35曲目 青音レコはマスターが大嫌いで大好き
「なんだ今のは!?私こんなオプション付けたつもり無いんだけど!?」
「わ、私も何がなんだか」
「レコ!」
肩にそっと手を添えて――乱暴に振り外される。
人間が繰り出すより遥かに早い腕の振り。咄嗟に仰け反り、腰をコンクリート床に打ち付けた。鈍痛が骨に響く、けれどそれよりもレコが心配だ。
「……なわけないじゃないですか」
「レコ?」
「大丈夫なわけないじゃないですかっ!!」
びりびりと轟く迫力のある声。
顔を上げた彼女の瞳から大粒の涙が流れる。
「死ぬことは怖くないって、また明日同じ私がやってくるって、何回も言ったのにこの分からずやっ!!そんなに心配されたら、怖くなかったことが怖くなるじゃないですかっ!!大丈夫が大丈夫じゃなくなるじゃないですかっ!!心配される分不安になっちゃうんですよっ!!!」
ふらつきながら立ち上がり、緩慢に俺に近づく。
「なんですかあの歌は!私を褒めるだけ褒めて安心させるだけ安心させて!!どういうつもりですかっ!!!」
「別にそんな意図があったわけじゃ、」
「漏れ出てるんですよ!!無意識の思考が垂れ流しなんですっ、私全肯定ソングなんですよあれはっ!!何一つ取り柄のない私を肯定する歌!!隣で後輩が私の何十倍も上手く歌ってるんですよ!?情けないったらありゃしない!!」
レコは叫ぶ。
心に溜めた鬱憤を全て吐き出すように。
「惨めなんですよ!!料理も洗濯も掃除もできないのに肯定されて!唯一の取り柄の歌も私よりずっと上手い人もアンドロイドもいて!尽くす尽くすって言ってる割にマスターに何ひとつしてやれない!!こんな生活も悪くないかって思ってたら私よりハイスペックな後輩がやってきて正直居場所なんかなかったですよっ!!!消えちゃいたいって何回も思いましたよ!!!」
だから、歌にレコがいなかった。
「お、俺はレコは生きてくれるだけで、」
「生きるって何ですか!?電源が入ってるだけですよ!!人間みたいな扱いして!!私はアンドロイドなんです!!ご飯も食べられないし、睡眠もできないし、お風呂も必要ない機械の身体なんですっ!!そんな扱いをずっと受けたら人間になりたくなっちゃうじゃないですかっ!!どうせなれやしないのに!!」
喉が張り裂けんばかりの声量に過呼吸を起こす。
「下手くそでもいいからもっとマスターの曲を歌いたかった!どれだけ時間がかかっても私のソフビを当てたかった!マスターが何を考えて何を言ってるのか分かりたかった!」
呼吸を整え、尻もちをついたまま立ち上がれずにいる俺の襟を両手で掴む。
「マスターが私を肯定するのは、私が青音レコだからですよね」
涙がシャツに落ちては染みる。
「何一つできなくて、歌も上手くないこの私が愛想を尽かさないのは姿と声が青音レコそのものだから。マスターは青音レコが好きだから、私も好きでいてくれる!!私を見てくださいよ!アンドロイドの私をちゃんと見てください!ちっともレコと似てない性格を見てください!」
「舐めるなよ!!!」
思わず、声を張り上げる。レコの顔が近い。
「勝手に理由でっち上げてんじゃねえよ!!!!俺は青音レコが大好きだがな、同じくらいお前が好きなんだよ!!!!肯定する理由なんか好きだからで十分だろ!!!!」
「すっ、好き!?」
「お前は俺のこと嫌いみたいだがな!俺はずーっとお前もレコも好きだったんだよ!!」
「確かにマスターのことは嫌いです。大嫌いです…………でも、同じくらい大好きです。大嫌いで大好きです、悪いですか」
「わ、悪く……ないっ!!」
泣き腫らした瞳の色は――いや、そんなもの見なくても彼女の気持ちくらい分かる。
「最後の最後に喧嘩しちまったな」
「喧嘩っていうか一方的な罵倒ですけどね」
握っていた襟を離して、俺に手を差し伸べる。
その手を握って立ち上がると、あんなに大きく見えた彼女が本当は小さいことに気付いた。
