第14話 司祭と聖女

「お許しを、司祭様。どうか……」

 

 誰かが懇願する声が聞こえる。

 

「いいえ、決してそのようなことは……神に誓って」

 

 かすかに聞こえて来る男性の声は恐怖に怯えているようだ。

 何度かのやりとりの後、ぎゃあという叫び声がして、会話はそれ以上聞こえなくなった。

 

『何が起こっているんだ?』

「わかりません」

 

 殺人?

 薄く扉を開けてみる。

 すると、一人の神父がふらふらと扉の前を歩いて階段を登って行くのが見えた。

 あの人がさっき謝っていた人かしら。どうやら死んではなかったようだ。でも顔色は死人のように蒼白だったのが気にかかる。

 

 彼が立ち去った後、廊下の奥から再び声がもれてきた。

 

「神の御使みつかいとなった者はすでに二百はこえました。しかし、まだまだ足りない」

「…………」

「わかっています。レーヴァテインの力だけでは終末の予言は実現出来ない」

 

 レーヴァテイン? 終末の予言?

 この声はラグナルという司祭の声だ。

 私達は薬品庫を出て、そろそろと声の聞こえる部屋へ近付く。

 あの神父はきちんと扉を閉めずに出たようだ。薄く開いた扉の隙間から部屋の中をのぞくと、中には三人の人影が見える。

 

 一人はやはりあの時の司祭。

 もう一人は白いマントを頭から被り、こちらに背を向けているのでわからない。背格好からは女性?

 もう一人も椅子に座っているようで、ラグナルの影になっており見えなかった。

 

「もう神は私の前に現れました。赤い魔物も。もうすぐです」

 

 司祭は椅子の人物に語りかけているようだった。

 一体誰だろう。

 

 よく見ようと前のめりになった瞬間、触れてしまった扉がギイと音を立てた。

 

 まずい!

 

(逃げますよ、王子!)

 

 私は王子の手をつかんで走り出す。

 

「何者です!」

 

 誰何の声を背に、急いで階段を駆け上がった。

 後ろから追ってくる足音は一人。

 逃げ切れるか?

 

 建物の外に飛び出た私達は、登って来た壁伝いに逃げようとして、突如噴き出した炎に行手を阻まれた。

 振り返れば司祭が杖を突きつけている。

 炎の魔術、司祭も魔術師だったのね。

 

「どんなネズミかと思えば、先日の……」

 

 彼は私の事を覚えていたようだった。

 

「そのような勇ましい姿で深夜にこられずとも、おもてなしするようご用意しておりましたのに」

「十日も待てなかったので」

「せっかちな方ですね。本当にご準備していたのですよ。とても楽しみにして」

 

 壁を背にして向き合う私達に、ラグナルは獲物を前にした獣のように目を輝かせる。

 

「黒い髪、真紅の瞳……まさにあの方と同じ。素晴らしい」

 

 うっとりと歌うように言う。

 

「ようやく手に入れられる。終焉の神の器と赤い災厄の魔物を」

 

 なんのこと?

 

 司祭は私達に近付き手を伸ばした。

 

『それ以上近寄るな!』

 

 パキパキパキ

 甲高い音をたてて司祭の腕が凍りつく。

 思わず私は隣を見た。

 王子の魔力? ジークフリート王子も魔術が使えたの?

 

「ほう、氷属性の竜とは。面白いものを連れていますね」

 

 ラグナルが手に持っていた杖を振ると、彼を覆っていた氷はパラパラと砕けて落ちた。

 

「少し早くなりましたが、聖女をご紹介します」

 

 その言葉通りに、彼の背後から白い髪の女性が歩いて来た。

 白いドレスに白いフード付きマントを羽織っている。全身真っ白な中、黒曜石のような漆黒の瞳に紅い唇が鮮やかだ。その人間離れした美貌は神に向き合うがごとく、近付くことすら許されぬような神秘的な空気を漂わせている。

 

 彼女が——白き聖女。

 間違いない。

 

 これは罠だ……。

 聖女が留守だなんて嘘だったんだわ。

 

「フレイ、彼女を連れてきなさい」

 

 司祭の命令に、女性は静かに私を見る。

 まるで人形のような顔。

 そこに感情は見えない。

 

 彼女が手のひらをそっと上に向け、ふわりと私の方へ風を送る。

 その仕草を見た途端、私はぞっとして王子を抱いて横っ飛びに避けた。

 バキバキと音を立てて私達がさっきまでいた地面が大きく沈みこむ。まるで巨人が見えない拳を振り下ろしたかのように、えぐれた地面のその底は深く見えない。

 

 浄化の力を持つ白き聖女。

 

 いいえ、違うわ。

 

 この聖女は『人間』ではない。この力は人の魔力とは比較にならない。

 浄化でもない……、これは『消滅』。

 

 再び聖女は右手を上げる。

 いけない、これは!

 

「逃げてください!」

 

 咄嗟にグラムを抜き、衝撃に耐える。

 魔剣ですら、彼女の魔力の前では持ちこたえるのが精一杯だ。両腕がびりびりと振るえる。私の周囲の空気が破壊の力に耐えかねて渦を巻き熱を持つ。

 ——熱い。

 竜が氷爆の息を吐いた。白い靄が立ち込めて、氷はたちまち水蒸気へと変わってゆく。

 

 ギルが帰るまで待てば良かった。

 そう一瞬後悔したけど、もう手遅れだ。

 せめて巻き込んだ王子は逃さないと。

 

「ジーク、飛んでください! 貴方なら、まだ逃げられる」

 

 王子も私が精一杯なのがわかったのだろう。背中の翼を羽ばたかせて浮き上がった。

 生き残るには二人とも捕まってはならない。

 彼はそれを知っている。

 

『クソッ! 必ず、助ける』

 

 壁の向こうへ逃れた竜を見送って、私は聖女と司祭に向き直る。

 二人は子竜など歯牙にも掛けていないようだった。

 彼等の狙いは私一人。

 

 ラグナルは紫色アメジストの目に愉悦ゆえつの色を浮かべて、私に向けて手を差し出した。

 

「さあ、参りましょう。この世に最後を知らしめるために」

 

 彼の持つ杖が赤く輝く。

 杖の奏でる歌が聞こえる。

 ああ、これは意識を奪う力だ。

 あの杖は魔剣と同じ、神の持ち物。

 

 私の身体からみるみる力が抜け、手から剣が落ちる。

 魔剣グラムが悲壮な声をあげるのが、暗闇の中で私の頭の中に響いた。

 

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