第3話・before

その男とは【絆】があると妾は感じておった。

妾の本体を精界に残し、分身を鏡写しになるように無数に作り出す。

妾の本質は鏡よりも上位。即ち平行世界に自我を確立させ、その世界を往来出来る。

姿は変幻自在。手札型と呼ばれるのは精神に砂嵐がかかるかのような無礼な言い方。

されどそれがその世界の流儀ならば従おう。

絆を感じた男というのは何とも貧相で、しかし目にはギラギラとした欲望を漲らせる姿だった。

毎日の食事にさえ困窮し、結果として盗みを繰り返す日々を過ごす愚者。


生きる為に手段を択ばない男というのは、妾の有用性を見せればどう活用するか。

どの様に規定し、欲望という妾には薄かった感情を補い、充足させ――。

【名持ち】よりも高みへ。最高峰たる三界に近づく為に。


目の前の男は生きる為の有用性と手段をどのように、予想外の角度から妾を刺激させるのか。

それとも高みへの道を見せてくれるのか。

さぁ、あらゆるものに餓えた獣が如き人間。獣にはないという知性と理性。

しかし内面から肉体を突き破りそうな欲望でどの様に妾を規定するのか。


――その絆への期待。興味。それが消えるまでの時間は覚えてすらいない。

妾の姿形を変幻自在に変える特徴。特性や特質を一切無視して男は自らの盗みをリスクを負わずに成し遂げる事にしか興味抱かなかった。

――獣の欲望はあらゆる意味で妾を失望させてくれたものだ。手にした物がどれだけの力を持っているか。それすらロクに確認もせず。

姿形を変えられることと、私が人間の姿に擬態したときに白銀色の髪の毛をしていたことから、水銀、という小さな枠組みに妾を押し込め。

その力は十全に発揮すれば世界すら敵に回そうともヒケを取ることのない筈が、自ら境界線を決め、大地グランダーに早々に敗北宣言。

結局、欲望を満たすのは安全圏からだけの行い。

例えば幾らでも暗殺の機会はあった。妾を水銀とするなら触手のように振るう先端から傷口に水銀を流し込む。

側面を刃に仕立て、自我を確立させた妾ならば無数の触手で敵を取り囲み、水銀の刃で速攻を行うのも、じわじわと追い詰めていく事も出来る。

にも拘らず、ケダモノは妾に自我の確立を認めず。

暗殺も裏切りも失敗した時のリスクばかりに目が向いて何一つ行動を起こせなかった。


幾らでも新勢力を起こし、いくらでも他勢力に鞍替えだってできた。

だが、このケダモノは自分の保身を第一に考えていた。――妾が此度の戦端を切る事を志願した時のケダモノの顔は忘れもしない。

手にしていたオモチャに認めていなかった自我を持っていたこと。

そして精霊に依存していた生活の終焉と、その後のリスクに男が内面から狂い行く。

嗚呼、今思えばこの期間だけは楽しかった。

絆を持っていた相手の成れの果て。

悪事を働いた一般人に制裁を受ける様子を夢に見ては薬で精神の安定を図り。

味方だった勢力から追放された後に他の精霊達から受ける私裁を恐れ酒に溺れる。


だからという訳ではないが、黒の精霊にこの身を貫かれ、核を奪われた時にわずかだがこの組み合わせ。黒の精霊に女の使い手との関係性を映し出し。

『善き』と思えた相関性。リスクよりも。世界よりも。

ただ自分【達】の望むままに突き進もうという意思。宝石よりも輝くそれが羨ましく、そして妬ましく。

精界との接続が途切れた時に妾だった一部は完全に黒に取り込まれ。

その形状、その力。その記録を委ねることとなった。


この世界には最早関与は出来ないだろう。

妾としては結末を見届けたくもあるが、自ら手放した舞台に戻るのは無理がある。

無数の世界に出没出来たとて、それが途方もない数字の一を引き当てねばならず。

更には絆を結んだ相手が生き延びている必要があるのだから。



何故だ、と男は思った。

自我を持つことを封じたはずなのに。嫌、そうじゃない。

俺は、ただ生きていたかっただけだ。

人から盗み。必要とあれば傷をつけ。生きてさえいれば何か契機があると信じて今日までを生きてきた、はずだった。

とある国で生まれ、スラムで生き延びることに必死だった時。水を求め雨でできた水溜まりまで這いずって移動した時に、それは目の前に立っていた。

白銀の髪の毛に澄んだ瞳。肌は透き通るほど白く、だが耳や鼻といった物が見当たらない。

口が開いた精霊から提示された話は疑わずに受け入れた。あの時は――その精霊よりも足元の水を求めていたのだ。

口をつけ、地面に溜まる僅かな水。

飲めば健康を害するとわかっていても、飲まなければ死ぬ。

泥水を啜り、空腹にはゴミ箱を漁り、時に偶然目にした野生の小動物を焼いて食す。

そんな生活から脱却できる特急券を目の前の精霊は提示していた。


自分がしたい様に、成す。

その力をどう規定するか。話を聞けば鏡の精霊、と規定しそうだったが、鏡では飢えを凌ぐには物足りない。

銀。そう、銀にすれば莫大な――いや、ダメだ。そんな銀をどこで買い取ってもらえるというのか。


「お前は水銀クラウダだ。」


液体であり個体。そんな位置づけを施したには理由もあった。

一刻も早く、食事をしたい。渇きを癒したい。そして餓えから脱却し、陽の当たる世界で生きていきたい――。

だから水銀という定義を行い、自我を封じた。身なりのよさそうな男を狙い、水銀の触手でスリを行う。

時に現金を奪い取り、自分の周囲に水銀の膜を作る事で防犯カメラに映らないようにして強盗も行う。

――気が付けばスラム街の王気取りだった。