「結局曲は出来なかったな。お前をシンギュラリティに到達させることも……」
「もういいです。あ、諦めたとかじゃなくて。言いたいこと全部言えてせいせいしたというか、思い残したことは……あるんですけど、自分の中で一区切りついたので。何一つ変わらない明日からの私もよろしくです」
「任せとけ。これからは気を付けるよ、注意されたこと色々と」
「あはは」
制限時間はきっと一時間を過ぎている。
匙との約束を破ってこの場から逃げ出すことはきっと簡単だろう。しかし、そんなことする気にはならなかった。
今の彼女がリコールを受け入れているのだ。あんな晴れやかな表情を曇らせるわけにはいかない。
「俺の負けだ。青音レコを――こいつを頼むよ」
「ええっと……何を言ってるのかよく分からないんだけど、」
匙は指差す。
「もうシンギュラリティに到達してるぜぃ?」
「「はあ?」」
揃って吐き出した疑問符にサクラは吹き出し、匙は頭を抱えた。
シンギュラリティって一朝一夕でどうすることもできないんだよな。
だから起死回生の一手と思って曲を作ったけど、上手くいかなかったし、おまけに残り時間いっぱい喧嘩してたよな。
一体どこで到達したんだ。
「青音レコ、君の生まれてきた意味は一体何だい?」
それは匙の自論。
意味を見出せたなら、そのアンドロイドはシンギュラリティに到達しているという。
「そんなの、分かりませんよ。マスターの歌をもっと歌いたいし、ソフビを揃えたいし、マスターのこともっと知りたいし分かりたいし……したいことが多過ぎてよく分かりません」
「正解だ。良い答えだよ」
「あんなのが答えでいいのか!?」
「アンドロイドは生まれていない、造られたんだ。そこに違和感なく自分の言葉で話せたとしたら、もう人間と変わらないんじゃないかねぇ?」
なぞなぞのような正解を堂々と答え、匙はいたずらっぽく笑う。
「……もうこんな時間ですか。あがりが接客で死にかけてる頃でしょうから、みんなで手伝いましょう」
「おう頑張れー。なんだいその視線は……もしかして私も!?」
「こんなに俺たちに迷惑かけといて一人帰れると思うなよ。おら来いっ!人一倍こき使ってやる!!」
「嫌だ―っ!!死ぬーっ!!人と話したくなくて配膳ロボ改造した人間がそんなことできると思うかねぇ!?」
白衣の首根っこを俺に捕まれたままずるずる引きずられる匙。
「先輩……その、今まで気を遣えなくてすみませんでした」
「サクラの方がスペック高くて嫌になってたけど、サクラのことが嫌いだったわけじゃないよ。こっちこそみっともなくてごめんね」
「そんなみっともないだなんて!……いえ、やめましょう。私は先輩のみっともなさも尊敬していますから」
「ものすっごい嫌味に聞こえたんだけどそんなことないよね?ね!?」
「二人共ー!行くぞー!!」
少し距離の空いた後ろの二人が駆け寄り、サクラが匙を引きずる役目を請け負ってくれる。
ぶつぶつ文句を言う匙を楽々引っ張るサクラはずんずん前に行き、あっという間に距離を離されてしまう。すぐにでも会場に着く勢いだ。
「曲、レコーディングし直しになっちゃいましたね」
「別にいいよ。突貫で書いた歌詞だし……あのさ、えっと、さっきの話忘れてくれない?勢いで言ったというかなんというか」
「さっきの話?……ああ、私を好きって話ですか。というか勢いで言ったんですか?本心じゃなかったんですか?」
「本心だけど!本心だけどさあ、」
「忘れませんよ。絶対に忘れてやりません」
一文字に結んだ唇に温かく柔らかい感触が伝わる。目を見開けば、レコの顔が息のかかる距離にあった。僅かな吐息が口周りに吹きかかる。
「明日からも、今の私をよろしくお願いいたしますね。マスターっ!!」
アンドロイドは浮気も賭博も暴力もしないが夜這いはする うざいあず @azu16
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