第10話 聞き取り調査をはじめます

 窓の外が薄明るくなり、暁の空が紫から明るいオレンジ色にかわる頃、私はベッドの上で目を覚ました。

 慣れた柔らかなシーツではない、やや固いマットレスの感触にむくりと起き上がって自室ではない事に気付く。


 ここはロイエン王国の王国騎士団の寮の一室。

 昨夜私とギルはここに部屋を与えられ、辺境伯令嬢クリムヒルトが王都に到着するまでしばらく滞在する事になった。

 と言っても、当の本人わたしはここにいるから令嬢が来るはずがないんだけど。


 壁に備え付けのクローゼットから軍服を取り出してベッドの上に投げ、私は夜着を脱ぐ。手早く下着を身につけて白いシャツを羽織り、黒のズボンを履きジャケットを羽織ると鏡を覗いた。

 サイドテーブルの上に置かれた水差しで布を濡らし、顔をさっと拭く。寝癖でくしゃくしゃになった髪を手早くとかしてまとめ上げ、髪留めでキュッと留めると出来上がり。

 

 するとそこへコンコンと扉をノックする音がした。


「ヒルデ様、準備は出来ていますか?」

軍靴ブーツ履くから少しだけ待って」


 普通の貴族のお嬢様は侍女が全て身の回りの世話をするものだが、私はしょっちゅう討伐に参加していたので自分で身支度するのも早い。

 野営の準備も武具の手入れもお手のもので、この辺はローレンツ兄様に仕込まれた。手早く靴紐を結んでいくと扉越しにギルがはあ、と溜め息をつくのがきこえる。

 扉を開けると赤い髪の美青年が微妙に暗い顔で立っていた。

 

「何? 文句言いたそうな顔してるわよ」

「どうされるか決められましたか?」

「何がよ」

「令嬢として王子に会われるかどうかです」

 

 ギルと連れ立って廊下を歩きながら、私は唇をとがらせて答える。

 

いちばちかで? 王子が治らなきゃ、どのみちラウリッツには帰れないじゃない。そんな危ない橋を渡るより他の方法を探すわ。結局のところ、王子の呪いが解ければいいんでしょ」

「どうやって?」

「その竜を退治すりゃあ呪いは解けるんでしょ?」

 

 そういうと、彼はうーんと難しそうに唸った。

 

「おそらくは。でも、どこにいるかもわからない竜を探すのは大変です。それに、なんでもかんでも殺さないでください。一応、竜は神獣なんですから」

「その神獣がなんで人間を襲うのよ」

「事情があるはずです」

「王太子が何かやらかしたとか?」

「というよりは、普通に考えてこの状況は暗殺でしょう」

 

 私はギルの言葉に頷く。そりゃそう考えるのが自然だわ。

 

「暗殺者が竜を操っているってこと?」

「可能性的にはそれが一番高いのではないでしょうか」

「だったらまだ王太子が生きているんだから、また襲ってくる可能性もあるってことね。この何年かも狙われたりしたのかしら」

 

 ジークフリート王子に王太子の近辺を調査させてもらうのが早そうだ。暗殺ならば、それ以降も何度か襲われているだろう。案外相手も見当がついているかも知れない。

 

「だったらさっさと聞き取り調査よ。ギル、行くわよ」

「……はい」

 

 やれやれとボヤきながらついてくる赤毛を引き連れて、私は早速王子の元へ向かった。

 

 

 

     *********

     

 

 

 

 訪れた王子宮の侍従によると、王子は朝食前の騎士達のトレーニングに参加しているということだった。

 辺境騎士団と王国騎士団がスケジュール的に似たような感じなのは、うちの団長であるローレンツ兄様が王都の士官学校を卒業しているからなのかも知れない。同じような訓練が出来るように合わせたのだろう。

 

 

 昨日行った練兵場に行くと、王子は一汗流した後だった。もちろん今の彼は人間の姿をしている。そばにはベルンハルト団長もおり、サーベルを持っているところを見ると、二人で試合をしていたようだ。

 黒髪の美男子が訓練用のラフな服装で汗で濡れた前髪をかきあげるさまは、なんとも色気があって思わずドキリとする。白いシャツのボタンが二つほど開いていて、このチラリズムは騎士団で男の裸に慣れてる私でもグッとくるわ。

 

 いかんいかん、動揺している場合じゃない。

 平常心を呼び戻しながら、私は王子達に近づいた。

 

「貴殿らも身体を動かしに?」

 

 頭を下げて挨拶をする私達に、ジークフリート王子が爽やかな笑みをむけてくる。

 

「いいえ、王太子殿下を襲ったという竜について、少しお伺いしたいと思いまして」

「竜について?」

「ええ。クリムヒルト嬢は体調を崩しており、まだしばらくこちらへ来ることは出来ません。その間、私達で調査をしたいと思うのです」

 

