19世紀初頭(3)ヴィルマン「柔らかく軽やかな手」
アベル=フランソワ・ヴィルマンの批評を無視することはできないだろう。
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シャルル七世は、軽薄な性格と娯楽好きな弱点の裏側に、聡明で堅実な根気強い精神を隠し持っていた……。
彼は「勝利王(Victorieux)」という称号を得たが、この名は彼に仕えた将軍たちにこそふさわしい。
もうひとつ、シャルル七世には「修理王(Réparateur、修復者、回復者)」という称号があり、こちらの栄光はあまり目立たない。
タキトゥスの言葉にあるように、「治療は病むよりも時間がかかる」のだ。
怠惰と享楽的な趣味(plaisirs)は、シャルル七世の生来の性質で、彼の力をさらに鈍らせたが、彼の知恵によってもたらされた連続的な利益を妨げることはなかった。
つまり、シャルル七世の軽薄さは思慮深さと表裏一体で、役に立った。
有力な領主を味方につけるために、国家にとって有益な影響力を与えたのだ。
シャルル七世は、人々を救う前に、まずは愛されることによって、人々の不満やぼやきを受け止めて解消しようとした……。
力強さと幸せに満ちた穏やかさによって、これほど早く、行き過ぎた悪から立ち直った人々を、私たちはいままでに見たことがない……。
歴史というものは、現代人と同じくしばしば賢明とはいえないものだ。
しかし、旺盛な気性を持つ国家が再び立ち直ることを可能にした当時の政治体制を、歴史は十分に評価してこなかった。
シャルル七世の手は、柔らかくて軽やかだった。
そのため、この王はほとんど何もしていないと考えられてきた。
しかし、シャルル七世の手は、いたるところの傷に触れた。
休息(repos)が傷を癒し、フランスは無意識のうちに進歩してよみがえり、ある日ついに、愛する王のもとで団結し、強く、平和であることに気づいたのだ。
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また、フランソワ・ギゾーは、シャルル七世自身よりも15世紀の政府がもたらした影響について批評している。
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父王シャルル六世の時代から息子のシャルル七世の時代にかけて、政府の統一感と結びつきと力強さがこれほど欠けていた時代はない。
彼の治世の終盤は、すべてのものが姿を変えた。
政府の主要な力——軍事・税制・司法の三権力はすべてが大規模なもので、いくつかの組み合わせで成り立っている。それぞれが自らを強化・拡大し、組織化されている権力だ。
シャルル七世の時代に、常設の軍事組織が作られた。
騎兵は王令部隊(compagnies d'ordonnance、最初の常備軍)に、歩兵は自由射手隊(francs-archers)に編成された。
シャルル七世はこれらの軍隊を用いて、イングランドとの戦争を終わらせ、その後、戦時下の混乱と残虐行為によって荒廃していた地方に秩序を取り戻した。現代の歴史家はみな、常備軍の素晴らしい効果を認めている。
国王の主な歳入のひとつであるタイユ税が恒常的に導入されたのも、この時代だ。これは人民の自由に対する重大な侵害だったが、政府の規律正しさと力強さに大きく貢献したのも事実だ。
同時に、司法行政という偉大な権力の道具が拡大・普及し、組織化されて、評議会(Parlement、高等法院)は各地で数を増していった……。
このようにして、15世紀のフランス政府は、軍事・課税・司法という三権力に、統一性・規則性・永続性という、それまで存在しなかった本質的なあり方を獲得した。「公的な権力」が「封建的な権力」に取って代わったのである。
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(※)このページの前半、ヴィルマンの「シャルル七世の手は、柔らかくて軽やかだった」について。おそらくここはダブルミーニングを意図しているので、言葉のニュアンスを補足します。
・douce:柔らかい、静か、優しい、甘い、落ち着いている
・légère:軽い、軽やか、人当たりが良い、手先が器用
手に関する物理的な描写であると同時に、比喩的な「癒し手」を意味しているのではないかと。
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