことはない。

 それにしても、さっきは驚いた。まさか、壮馬君がウチの店に来るなんて、夢にも思っていなかったから。考えてみると、壮馬君と話したのも、今日が初めてだ。なのに、割と普通に話せたのは、周りに人がたくさんいて、気が張っていたからだと思う。もし二人きりだったら、心臓が爆発して、わたしは既にこの世にいないだろう。

 ちなみに、壮馬君が買ったのは数学の参考書。壮馬君の家はここから遠いのに、なんでわざわざウチの店に買いに来たんだろう。明日、助けてもらったお礼がてら、聞いてみようかな。


 



 






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