 そう伝えると、王子は持っていたサーベルを腰に収めた。

 ベルンハルト団長も近付いてきて、王子にタオルを渡す。それから彼は私を見て微笑んだ。

 

「ヒルデ殿が呪いを解いてくださるのですか? 竜殺しの魔剣の主人が動いてくださるとはありがたいですね」

「解けるかどうかはわかりませんが、このまま何もせずに待つのも手持ち無沙汰ですので。もしよければ王太子殿下が襲われた心当たりを教えてください」

「狩猟祭に竜が現れたのは後にも先にも一度きりだが、あれが偶然ではないと思うか?」

「その前後にも王太子殿下が狙われた事件があるのであれば」

 

 私の言葉にジークフリート王子は黙って顔を拭き、タオルをベルンハルト団長に戻した。

 

 

「父王には俺を含めて三人の子供がいるが、全て母が違う。正妃の子が兄王子、第二妃の子が俺、そして第三妃に王女がいる。母は違うが俺達兄妹は皆仲は悪くない。むしろ、妃同士も仲が良く、俺も幼い頃から将来は兄を補佐するようにと教育されてきているくらいだ」

「では、狙われる理由がない?」

「いや、つまりは王位継承権についての身内の争いはないということだ。しかし、実際には兄ヴィクトールは数年前から刺客に命を狙われている。常に騎士団が護衛してはいるが、その攻撃は執拗なくらいだ」

「王太子が邪魔? 思い当たる人物はいないのですか?」

「王宮には政敵は山ほどいる。父王が一つ政令を通すだけでも反対する貴族達が大勢いるのだから。周辺国も決して我々に友好な国ばかりではない。心当たりだらけで逆につかめない」

 

 うーん、それは困ったな。

 

「ただ、気になるところはある。妹のローザリンデ王女が当時、俺が斬りつけて逃げた竜が、森ではなく王都のどこかで消えたと言ったのだ」

 

 ローザリンデ王女? 第三妃の子という王女のことかしら。

 ジークフリート王子はあまり口外するなよ、と前置きをして話を続ける。

 

「ローザリンデの母はコルム王国の出身なのだ。あの国は精霊が王を選び、精霊を祀る神殿の神官は精霊達と対話するという。ローザリンデも幼い頃から精霊が視えるといっていた。あの事件の時ローザリンデは十歳にも満たない子供だったので、あまり大人達は相手にしていなかったのだが……」

 

 王都のどこかで竜が消えた。

 王女の言葉が本当なら、やはり竜は誰かによって操られていたと思って間違いない。それも、ここ王都にいる人物に。

 

「王女様にお話を聞くことはできますか?」

「話ができるように取り計らおう」

 

 そう王子は言って、朝食後に執務室に来るようにと言い置いて行った。

 

 

 数刻後、昨日竜に変化した王子と話した執務室を私達が訪れると、きっちりと軍服に着替えたジークフリート王子が待っていた。

 入るように言われ、ソファーに座って待つように指示されるとすぐに、部屋の扉がコンコンと鳴る。

 

「ローザリンデか、入ってくれ」

 

 王子の返事に扉を開けて入って来たのは、十四・五歳の長い黒髪の少女だった。

 

「お兄様、お呼びと聞きましたが、何の御用でしょうか」

 

(か……、可愛い!)

 

 入ってきた少女を見て、私はびっくりした。これまでこんなに綺麗な女の子を見たことがない。それほどにローザリンデ王女は美少女だったのだ。

 艶々とした真っ直ぐな黒髪に、深いエメラルドの瞳が印象的だ。抜けるように白い肌とやんわりと細い線を描く手足。お人形さんのようなぱっちりした目とバランスの良い顔立ち。どこまでも優美な仕草はやはり兄妹だ。ジークフリート王子にすごく似ている。王子が女の子ならこんな感じなんだろうな。とにかくこの兄にしてこの妹あり。すっごい美形の兄妹ね。

 

 兄王子に軽くお辞儀をして、王女は少し戸惑ったように首を傾げた。部屋にいた私達に気付いたのだ。

 何故? といったふうに兄を見た後、王女は私達にも挨拶しようとスカートをつまむ。しかし、その顔はすぐにこわばって動かなくなった。

 

「どうして……」

 

 王女は私を見つめ、そして小さな声で問う。

 私から目を逸らせた彼女は、私のすぐ背後に立つギルを凝視しており、握りしめたその手はふるふると小さくふるえていた。

 

「貴女は……なんて存在を従えているんですの」

 

 王女の様子を黙って見ていたギルは、王子には見えない角度で人差し指を軽く唇に当てて王女に見せる。

 それを見た王女は真っ青になり、すぐに俯いて顔を背けた。

 

「これは本物……だわね」

 

 私は小さく呟き、そして、精霊の目を持つ王女に向けて微笑んだ。

 

「王女様にお尋ねしたいことがあるのです」

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