第19話 帰郷に向けて
事件後、教団の解体と神父達の裁判、火事の補償など諸々の事務仕事に追われて、ジークフリート王子や騎士団は寝る間もなく働かなければならなかった。
教団から保護された屍人の家族は、ローザリンデ王女の母・第三妃の管理する王立診療所へ運ばれた。彼等は司祭の毒を毎日飲まされていたらしく、完全に元に戻るかはわからないが、医師団が回復できるように手を尽くすことになった。
私はこれを機会にラウリッツ領へ帰ろうと思っていたが、その前に竜との戦いで負った脚の傷を診てもらうという名目で診療所へ行き、彼等の解毒を行うことにした。いったん身体に染み込んだ毒を消すことができれば、後は少しずつでも自分の力で回復してゆける。
ローザリンデ王女に内緒にしてもらうよう頼んで、私は本来の姿でベッドに寝たままの患者達に解毒魔法をかけてまわった。王女は精霊から私の正体を聞いていたのか特に驚いた様子もなく、医師達と一緒に意識の戻った患者の世話をしていた。
せっかく生き返らせたはずの大切な人を良いように使われ、結局殺された家族の悲嘆はかなり深い。自分もまた毒薬で操られていたとなればなおさらだ。
王女は彼等の話を聴き、慰めることに終始していた。美しい王女に親身に話を聞いてもらえると、少しはつらさもやわらいだだろうか。
その後、私はしばらくベッドから起き上がれなかった。
完全なる魔力切れだ。百人以上の患者の解毒は流石に辛かった。最後の一人に解毒魔法をかけた後の記憶がない。
どうも息も出来ないくらいに消耗して、ギルが慌てて魔力を分けてくれたようだ。それでも意識が戻ったのは三日も経った後だった。
「ヒルデお姉様、具合はいかがですか」
王女の客人としてローザリンデ王女の宮の一室を借りていたのだが、診療所も落ち着いたのか王女がお見舞いに来てくれた。あれ以来、王女は私のことをお姉様と呼ぶ。侍女達がおかしく思うんじゃないかとハラハラするけど、当の王女はお構いなしだ。
「もう元気ですよ。それより患者さん達はどうです?」
「ほとんどの方がもう普通に生活出来るほどに回復しました。凄い解毒魔法ですね。お姉様は本当に素晴らしい治癒師ですわ」
そう言って、王女は私に布に包まれた長い棒のようなものをくれた。
「これは?」
「ジークフリートお兄様からの預かり物です。剣の鞘だそうですわ」
「ラウリッツに帰る前にご挨拶に行かねばと思っていたので、鞘が出来てよかったです」
「そのことなのですが……、ヒルデお姉様がラウリッツ辺境伯の令嬢であることをお兄様に伝えませんか?」
私が言葉選びに困っていると、王女は真剣な顔で私の手を取った。
「ジークフリート兄様にはお姉様が必要ですわ」
「それは私の魔法が、でしょう? 陛下の命令に逆らうことにはなりますが、私はジークフリート殿下の妃になるつもりはありません」
彼は人間として尊敬できる。でも、王子の伴侶として悪魔の異名を持つ私はふさわしくない。私はやはり辺境で魔物を相手に戦っている方が性に合うのだ。
それに、私は王子には好きな人と一緒になって欲しい。その方がずっと幸せになれると思う。
「確かに魔法も必要ですけど、それだけじゃないですわ。だって、お姉様が教団に捕まった時、すごく慌ててわたくしの宮に飛び込んで来られて……。あんなに必死になったお兄様は初めて見ましたもの」
「責任感の強い方ですからね」
「本当にそれだけでしょうか?」
「そうですよ。それに、心配されずともラグナル達を見つけたら今度こそ呪いを解かせます」
指名手配はしているが、まだ司祭達が見つかったとは聞かない。
「精霊達はラグナルもフレイスベルクもこの国にはいないと言っています。どこか別の異国に逃れているのですわ」
「見つかればすぐにお知らせください。ちょうど私と入れ替わりに弟のアレクシスが王都に来ます。士官学校に入学するので、王女様にもお目にかかることがあると思います。何かあれば弟から私に連絡していただけたら、いつでも参上いたします」
