19.お出ましだ
「え、これ、どうすんの?」
俺達は歩き疲れ、隅田川の堤防の階段に座りこんだ。晴は下の段で、近くの屋台で売ってあった豚バラを食べている。もちろん例の万引きまがいだ。まあどうせなかったことになるんだし、別にいいかな。
「どうしようかね……」
ちょっと困った感じで晴は空を仰ぐ。川と橋を隔てた向こう側には、まるで要塞みたいな足立区のマンションが見える。
俺は遠くを見ながら、晴の過去話を思い返していた。
晴は、普通の人間とは精神的にだいぶ違うところに位置していたこと。そのせいで人とうまくやれず、誰にとっても他人の存在になると決めたこと。晴くんの言ってることも、決断も、肯定も否定もできないようなことばかりで、俺の心の中はものすごくもやもやとしていた。
そして、俺から見る晴との印象が、食い違ってるようにも思えた。晴はまるで、自分を愛のないロボットみたいに話す。でも少なくとも俺の見てきた晴は、もっと人間臭いし、あったかいし、いざという時に俺を守ってくれたりして………その、カッコいい……。
「ねえ、晴く……」
ねえ、晴くん。
出そうとした声は、俺の体に這いあがってきた寒気に絡まれ、消えていった。な、なんだ。この感覚は……。
「ん、ちょっと待って、りゅうくん……」
晴はそう言って最後の豚バラを飲み込む。
晴はまるで何かを察知したかのように、あたりを見回し始める。なんだ? お父さんでも見つけたとか……? いや、それは違う、もっとスケールのでかい、緊急事態の予感がする……。
俺の視界がゆらゆらと揺れる。隅田川の水面が小さな水しぶきを上げ、そこに映し出される建物の影が揺らめき、そこに、うっすらと白い影が混じる。
その瞬間、皮膚をピリピリと刺激するような、生命を奪い取るような風が吹き荒れた。
「うわっ⁉」
俺は視界を両腕で遮る。何か巨大な無数の目から嘲笑われているような恐怖に駆られ、冷や汗が湧き上がっていく。腕を下ろし、空を見上げる。
なんだ⁉ 今の感覚⁉ 俺の無意識に感じた恐怖は、一体……。
そうだ、この感じ、どっかで……。
そう思った瞬間、脳裏にあの白い巨体が過る……。まさか、あの時と同じ……。
「前にも言った通り、こういう緊急事態って三年に一度とか、そういう頻度なんだけどね。まさかとは思ってたけど、本当に出現するなんてね。あまりにも異常だね」
晴は、ちょっと楽しそうな声で言う。
揺らめいていた空気の波動が寄せ集まって白い糸の集合体が無数に作られ、血液のように赤い瘴気を散らしながら、隅田川の上で蚕の繭のようにそれは形作られていく……。
水面はそこを中心にして、大きな波紋を作っていく。今まで穏やかだった空気が、一気に穢れ、張り詰めていく。
「は、晴くん、これって……!」
そう訊くと、晴は象られていく白い巨体を見上げながら、にやりと言った。すでに装着済みのゴーグルのレンズに、真っ黒な二つの点を反射させながら。
「ああ。お出ましだ」
晴れのつめあと うすしお @kop2omizu
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