19世紀半ば(6)アカデミーの歴史家——ジェラール、キシェラ
ベンヤミン・ジェラールとジュール・キシェラは、19世紀を代表する歴史学者で、フランス国立古文書学校(École des chartes)の理事を務めている。この矛盾だらけのテーマ「シャルル七世」について、二人の碩学はどう見ているだろう。
評価は、1850年ごろにさかのぼる。
銀行員から歴史学者に転向したジェラールは、修道院が所蔵する膨大かつ貴重な古文書をいくつも刊行し、多くの歴史家たちが彼の仕事の恩恵にあずかっている。9世紀の住民台帳『ポリプティク・イルミノン(Polyptique d’lrminon)』を整理したまじめな編集者は、シャルル七世について次のように語っている。
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シャルル七世の治世下で、王権は至るところに浸透し、勝利を収めた。
現代の歴史家はこの王子に高い評価を与えていないが、権力の二大基盤である財政と武器は、シャルル七世の時代に「公的な税制」と「常備軍の創設」によって確実に保証されるようになった……。
フランスには多額の歳入があり、すべてのニーズを満たすために十分な財政組織があった。
また、シャルル七世は、攻撃も防衛もいつでも対応できる常備軍を持つことで、古い封建制を終わらせ、武装兵は恒久的な仕事と固定給を手に入れることができた。
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ジェラールのいう「現代の歴史家」は1850年当時だが、170年以上経過した21世紀現在のシャルル七世評もそれほど変わってない(高い評価を与えていない)のは残念だ。
もう一人のジュール・キシェラは、シャルル七世に対して辛口なことでよく知られている。しかし、ここでは公平性を示している。
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シャルル七世は、王位を向上させた数少ない王子の一人である。
しかし、治世の初めは、のちに示すような美徳を備えていなかった。なぜなら、彼は美徳の芽を持ってはいたものの、生まれながらの欠点、特に生い立ちからくる悪影響によって、その美徳を損なってしまったからである。
15世紀のもっとも偉大な観察者と呼ばれるジョルジュ・シャトランは、「シャルル七世の魂には嫉妬があった」と主張している。彼が寛大さという貴重な才能を欠いていたことは間違いない。
このことが、自分自身に対する大きな不信感と、自分の名のもとに行われた犯罪の恐怖と相まって、シャルル七世は君主として適性があるにもかかわらず無気力になり、頭がいいにもかかわらず状況を理解しようとせず、優しい性格にもかかわらず陰険で頑固になってしまった。
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(※)後半のキシェラは、貶してるんだか褒めてるんだかわからないw
もうひとり、オーギュスタン・ティエリーを紹介する予定でしたが、眠すぎるのと、疲れているのかじんましん(?)が出ているので今回はここまで。
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