34曲目 青音レコは一人
「あと一時間でシンギュラリティ!?無茶苦茶じゃないっ!それでも技術者!?」
「無茶苦茶だとも!計算するまでもなく不可能だ。しかしね、人間なら理解より納得を優先してしまうこともあるのさ。シンギュラリティに到達した君なら分かるんじゃないか?」
皮肉めいた物言いの匙をサクラは睨む。
「俺は思い出を作りたくて言ってるんじゃない。一時間なら、なんとかギリギリ間に合うはずだ……行ってくる」
「行ってくるって、一体どこに、」
「時間がない。説明は後で!」
俺は階段を登って一目散に会場から出ていった。
向かう先は隣のイベント会場。再入場を済ませて、真っ直ぐジョー頭さんが切り盛りするサークルへ向かう。
「可也君?もうレコちゃんは見つかったのかい?」
「見つかりました。一時間後に連れ戻します」
サクラがいたときより遥かに長い列を無視して、奥に詰めたスタッフたちの荷物を掘り出す。俺のリュックがすぐに見えてきた。
「……あった!」
リュックの中をまさぐり、薄型のノートパソコンを見つける。
「何があったのか知らないけど、私のことは気にしなくていいから!頑張ってね!」
「はいっ!!」
運動不足がたたって息切れが激しい。けどその程度のこと気にしていられない。ノートパソコンを小脇に抱えて再び走り出した!
このノートパソコンは大学の生協で販売されているものである。
だからそこまでスペックが高いわけじゃないが、カメラが付いていたり、マイクが付いていたり、大学を通う上で必要な要素が一通り揃っている。
何かあったとき作曲できるようにと、制作済みのインストも入れてあった。
「はあっ……はあっ……持ってきたぞパソコンっ!これで作曲できる!」
「作曲!?たった一時間で!?」
「曲自体は出来てる。後は歌詞を考えてレコーディングするだけだ。最高の曲を作ってレコをシンギュラリティに到達させてやる」
最高の環境とは言い難いし、俺に最高の実力があるとは言い難いけれど、それでも全力で魂を込めた最高の曲を作ることは出来る。
俺にしてやれる特別なことなんてこのくらいしかない。これで到達できないのなら……いや、今はそんなことを考えてる時間さえ惜しい。
「前に言ったサクラとレコのデュエット曲を作る。時間がないから一番だけ。作詞と同時に調教もしていくぞ。いいか?」
「え、ええ。先輩の為だもの」
レコの答えを求めて視線を動かす。依然顔は暗く、
「大丈夫だって、言いましたよね。バックアップされているんです。今の私が消えるだけで、何一つ違わない私が明日には戻ってくるんです。今の私にこだわる理由なんてあるんですか」
「死なせたくないことに理由は必要か?」
「私は死にません。リコールされているだけです」
「じゃあなんで、そんなに怯えてるんだよ」
震えは止まらず、声はか細く、顔は青い。
例えそれがAIによって生み出された感情表現であったとしても、大切な人のそんな顔を無視できない。
「……分かりません、マスターが何をしたいのか」
「今は分からなくていい。いつか絶対に俺の気持ちが分かるはずだから」
シンギュラリティに到達してリコールから免れる為にDAWを立ち上げた。
曲調は軽やかでアップテンポ。相変わらずのフォーピース。全曲が夏真っ盛りを連想させるならば、こちらは初夏、暑くなり始めて虫の音がそろそろ聞こえてきそうな、入道雲が青空に注がれるような――俺の理想的な青音レコを描き切った一曲である。
今からデュエット用に改変する時間はない。とにかく歌詞を考えろ。
徹夜の思い出を。
プールの思い出を。
イベントの思い出を。
ひと夏の思い出を、思い出で終わらせない。
プールの揺れる白波を握るように、不安定な思考の水面から必死に言葉を選んで、膨らませて、減らして――
「できた……残り時間は?」
「あと三十分」
「くそ、考え過ぎたな。よしっ!調教行くぞ!」
完成した歌詞を二人に見せて、覚えてもらう。
『夢のような日々はきっといつか覚めてしまう』。
『覚めてしまっても記憶がある限り、その日々は経験となって自分の糧となる』。
『記憶が消えたとき、寂しさ以外何も残らないはずだ』。
そんな感じの歌詞。
感想も文句も言わずにサクラとレコは頷いて、歌詞を覚えたことを伝えてくれる。
「そこ半音低い」
「もっと音を立てる感じで」
「よし……サクラは覚えが早いな」
製作者にハイスペックと言わしめるサクラはあっという間に調教を済ませ、残るはレコとなる。
レコだって遅いわけじゃない。最初に比べたら俺の意図を汲んでくれるようになったし、改善するのも上手くなった。
細かい部分の調整を自分で行うサクラを隣に音程を覚えるレコの表情は曇り、集中力を切らし始める。
「焦らなくていい。今まで通りに頑張ればいいだけだ」
「今まで上手くいかなかったんですよ。じゃあ到達なんてできないじゃないですか」
「今まで上手くいかなかったことで、今上手くいかない理由にはならない」
「現実を見てください」
「見てるよ。時間がないな。次の歌詞行くぞ」
残り十分。
外付けのマイクもオーディオインターフェースもないから音質は最悪だろう。
PCに内蔵されたマイクから音を拾うようにして、イヤホンさえ持ってきてないからアカペラでのレコーディング。
「先輩、よろしくお願いします」
「サクラなら大丈夫ですよ。私が足を引っ張らないようにしないと」
「先輩……」
二人の息遣いが揃う。
景色が変わる。
それはサクラと出会ってから今に至るまでの再現だ。
生温い気温と静寂が包む夜に、隣の家から突然飛び出したサクラ。
流れで同人誌の限界進行を一人で手伝うことになって、紆余曲折経て締め切りに間に合わせた。
俺の部屋。
初めて投稿した曲が話題になったけれど、その方向が予想外だったから一人で悩んだ。
強い陽光差すプール。
一人で遊んだサクラの気持ちを知って、アンドロイドと人間の関係性を学んだ。
大好きなコンテンツのイベント会場。
ついた嘘のせいで迷惑かけて、一人で会場を回って、俺の曲を認めてくれている人がいることを知って――
――一人?」
違う、俺はレコと一緒に回っていたはずだ。熱を帯びた騒がしさを浴びながら、一緒にCDを買って回っていたはずだ。
アシスタントも、悩みも、プール遊びも、レコと一緒にした思い出だ。
景色が開ける。
サクラが歌うのを辞めていた。
PCの前でレコはしゃがんで顔を膝の内側に埋めている。歌は聞こえない。
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