19世紀半ば(7)近代君主制のアーキタイプ

 ロマン主義の歴史家でジャーナリストでもあるオーギュスタン・ティエリが、人生の締めくくりに発表したシャルル七世評には、これまでの先入観の影響が残っている。

 ティエリは、エノー総督によって「奇跡の証人・目撃者」の役目に追いやられたシャルル七世のイメージを踏襲しつつも、というよりに着目している。




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 長く苦しい国家解放の仕事から、ブルジョワを主な顧問(助言者)とする新たな治世が生まれた。シャルル五世の孫(シャルル七世)は、祖父の賢明な統治によって築かれた「秩序」「規則正しさ」「統一」といった伝統を引き継いで、発展させた。


 シャルル七世は、生まれつき弱く怠惰な王であったが、フランスの歴史において重要な地位を占めている。それは、彼自身が行ったことよりも、彼の名のもとに行われたことのためだ。シャルル七世の功績は、時代の流れを受け入れて、勇気と理性に触発された霊魂スピリットに従ったことである。


 エリートの精神と知性が、シャルル七世のもとに集まり、シャルル七世のために働いた。戦争のときは愛国的な本能ですべての武力をもって、平和なときは国民的な世論ですべての啓蒙をもって……。


 改革と進歩の霊魂スピリットは、財政、軍隊、司法、警察といった王国の行政すべてを変えた。


 これらのさまざまな分野に出された命令は、その効果を十分に発揮した。

 以前のように少し混乱した曖昧な命令ではなく、正確で、明白で、説得力があり、現実的な能力と自信に満ちた意志が際立っているため、力を帯びていたからである……。


 近代君主制の原型——つまり、将来的に、単一かつ自由であることを運命づけられた政府の形は、すでに見つかっていた。その基本的な制度は存在していた。

 あとはこれを維持・拡大し、慣習として定着させるだけだ。


 シャルル七世の治世は、国家が生き生きと躍動する時代だった。

 偉大で新しいことは、君主ひとりの個人的な行い(個人プレイ)で生まれるのではなく、すべてのものが行動し、考えて、助言する、一種の「公的パブリックなインスピレーション」から生まれたのだ。

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 シャルル七世は、封建君主制から絶対君主制の道のりを決定づけたとも言われる。しかし、彼の性格とその治世について詳しく知れば知るほど、むしろ近代以降の啓蒙君主・立憲君主に近いのではないかと思う。







(※)大雑把に説明すると…


・封建君主:君主が臣下に領地を与えることで成立する主従関係、階級社会。

・絶対君主:君主がすべての権能を所有し、自由に権力を行使できる。

・啓蒙君主:君主が責任を持って、理性的に統治する。

・立憲君主:君主の権力は、憲法で制限されている。君臨すれども統治せず。




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