33曲目 青音レコはモラルがない

「逆さ。シンギュラリティに到達しなかったから不都合が起きたんだ」


「はあ?」


 俺だってアンドロイドに詳しいわけじゃない。


 けれどドラマや映画の題材として見た覚えくらいある。大抵、シンギュラリティは反乱の兆しや人間抹殺の一歩手前として扱われる。それがフィクションだとしてもその発露を危険視することに疑問はない。


 人間より賢い存在が、人間に牙をむくだなんてごく自然なことのように思う。


 『シンギュラリティに到達しない』――現代に存在するAIのほとんどが成し得ない偉業をレコが出来なかったからと言って、どんな不都合が起きるのだ。


「じゃあなんでサクラも一緒に連れ去らなかったんだよ。二人一斉に運ぶのは難しかったのか?一人一人の方が更なる不都合を生じづらかったからか!?」


「か、可也……」


「っ……!ごめんサクラ、言っちゃいけないこと言った」


「ううん、大丈夫」


 ああくそ。


 だいぶ動揺してるな俺。分かっちゃいるのに制御できない。


「もしサクラも到達してなかったら一緒に連れ去ってただろうね。でもあれは、違う」


 「生まれてきた意味を見出したんだよ」匙はそうほくそ笑む。


 製造理由や存在理由ではない――アンドロイドでありながらアンドロイドであることを嫌う、サクラ自ら見出した意味は、


「人間になること……?」


「それもあるけどねぇ。まだ他にもあるぜぃ?」


「ドクター」


「うん?」


 サクラの顔は赤い。


「自分で言う。私の口で言いたい」


「もちろんどうぞ」


「私の……生まれてきた意味は、横好家の家族になること、だと思ってる。アンドロイドだけど、生まれて数日しか経ってないけど、あの人たちの姉妹になりたい……そう思っちゃったの」


 それはきっと初めての告白であったはずだ。自分の口から初めて言った感情の発露であったはず。


 俺は拍手をするなり、感動するなり、温かくその言葉を迎え入れなければならなかったのだ――ならなかったのに、俺は絶望していた。


 血の気がどんどん引いて、レコと同じ顔色に変わる。


 サクラが心温まる家族愛によってシンギュラリティに到達できたのだとしたら、俺とレコの生活はなんだったのか。


 あの毎日は、共に曲作りをしていた日々は一体。


「う、嘘だ」


「嘘じゃない。それは君に『尽くしたい』と再三言ってただろうけれど、一度とて『好き』と愛を囁いたかね?」


 それが何よりの証明だと、俺を切り捨てた。


「気に病む必要は無いんだぜぃ。サクラとレコじゃスペックが違う。器用なサクラと不器用なレコの違いは実感してるはずだよ、対照実験ってわけじゃないけど私はシンギュラリティの起こらなかった要因はそれだと睨んでる」


 言い換えるなら、人間に近い能力のレコと人間離れしたサクラ。


 そのスペックの末路がこれなんて、どんな皮肉だ。


「低スペックのままじゃシンギュラリティに到達しない。ハイエンドモデルに造り替えてやろうと思って――要はリコールさ」


 リコール。


 イコールではなく。


 あの日レコの呟いた言葉の意味を理解して、気付けなかったことを悔やむ。


「……なんで、シンギュラリティに到達できなかっただけで、離れ離れにならなくちゃいけないんだよ。こいつが悪いことしたのかよ……なんでっ、なんで!!」


「悪いことはしてないね。でもこれからするかもしれない……いやぁこいつは完全に私の過失なんだがね?」


 匙は肩を竦めたまま、告げる。

 



