19世紀半ば(4)『フランス史』ブーム——ミシュレ、ローランティ

 シスモンディが苦労しながら執筆し、アンリ・マルタンが形式でこの仕事(フランス史執筆)を再開している間、ジュール・ミシュレはじっくりと賢明に『フランス史(Histoire de France)』を書き上げ、1833年に第一巻を刊行した。


 ミシュレ著『フランス史』シリーズは、日本語に翻訳されて広く普及しているので、知っている人も多いだろう。


 ミシュレは、第5巻の全編を、シャルル七世が統治した1422年から1461年にかけての期間に費やしている。既刊と同じく、博学な研究、独創的な洞察、思慮深い考察、そして奇妙な空想と長い脱線に満ちている。

 したがって、シャルル七世の人物像について理性的な評価を期待しても無駄だろう。


 不思議なことに、ミシュレは歴史に情熱を燃やし、すすんで出典に立ち戻るが、シャルル七世の歴史からを消し去ることはできなかった。

 それどころか、従来の伝説からさらに逸脱して、「アニエス・ソレルは義理の母であるヨランド・ダラゴンからシャルル七世に贈られた」とまで言う。


 同著は「女性を愛し、女性に救われた」「善良なシャルル七世」という文脈で、「王族らしからぬ(非王道的な)キャラクター」として語られている。


 その一方で、ミシュレは、シャルル七世の個人的な行動のいくつか——プラグリーの乱、ポントワーズ奪還、封建制の打倒、軍事改革、常備軍の創設、ブルゴーニュ公との外交闘争、ジャンヌ・ダルクの名誉回復など——を正当に評価している。


 そのため、矛盾や誤りがあるにせよ、シャルル七世は他の多くの歴史書よりもはるかによく登場している。





 ピエール=セバスティアン・ローランティの『フランス史(Histoire de France)』は古典的な慣習にしたがって、シャルル七世を描写している。



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 シャルル七世は、君主として誠実だったが、キリスト教徒として貞節ではなかった。だらけた快楽(plaisirs)を愛することを抑制できず、これは栄光に満ちた生涯の汚点となった……。


 この嘆かわしい不品行が非難された後、歴史はこの時期がフランスで最も輝かしい時代のひとつであったことを示す。


 よく言われるように、シャルル七世は、フランスからイングランドを完全に追い出した大きな国民運動と無関係ではなかった。


 ラ・ピュセル(ジャンヌ・ダルク)がフランス解放の号令をかけ、従軍している間、王は動かなかった。まるで、王の使命が他人の手に移ったかのように。


 また、勇敢で才能ある人物たちに自分の軍を任せることは、シャルル七世にとって不名誉ではなかった。


 たいていの王は、こうした選択の誤りによって滅びるものだ。

 しかし、シャルル七世は、ひとたび戦争や政務に直接身を投じる必要が生じると、勇気と継続性と、さらに、おそらく人よりも優れた素質を示した。


 このムーブメントの中で、王はいつもの享楽を忘れてしまったかのようだ。


 歴史は、武器、議会、法律、軍規の改革、軍隊、政治交渉、国家の相次ぐ拡大、無秩序の抑制、社会回復のためのすべての仕事——、この時代に行われたすべての偉大で有益なことにシャルル七世が関与していることを記憶している。

 だが、歴史は、この王子がしてきたこれらの活動、適応するための粘り強い努力と引き換えに、彼の人生を奪った障害についてほとんど覚えていない。

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