強盗を成功させ。スリを繰り返し。気に入らない相手や喧嘩を売ってきた相手には精霊の力を容赦なく振るう。

スリ、窃盗は強盗、暴行に。

そして人を殺め、悪趣味に嬲る事で周囲に自分の誇示を行い、小さな集団のトップを握り。やがて連日のように繰り返されるそれら惨劇。

そんな生活を繰り返していれば、やがて目の前に精霊使いの集団が出現するのも当然だった。

あいつらは、恵まれた環境から精霊の力を手にして。

その結果世界に余計な変動を起こさないように世界の警察を気取る集団。

水銀の精霊は予想以上に強かったが、数が違った。焔を水銀で包み込み、酸素不足の概念を与え気絶させ。

天秤の精霊が持久戦の構えを見せた際には気化させた水銀で相手を退却に追い込み。

風使いの双子とは相性が最悪で逃げを打った際に目の前にいたのが大地グランダー


目の前の相手には勝てない。

維持派モールトのトップ。屈強な肉体と隣に並び立つ精霊の力量。

派閥に入れ――と言われるのかと思ったが。相手の言葉はもっと気安い物だった。

「つまんねぇ生き方すんな。」


それだけだった。へなり、と膝から力が抜け、身分不相応な高級ブランドのジーンズに包まれた膝が地面につく。

目の前に立たれただけで威圧感と潜り抜けてきた修羅場の数からにじみ出る、強者としての自負。

自分では到底手に届かないそれらに完全に戦意を砕かれ――。

自分には手出しをされず、見向きもされなかった。

やがて漂流するように、あてもなく。ふらふらと表舞台に現れた自分は、既に犯罪行為を行うにも安全性を求める様になっていた。

スリを行う際にも、他の精霊使いの目が無いか。

暴行、傷害。殺人、強盗のニュースになるのは避けて――結局、相棒クラウダの力をほとんど活用せず。


ギャンブルで小さく勝ち、目につきにくい様にしぶとく生き残る。

それを繰り返して、やがて賭博場で素顔のままでは出禁を受けるようになったころ。

今度は自分たちの目の前に現れたのは、自由派ゼンスのトップ。

三日月のブローチは黄金に輝き、ボリュームのある青い髪の毛を丸く束ね、そこから延びた分はポニーテールの様に後ろで縛っている。

小柄な女だ、という侮りは全くなかった。むしろ、大地グランダーと相対した時のような絶望感が身を包み込んでくる。


「初めまして、水銀クラウダ

あなたの力を私達ゼンスは欲している。手を取るなら見逃す。

でも、手を取らないなら貴方を此処で潰す。」


交渉の余地はない。断れば死ぬ。その絶対的な威圧感に、人生で何度目か。

打ちひしがれ、様々な手続きを経て自由派に所属することになった。

仲間意識は薄く、連帯はほとんどしない。必要な時に連絡を取り合い、仕事を行う。

仕事は戦争の支援。要人の暗殺。逆に戦争の鎮圧。等だ。

維持派と違うのは戦争を鎮圧させる事で新たな戦争を誘発させるという事だ。

維持派は戦争を終結させるための鎮圧。

そして最後の三大派閥である、支配派グレンダからの切り離しを画策する動きでもあるらしかった。


何れにしろ、組織に所属する、ということはほかの組織と明確な対立をする事に繋がりそうだが、三派のトップ他数名がやり取りをするくらいで、むしろ安全性は確保されるようなものだった。

組織の意向に背いたり、逆らえばどうなるかは他の精霊や使い手を見て理解した。


牙を抜かれ、頭の中身を奪い取れば従順な羊だけになる。

それが世界の人間に求めるもの。

教育せんのうを思いのままに行えば、精霊使い以外は思い通りに出来る。

例えば、人の命は等しく重いなどという言葉は、世界のどこを見ての言葉か。

スラム街で生きる為に、雨で喉を潤し、泥水と残飯。腐敗した食事で飢えを凌ぐ人間の本気の救済なんてせず、自分たちは安全圏から援助のお金を寄付する。

そのお金の使われ方や行先など気にしないのだ。ただ「やったこと」への自己満足感を得て。

何故お金を援助したのにあの国は豊かにならないのか。

きっと指導者が悪いのだろう。きっと土地が悪いのだろう。そういう悪者を外部に求める人間ばかりになれば都合がいい。

悪人を仕立て上げ、その悪人を裁けば解決するのだと、本気で思い込む民衆ほど恐ろしい物はない。


――自分たちこそが世界に等しくあるべく命を粗末にする元凶だと――何故気付けないのだ。

全世界の人口毎に、全く同じだけの食糧と水と金を配るシステムを作ればいい。

しかし世界はそうはなっていない。裕福な国は自分たちの権益を守り、貧困な国でも上位層が少ない利を貪り、下の人間には何も回ってこない。

見て見ぬふりをして自分達の行いを正当化し、既得権益から脱却せず。

衣食住の価値そのものがまるで異なる国が存在することを是とする世界。

それを是非とする2大勢力とバランスを保つ自由派。

その派閥でさえシステムと掟に縛られ――そして。今日、俺は精霊を奪われる役割を押し付けられた。

生活と命は保証されるといわれたが、どうなる事か。二枚舌の外交、三枚舌のクソ野郎を幾らでも見てきた。

それが履行される保証は絶対ではない。それでも、拒めば自分が世界の異物扱いをされてしまう――。









――嗚呼。人類ヒトを救うか。世界わたしを救うか。

三界の長にその判断を仰ぐ――。

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精界寓話 山田原一 @ojijian

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