第3話 精霊への依存と異存
ちょうど、という訳ではなく、時系列的に少し前の話。
星見邸から程よく離れた場所で事故と事件が起こる。たいていは大した事件や事故ではないが、通常より多くの人員が回され、結果的に星見邸のセキュリティが沈黙したことは誰の目にも――仕掛けた側、仕掛けられた側以外からは隠されていた。
けたたましく鳴り響くサイレン音は敷地内での物音をかき消すのにも一役を買う。
相手は、4人。2人は明らかに人ではない。精霊と思われる様に宙を浮遊している。
片方は長い薔薇色の髪の毛に茨の簪を幾つもさし。その瞳にさえ薔薇の花弁が花開くような人間ではありえない様な形状。
――あと、悔しいけれど女性的な肉付きの色合いが私よりちょっとだけ濃い。
その体をベルベットを思わせる光沢ある深紅の一枚布で仕立てたようなドレスを身にまとい、色々と危うい恰好。
街中で見つけたならほぼフェリシダと並ぶ不審者と評価されてもおかしくない。
ぷくり、と盛り上がった唇が人ならざる色香を持つ。
もう片方の宙に浮かぶ影の特徴は絶えず姿を変えている。
表面が揺らぎ、人型、鳥のような形、球体、三角錐、正六面体と形を変えつつこちらの視界に入っては一々注意を引いてくる。
見ているだけで気分が悪くなる様な、集中力をそぎ落とされるような感覚だった。
「我々と来い。」
そう短く告げたのは目前の人間の方。黒いフード付きのローブに足は……軍隊で使うような厚底に、踵とつま先はおそらく金属で補強されてることが予想されるアーミーブーツ。
二つの人型、人間と思われる方は敵意を隠そうともしない。
銃口を向けており、トリガーに指がかけられた状態のような圧迫感を眉間に感じる。
こめかみにキリキリとネジが入り込んでくるような痛みは、言葉への強い反発力。
アレルギーといってもいいかも知れない。
「鞘夜。ヤんのか?」
「丁重にお引き取りいだかこうかしら。
コミュニケーションをとる相手に初手命令口調。
人の家の設備を破壊して土足で踏みにじる非礼。」
フェリシダは直ぐにでも飛び掛かりそうな獰猛な殺意を隠そうともしていない。
普段の日常よりも輝きを帯びた笑顔で目の前の危険性を孕んだ相手を見下していた。
それが気に食わなかったのか、宙に浮いた2人というべきか、精霊の2体から怒気と威圧感。更には明確な殺意まで向けられる。
いっそここまで悪人に徹してくれるなら清々しい。
「フェリシダ。GO。」
抑圧された黒の精霊を解放する合言葉だ。
地面をけたぐり、まず向かったのは女の姿をした精霊の方。
フェリシダの突き出した右腕の先端から黒い細身の槍のような切っ先が生まれ――
「
「クラウダ。」
向こうは二人掛かり。不定形な形をした精霊が間に入ると、フェリシダの槍の穂先を受け止め、そして貫通させずに形状を変えていく。
金平糖の様に周囲にとげを生み出したかと思うと、それが素早く伸縮してフェリシダに無数の刺突を繰り出す形状を取った。
ガガギギガギン!という無数に当たり、同時に無数にはじく金属音が響く。突き出した腕の槍は其の儘に、槍の穂先が瞬間で花開き傘のように広がることで不定形の刺突攻撃を遮断していた。
「軽ィなァおい。鞘夜の一撃のほうがよっぽど響くぜ。」
「当然です、それは目くらましのための攻撃に過ぎない。」
軽口をたたくフェリシダ。だがその声に呼応したように、悠然とした美女――女性型の精霊が口を開き、腕を真下につき下ろす。
同時にフェリシダのみならず、敷地内の地面が不規則にうごめき――茨の。
触手の様に薔薇の棘を持った植物の茎が伸びる。
フェリシダと私を絡めとる目的なのか、すっぽりと頭頂部までその茎が私とフェリシダを包み込み、締め付けてくる、が――。
「だァから。軽いっつってんだよなァああ!??」
