第40話 小説家とインスピレーション

 ──吉田よしださんと結婚し、さらに数年の時が過ぎた。


「……うーん。いい展開までいったけど、これから先が書けんのよね……」

「それで私を呼んだわけ? あさみ?」


 ──季節は梅雨明けの7月、築40年となる、風呂とトイレは共同のボロアパート。

 エアコンが効いた畳部屋の居間にある勉強机にて、ノートPCに顔を埋めてる白いカットソーのあさみにより、紫の花柄ワンピースの私はこの場所に呼びつけられた。

 正確には私だけじゃなく、水色の園児服の小さな女の子も一緒だったけど……。


「そや、実際に青春を謳歌おうかしてる相手からの感想が欲しくてな」

「謳歌も何も私、既婚者だよ」

「いや、恋愛結婚なんやから十分に謳歌してるってば」


 あさみが鼻息を荒くしながら、私の両手を取る。

 すると隣にいたおかっぱ頭の女の子も興奮し、急に騒ぎ出す。


「おうか、おうかー♪」

「はいはい、紗希さきちゃん、ちょっと落ち着こうね」

「はーい」


 私から紗希と呼ばれて、素直に従う女の子。

 その愛らしい女の子は私と夫との子供であり、新しい家族でもあった。


「ふむ。母娘愛か。中々使えそうなネタやな」

「……って、そう簡単にスランプ脱出できたら苦労せんわ」


 あさみが持っていたマウスを投げようとし、どうにかして止めに入る私。


「すらんぷー、すこんぶー♪」

「こらっ、お姉ちゃんのお仕事の邪魔しないの」

「りょー」


 紗希が悪ふざけであさみのデスクの周りを回りながら笑っていたけど、大人の世界ではそれは挑発行為だ。


「あさみ、無事に小説家になったのはいいけど、色々と大変そうだね」

「そや、新人賞は取れたものの、それから先の作品がさっぱりでな。お陰様でこの有り様や」


 ──親から無事に独立し、大学に通いながら寝る間を惜しんで書いた小説。

 その努力が実ったのか、卒業と同時に新人賞を取り、売れっ子作家の仲間入りを果たしたあさみ。

 でもその生活は僅か一年で終わり、こうして格安アパートでの生活を余儀なくされたのだ。   

 

「もう、あん時みたいな人気の恋愛小説は書けんのかね……」

「あさみ……」


 そんなあさみに恋愛をする時間も余裕もなく、一度離れた両親に頭を下げて仕送りを貰う日々。


 プライドもあるあさみのことだ。

 いくら物書きで食べていけなくても苦渋の選択だっただろう……。


「ねえ、おねえちゃん。くるしそうなかおして、おなかいたいの?」

「さあ、どうしてかなー」

「おへそのお、とったから?」


 なるほど、それで腹痛か。

 の意味があいうえおの最後のにも聞き取れて、文字からして、物語の終わりが見えてきたり……。


「あははっ。そう来たか。こりゃ面白い子やわw」

「おもしろおかしい?」

「くくっ、そう来ると。沙優チャソ、こん子、将来有望やでw」


 あさみが紗希のジョークであんなにも笑っている。

 見てくれは幼い子供だけど、まさにムードメーカー的な役割だよね。


「ほれ。臨時のお給料や」

「紗希にくれるの?」

「そや。ネタを抽出してくれたしな。これはウチからの臨時報酬や」

「うん、ありがとー」


 あさみが手元にあった小さなクマのぬいぐるみを手渡すと、紗希は何も知らずに大層喜んだ。


「そりゃ、私の子供だもん。当然よ」

「あはははっ。おまけに親バカときたもんやw」

「きたもんじゃー」


 紗希がもんじゃ焼きを絶賛する中、あさみが狂ったようにPCのキーボードを手早い動作で打ち出す。

 今までとは別人のように顔つきまで変わっていて、誰にも止められない状態だ。


「いいで、この分ならガッツリいけるわ。このインスピを巧みに利用してな……」

「あさみ、上手くいきそうなの?」

「上手くも何も最高の出来になりそうや」


 生き生きとした表情のあさみがモニターに見入ったままで言葉だけを交える。


「あんがとな。紗希チャソ」

「うん♪」


 あさみの感謝をどう受け取ったのか、紗希のあんな喜ぶ姿を見るのも悪くはない。


 私は部屋にあった桃三郎の絵本? を紗希に見せて、あさみの執筆の邪魔にならないよう、紗希と静かに部屋を移動した……。


****


 ──後日、発売したあさみのライトノベルの新刊は飛ぶようには売れなかったが、その独創的な内容が読者を惹きつけ、地道に発行部数を重ねていった。


 小説の題材は父親が病気で他界し、残された母親と幼い我が子が、新しい父親を相手に紡ぎ出すハートフルなストーリー。

 近年の異世界ファンタジーを軸にしたライトノベルとは異例で、笑って泣ける恋愛ドラマのような内容は多くの読者の心を掴んだ。


「何だか、このあさみの小説、吉田さんと私みたいだね」

「おい、まだ俺は健在だぞ?」

「もう吉田さんにはロマンがないなー。まあ、私が亡くなったらしそうだし、精々長生きするから」

「そうだな。俺も頑張って生きるよ」


 ──今日も私は幼稚園に紗希を預け、吉田さんといつもの職場へと真っ直ぐに歩き出す。

 命というものは限りがあり、悔いのない精一杯の人生を送るために。


 天国で見守ってくれている親友だったあの子のためにも……。


 fin……。

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ひげを剃る。そして記憶喪失の女子高生を拾う……。―Dark Side Traveler Story― ぴこたんすたー @kakucocoro

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