18世紀(1)歴史家たちの見解「幸運な愚王か、賢君か?」

 ル・ジェンドル修道士やリミエ修道士など、18世紀の年表編集者(annalistes)たちは従来の先入観に影響されていたが、ランスレ・デュ・フレノワ神父は、1729年の著書でシャルル七世を「偉大な王のひとり」と書いて憚らなかった。


 1754年に出版された『新しい年表の概要(Nouvel abrégé chronologique)』では、次のように書かれている。




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 シャルル七世は、ある意味で、その治世に起きた「奇跡の目撃者」だった。

 君主の無関心にもかかわらず、幸運は何か特別なことをするために、強力な敵対者と勇敢な守護者の両方を与えて喜んでいるかのようだった。


 この王子が勇気に欠けていたわけではないが、軍隊の先頭に立ったとしても、それは戦士としてであって、指導者として優れていたわけではなかった。


 シャルル七世の生涯は、色事と娯楽と祝祭に費やされた。

 ある日、ラ・イルが王に重要な報告をしに来ると、王はこれから催されるパーティーの準備で忙しく、ラ・イルにその準備を見せてどう思うか尋ねた。ラ・イルは「これほど陽気に王国を失うことはありえない」と言った。


 しかし、彼の治世のすばらしさに惑わされた歴史家たちは、シャルル七世が王政に何も関与していないとは想像もできなかったようで、「勝利王」という称号を与えた。

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 一年後、シャルル・ピノ・デュクロは『ルイ十一世の歴史(Histoire de Louis XI)』を出版した。


 これまでよりも学術的(アカデミック)な形式だが、デュクロの評価は15世紀のエノー総督と大きな違いはない。




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 シャルル七世は穏やかで、気さくで、寛大で、誠実で、良き父親であり、良き君主であり、愛に値し、友情に厚かった。立派な人物としての資質をすべて備えていたが、王としては弱すぎたのかもしれない。


 快楽(plaisirs)にのみ没頭し、王座が課す義務や煌びやかさには鈍感だった。

 戦争の苦難を恐れていたが、危険に直面した時には恐れを知らなかった。

 英雄のような勇気を持っていた一方で、偉大な事業に必要な精神の勇気(意欲)に欠けていた。


 シャルル七世は、自分自身を前向きに評価することがほとんどなく、寵臣や愛人に触発された感情以外を持つことはなかった。王に仕える将軍たちの価値観と行動力が、彼の生まれつきの無気力さを補っていた。


 シャルル七世は「有能な臣下を見つけた」という意味で、充分に幸運だった。

 そして、「臣下をうまく使いこなした」という意味で、充分に賢明だった。

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