パンっ、と。紙風船を割った時のように軽い音。
それは茨を粉砕し、更には傘を花開かせた姿のまま。いや。
――そのもう片方の腕から延びる黒い糸がシャクシャクと音を立てながら茨を喰らい女型の方へその糸が向かう。
黒い糸の先端が果実のように膨らみ、口の様に歯が並ぶ様はシュールでもありチープなホラー映画のような光景。
「クラウダ!」
女性型の精霊が叫んだ事で確定した。不定形な形状をした方がクラウダ。
女性型の精霊はカレンで確定。クラウダの方は先ほどよりも切迫した花蓮の声に応じる様に液体のような流動形態となり体を貫きつつ防護するような黒の傘から軸をずらし、その傘の外側をなぞるように銀色に変貌した色で強度を増したのか。
さらに伸ばすだけではなく、動きに捻じれを取り入れることで貫通力を増し、無数の穂先となってフェリシダの肉体を貫き、地面に縫い留めようというのだろうか。
が、動きそのものに先ほどと大きな違いはない。
見たときは奇妙な形状に変化していたことへの警戒はあったのだが――。
「その動きはもう良いんだよ。」
バヅン、という音。瞬きする暇もなく、クラウダ、と呼ばれていた物体の中心。
そこから最初に差し込んでいたフェリシダの槍の穂先。それがクラウダへの意趣返しのように内部で花開き。
内側からクラウダと呼ばれていた精霊を喰らい破り、許容量を超えた変形を与えた結果、1つ目の脅威が取り除かれた様に。
その存在は塵となって消えていく。
感じるのはフェリシダの気配。存在感が幾分増した事。同時に目の前にいた花蓮が自らの足元から延びていた(つまり地中を経由して地表に姿を現し、茨の牢獄でとらえようとしたのだろう。)茨を切断してフェリシダの糸に食われる未来を回避している姿が見える。
「使い手が違ェ。もうちっとマシな相棒がいりゃよかったんだろうがなァ。」
「油断しない。撤退するまでは手段か策があるでしょう。」
誤算なのか、計算以上だったのか。じり、と花蓮が前に出るような形で後ろ二人との直線上に立つ。
退路を確保するのか、殿を務める心算なのか。そこまで読み切れない。
夜空を見上げると月が雲から顔を表し、後方二人のフードの中がちらりと見えた。
1人は顔面蒼白になり、もう1人も苦悩の表情を浮かべつつ。撤退をする様にこちらに背中を見せる。
花蓮が一人、背後を守るような形で此方に視線を向けるが。追い打ちするつもりもない。
情報が欲しかった中でまともな会話も出来ずに当て逃げされたような形なのは不服だったが、ここで争う意味もない。
「――行きなさい。次はきちんと門戸を叩いて、お客様として来てほしい。」
その声が花蓮に届いたのだろう。戸惑ったように視線を揺らし、くるり、と彼女も背中を向けて前の2人を追いかけ。小脇に挟むようにして離脱していく。
敷地内に残された気配はなく、掘り起こされた地面や無惨に機能停止したセキュリティシステムの修復を考える事にする。
「本当に食べる意味はあったんでしょうね。」
「まァな。あのまま続けてもいいが、どう考えても俺狙うより鞘夜を狙う方にシフトすんだろ。
一番犠牲が少ない方法は1人を圧倒的な力量差を見せつけねじ伏せる事。
戦争の基本くれェは学んだ。」
負傷者こそが撤退戦の時の邪魔になる。
ある程度組織立って動く精霊使いがいる以上、負傷した精霊や人間を狙い撃ちするような行いをする人間もいないとは限らない。
……命の価値に貴賤はないが。少なくとも自律していたのは女の精霊の方。
体型を変えるクラウダの方は使われるタイプの精霊。
屋敷の中に戻り、すっかりと冷めてしまったお茶をすすりつつ。
クラウダを捕食したことで存在感が増したフェリシダが口を開いた。
焼き菓子をバリボリとむさぼりつつ、捕食したことで得た情報を私に伝えている。