「まあ、辺境伯のご子息が?」
私が頷くと、ローザリンデ王女はお手紙書きますわね、と言って嬉しそうに笑った。
*********
「殿下、
挨拶のためにジークフリート王子の執務室を訪れると、彼は事件の書類をまとめているところだった。私が明日帰郷することを告げると、彼は少しの間黙って、そして頷いて言った。
「ヒルデ、ラウリッツに帰ったら辺境伯に伝えて欲しい事がある」
「はい、なんでしょう」
「陛下に言って、クリムヒルト嬢との婚約はなしにしてもらおうと思うのだ」
それは私にとっては願ったりだけど、いったいどういう心境の変化だろうか。
「殿下は困りませんか?」
「夜に出歩かなければ良いだけだ。戦場では竜でも戦えるしな」
確かに空も飛べるし氷魔法も使えるから、困ることはなさそうだ。
あんな可愛い竜が出てきたら、敵も戦意をなくしそうだけど。
「でも、なぜです? 前は呪いが解けなければ婚約すると言っていたのに」
「魔法が使えるというだけで、愛もなく不自由な王族に組み込まれるのは、あまりに彼女が不憫だと思いなおした」
「愛もなく?」
「ああ、俺にはほかに好きな
王子はそう言って、私から目をそらした。横を向いた頬が少しだけ赤い。
婚約者がいないと聞いた時から予想はしていた。けれど、なぜか彼の口から聞かされると、きゅっと私の心臓が痛んだ。やっぱりね、と思う気持ちと、嘘じゃないか、と思う気持ちとがせめぎ合う。
「本当ですか?」
「ああ、でも彼女の身分では王子妃にはなれない」
予想通り、王子には身分の低い恋人がいたんだわ。でもその場合、抜け道はないわけではない。
「相手の方を貴族の養女にするとかは出来ないんですか?」
「うーん、出来ないことはないのだが、そもそも彼女に断られそうなのだ」
「え、殿下を断る女性がいるんですか? 竜でもいいから王子と結婚したいっていう令嬢は多いと思いますよ」
「本当にそう思うか? 俺は一生独身になりそうで心配なのだが」
「では、早くラグナルを見つけて私を呼んでください。きっと今度こそやっつけますよ。殿下がちゃんと結婚できるように」
「それは助かる」
そう言って私達は互いに顔を見合わせて、くすくすと笑った。
きっと、この
ふと目をやった窓の外に満月が浮かんでいるな、と思ったら、ぽふんと王子が子竜になった。
『そういえば、ヒルデはこの姿を好んでいるようだったな。思い切り
「え、いいんですか?」
『当分会えなくなるからな』
「それではお言葉に甘えて失礼します」
白い頭をなでなですると、王子はくすぐったそうに目を細める。
「抱っこしてもいいですか?」
『ん? ……ああ』
ラッキー。一度でいいからゆっくり子竜を抱っこしてみたかったのよ。
ひょいと抱き上げると、お腹がムニムニしていて気持ちいい。
ぷにぷにした小さな手をつまんで柔らかさを楽しんで、ついでに頭に頬ずりすると、腕の中で困ったような声がした。
『中身は俺だとわかってやっているか?』
「わかってますけど可愛いんですもん。
『それはそうだが……』
子竜の王子は、これは男と見られてない? とかなんとかブツブツ呟いている。
王子には悪いけれど、私は王子はこのままの方がいいと思うわ。
内緒でそんな事を思い、ひとしきり愛でてから、私は王子にさよならを告げた。
子竜の王子は一瞬目を見開いてからうつむき、そして顔を上げるとにっこり笑った。
『また、会おう』
これが最後の別れではない。また会えるのだ。たったひと月ほどの滞在だったけれど、この人達に出会えて良かったと今は思う。
そして翌朝、私はギルとともにラウリッツ領へと旅立った。
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