19世紀半ば(3)『フランス史』ブーム——ラヴァレ、ルロワ
この時代は、さまざまな歴史作家たちが『フランス史』を刊行している。
年代順に追っていくと、前回のアンリ・マルタンの次は、テオフィル・ラヴァレ著『フランス史(Histoire des Français)』に行き当たる。
この本が書かれた当時、著者のラヴァレは、私たちが知っているような「過去の歴史に対する節度と公平さ」という考えから遠くかけ離れていた。彼はシャルル七世について次のように述べている。
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フランスの驚くべき運命と、その内に秘めた信じがたい資源によって、この国はもっとも完全なる屈辱から、以前よりも強く、より身軽(コンパクト)に立ち直った。
この急激な回復は、フランス自身のおかげだ。
国民がこれほど活動的で、生き生きとし、自信に満ちていたことはなかった。
あらゆる障害にもかかわらず、あのような国王だったもかかわらず、国民は救われ、国王も救われた。
シャルル七世は、この偉大な事業に受動的な役割しか果たさなかった。
二つ名「よく尽された王(Le Bien-Servi)」の通り、王はあらゆる物事によく尽くし、身を捧げた。
見事なまでの不屈の精神で、献身的な民衆のために尽くし、ジャンヌ・ダルクやジャック・クールのために尽くし、自分のために働いている隊長たちに尽くし、ビルゼ川で死なせた兵士たちのために尽くし、彼自身の欠点である狡猾さ、怠惰、利己主義、忘恩のためにも尽くした。
ブールジュの王にすぎなかった彼は、キリスト教国でもっとも強力な君主となった。ヴァロワ王朝の権威は、長い間不安定だった王位に安泰を得たことで、カペー朝時代から続く王と有力貴族に対する古い戦争を再開し、終結させようとした。
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1839年、フェルディナン・ルロワ著『1455年以降のヨーロッパ概況(Tableau général de l'Europe vers l'année 1455)』が刊行された
あまり知られていない著者だが、フランスの繁栄した状況と、ヨーロッパの大半の地域が不安定だった状況を対比・強調した後、シャルル七世について次のように描写している。
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これらすべての偉大で輝かしい結果は、シャルル七世一人の力によるものではないことは確かである。
しかし、稀有な資質を備えたこの王子を、一部の歴史家が示したような軽蔑のまなざしで取り扱うことはできない。
今、この著書で描いたビジョンの中で、「ヨーロッパ情勢に重要な役割を果たした人物」としてシャルル七世を第一位に挙げた。
なぜなら、彼の個人的な資質であれ、彼の治世中に起こった出来事によるものであれ、シャルル七世は一般的に言われているよりも大きな役割を果たしたと思われるからである。
シャルル七世は、辛抱強く不幸を克服し、慢心することなく幸福をつかみ、驕ることなく勇気を示し、慈悲をもって勝利を収め、臣民の真の利益を思いやる術を知っていた。
彼は、重要な金融・司法改革と有益な制度をフランスにもたらした。
もっとも困難な時期、アラスの和約でブルゴーニュ公はオランダ、エノー、ナミュール、ブラバントの領地を手に入れた後、シャルル七世もまた抜け目なく、同時に勇敢でもあった。
実際、すぐにモントローとモーを奪還し、ノルマンディーの(イギリス海峡に面した港町)ディエップはイングランドから離脱し、アルマニャックはフランス王の権力下に入った。
この王子は、治世のもっとも悲惨な時期であっても、救いを信じ、絶望する姿を見せなかった……。彼の勇敢さは、しばしば怖いもの知らず同然だった……。
シャルル七世は、軍隊と財政を再編成することで、それまでどの王子もやらなかったことを成し遂げた……。彼の正義感は、当時の人々から賞賛された……。
最後に、彼の治世が栄光として記憶されるために述べておきたい。
シャルル七世は、内乱と外敵との戦争に明け暮れる人生だったにもかかわらず、文学への愛情はそれに劣らず激しかった。
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(※)シャルル七世の教育課程から推測する愛読書リストとか……、知りたい人いますか? 需要なくても、そのうち勝手に公開しそうですが・笑
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