クラウダ自身は水銀の精霊。伝承に残るような賢者の石の類の手札型と呼ばれるタイプだそうだ。
てっきり精霊は色の類しかいないのかと思ったがそうではないらしい。
水銀なので形態をとどめず、しかし鏡の素材になったり、それ自体が猛毒だったりと使い手によって大分力の悪用も出来そうな感じを受けるが。
少なくとも目の前の精霊からそのような悪用、人殺しを厭わないタイプには見えなかった。
「クラウダはどうなったの?」
「こっとの世界で現出した分は全部使い切った筈だ。まぁ精界にはアイツの本体がいるから死んだ訳じゃねぇ。俺の引き出しに水銀って手札が増えたくれェか。」
手札型最大の利点はこの世界での消滅が死亡に直結するわけではない点だ。
使い捨てる、使い切るには役立つタイプ。補充や回復が難しいというのもあるが、死ぬわけではない以上、絆を結んだ側も遠慮なく使い切れる。
となると先程の来客の目的は。威力偵察というところだろうか?
「あとはこの世界には3つのグループがある。
1つ。世界の秩序を維持するための
2つ。世界よりも個人の自由を追求する
3つ。世界の秩序をすべて崩し、世界を支配すべきという主張の
さっきの連中は支配派に属しているみてェだな。俺ら、つぅか
「アンタを?そんなにアンタに価値があるの?」
「まァ、色々あんだよ精霊にも。それと可能なら俺達を引き込みたかった様だ。
鞘夜の考え方はリサーチされていて、多分失敗するだろうなって会話記録が残っている。」
夜明けまで時間はある。いくつかの問答を行い、そしてあの二人の組み合わせを考えつつ。推論と推理を構築する。
もっとも、推理をしなくとも数日も経たずにいずれかの勢力からのコンタクトはあるハズだった。
特に手札型、精霊1人を手放す形になった
手札を1枚手放すことに特段の抵抗を示さなかった。仲間の仇という目線でもなく、怒りという感情も感じ取れない。
予定調和というべきの損失。それが相手の撤退に現れていた。もう1人の女精霊も死を受け入れた――見たことのある表情を浮かべていた。
つまり2人は捨て札にされたのだ。何のために?私たちに情報を与える為に。
何の目的があって?私たちに情報を与える事で所属を選ばせる為。
所属を選ばせた場合、敵対組織に属する事になればそれは損失ではないか?
ここは答えがすぐに出ない。推論は幾つか浮かぶが、それ以上の確信を抱ける回答は出ない。
「フェリシダ、もう今夜は客は来ないと思う。
……私のパソコンを使っていいわ。得た情報を箇条書き程度にレポートにまとめておいて。
インターネットへの接続ができる様になったら忙しくなると思うわ。」
精霊という存在は日常生活に馴染みにくい。
特に戸籍などが充実している現状では特に。逆を言えばそれらを必要としない行動なら行動できる幅と時間が広がり、やれることが増えることに繋がるのだが。
精霊が激しく行動すると、わずかだが疲労感が襲ってくる。
フェリシダが言うには、本気は出してもいない戯れ程度の動きでこの消耗。
ふう、というため息を一つ。同時に手にしたのは――エネルギーゼリーではなく、コンビニで仕入れた総菜パン。
コロッケと焼きそばが挟まれたカロリーモンスターを白湯で流し込み、ベッドの上に横たわる。
パソコンに触れているフェリシダは上機嫌に、ブラインドタッチの真似事をしては失敗して文字の打ち直しをしている。
くすり、と。見られないように小さな笑い声をこぼしたのは、疲れていたからだろう。
彼に背中を向けて、意識を手放していく。翌朝までに、プリントアウトされた大量のいかがわしいプリントを見て眉を顰めるのはまた別な話――。
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