「第一原則、アンドロイドは浮気をしてはならない」

「第二原則、アンドロイドは賭博をしてはならない」

「第三原則、アンドロイドは暴力をしてはならない」

「第四原則、上記の原則を破らない限りドクターに従わなくてはならず、旧原則より当原則が優先される」




 それはまるでロボット工学の三原則のよう。けれど一つ原則が多いし、第一から第三までの原則は意味不明だ。


「名付けて、アンドロイド工学の四原則!ルールを学習させても人間らしくはならないと思って、現代のモラルを優先させてもらった。だがねえ、これじゃ足りなかったんだ」


 匙は自身に非があると言わんばかりに眉を下げる。


「人外にモラルを説くにはもっと項目が必要だったのさ。放火や密猟や転売なんかも制限しなくちゃいけなかった。このままだとレコは『三原則と四原則で制限されていない全て』をしかねない。その全てを一つ一つを制限するのは手間だからね、シンギュラリティに到達して自己学習してもらえば自然とモラルもルールも身に付ける」


「…………」


 出会い頭に夜這いをしたり、信号待ちしている車を持ち上げたり、子供に手を上げようとしたり……人間の倫理観からすれば欠如した行動が目立ってはいた。


 アンドロイドらしい仕草だと見逃し、青音レコという好きなキャラクターに求められるが余り見落としていた――


 

 『よく、分かりません』



 ――スーパーの帰りに車を持ち上げたレコは俺の説教に目を伏せた。あのとき、本当に分かっていなかったのか……?


 理解できても納得できないからそう表現したと思っていたけれど、字面通りの意味だったのか……?


「分かったかね?現在の青音レコの危険性が……安心したまえよ、君との楽しかった日々の記録は問題なく残る」


「記録」


「言い換えればバックアップ。初期化したレコに今までの映像や音声の情報を学習させるのさ。身体は総とっかえになるかな」


「バックアップって……まるで今のレコが消えるみたいな言い方じゃないかよ。記録なんて、記憶が消えるみたいな、」


「鋭いねぇ!テセウスの船を以前とは別物と考えるタイプかな?それは一度初期化して解体した後、バックアップを受けた新品をお届けってわけさ!機種変更みたなものかね」


「なんでっ……なんでそんなに簡単に言えるんだよ!初期化とか解体とか、そんなの死ぬのと同じじゃないか!人を殺すことをそんな簡単に……」


 匙は首を傾げる。


「人じゃないぜ、機械だよ。これはトライアンドエラーだぜ、殺人じゃない」


「分かってるよ!!分かってるけど、」




「大丈夫です」




「私は大丈夫ですから。言ったでしょう、また明日からの私をよろしくお願いいたしますって。マスターに尽くせるのであればどんな形でも私は大丈夫なんですよ」


 伏せた瞳は暗く滲み、スカートの裾を掴む手は震えていた。たどたどしい口調は聞くに堪えず、思わず抱きしめたくなるような切なさを含む。


「大丈夫な奴の姿かよ……」


 シンギュラリティに到達していないその彼女の仕草は全て匙の開発したAIによって生み出されたものである。


 彼女はアンドロイドで、俺たち人間を模倣した存在に過ぎず、命なんてはなから無くて俺が勝手に共感してるだけなのだ。


 分かってる。分かってるつもりなんだ。


「だとしても、無視はできない」


 今の彼女を。


 今までの彼女を。


「レコは俺と一緒に家に帰る。一緒に遊んで、一緒に曲作って、一緒に暮らすんだよ。記憶を消させやしない」


 匙は唸りながら頬を掻いた。


「やっぱそうなるよねぇ」


 匙は上から目線の笑みを浮かべる。


「ならどうする?社会に大きな損失を生みかねないインシデントを無視するかい?」


「レコをシンギュラリティに到達させる」


 数秒間の空白。


 すぐに彼女の呆れ声が轟いた。


「話聞いてた?その能力がないからリコールするんだぜ?」


「能力の有無は匙の考察であって事実じゃない。これから到達する可能性はゼロじゃない」


「君ねぇ…………まあいいよ。それでシンギュラリティに到達できたなら手間が省けて文句ないし。ただし、私は不良品を長時間放置できる研究者じゃない。一時間だ、一時間だけ待ってあげる。それまでにできるものならしてみなよ」

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