私も小説で飯を食っていきたいという未練が捨てきれません。

私は文章は昔より読みやすく書けるようになってきたものの「読みやすい」だけで「情感に欠ける」し「優雅さが足りない」です。

その点で言えば昔の文章の方が情感はこもっていたかもしれません。
そしてストーリーも、昔の方が起伏があり勢いがあった。

今は単調なストーリーになりがちです。
プロットをきちんと書くようになったのは良いことなのでしょうが、プロットをただなぞっているだけになってしまっています。

けれどそれでも「成長してよくなっている部分が自分には見えていないだけ」だと思っています。

立体のものを見るとき、正面は見えても後ろが見えなかったりするでしょう。
自分の目は万能ではなく死角があるのです。

あと誰かが「自分が下手だと気づいたときこそ上手くなるチャンスのとき」と言っていました。

下手だとわかっているなら下手な部分を直せばいいのですからね。
まあ、言うがやすし行うは難しなのですが。

作者様はもう若くない的なことを言っていますが、私は祖母に「あなたは私より50歳も若い。まだまだ成長できる」と言ってもらった時から、自分は老いたと思っても年上の人からしたら若い。

死ぬまで成長期なのだと思うことにしました。
作者様は年は私より若いですが人生経験は豊富なはずです。

小説は書いているときだけが「作品を作っている」ことになるのでしょうか?

そうではなく書いてないときも、それこそ人生のすべてが「小説のためにある」のではないでしょうか。

書けない時間も無駄ではない。
むしろ書き続けたら肥料もなく作物を作り続けて大地がやせてしまう「連作障害」状態になってしまうかもしれません。

人間万事塞翁が馬。
なにがよくて何が悪いかなんて神様ではない人間にはわからないものではないでしょうか。

あんがい今の時間は必要なものかもしれません。
あまり思い詰めず、生きてるだけで十分だと笑って過ごしましょう。

お互いにいつか栄光の未来にたどり着けると良いですね。
そしてこのエッセイは無駄なものではない。

同じ思いをしている方々に「自分だけじゃなかった」と思わせてくれる良いエッセイです。
救われた方もいるのではないでしょうか。
個人的な感想ですが。

おススメするためのレビューなのに、ほぼ個人的な語りですみません。
今更ですが、小説を書くことに悩んでいて「自分だけじゃないんだ」と思いたい方におススメです。

以上です。
失礼いたしました。