第2話 始まりはいきなりの縁談

 さて、ことの始まりは半年ほど前にさかのぼる。

 

 私の住む辺境のラウリッツ領は今日も平和だ。

 午後の陽射しが穏やかに大地を照らし、草花の広がる冷たかった地面も暖かそうに輝いている。雪の積もる冬を抜け、春の訪れからもうだいぶんたったこの小さな森も、小鳥達が歌い小動物の姿もちらほら見かけるようになった。息をすると草木と土の匂い、そしてどこかに咲く花々の良い香りがする。

 私は花の香りを吸い込むように、大きくあくびをした。

 

「んー、気持ちいい」


 休息するには最高のお天気だ。澄んだ風が緑茂る木々の間を吹き抜け、私の頬を撫でてゆく。木の葉が揺れて太陽の光がちらちらと瞬き、その眩しさに思わず身じろぎした。

 その途端、


「うわっ!」


 ぐらりと大きく身体が傾いて、おおかた地面に落っこちるところだったのを、太い幹にはっしとしがみついて耐える。


「危なかった……」


 おお、びびった。

 木の上でうたた寝していた事を忘れていたわ。これで落ちて怪我していたら、またお母様にどやされるところだった。

 冷や汗をふきふき一息ついた私を、下から呼ぶ声がした。


「クリムヒルト様、またそんなところで寝ているのですか」


 見下ろすと炎のように鮮やかな赤い髪をした青年が、私をじっと見上げている。無表情のその顔は冷たく見えるが、誰もが見惚れるくらいに整っている。私と同じ年頃のまだ若い彼は、私の最も信頼する護衛騎士だ。


「ギル、なあに?」

 

 今日は午前中にお兄様に頼まれていた市場の視察をすませて来た。お母様に依頼された帳簿の確認もしたし、仕事は全部終わっているはず。午後はのんびり本でも読んで、夕方に騎士団の稽古場に顔を出して遊ぼうと思っていたのに。

 屋敷にいると何かと用事を言いつけられてしまう。それで近くの森に隠れていようと出て来ていたのだけれど、ギルにはどこにいようと見つかってしまう。それを知っている誰かが彼に連れてくるよう頼んだに違いない。

 

「ディートリヒ様が帰られました」

「お父様が?呼んでるの?」


 ギルはコクリと頷く。


 辺境伯である父は、一年のうち何度か王都に出向く仕事がある。

 我がラウリッツ辺境領は、隣国との小競り合いが絶えないロイエン王国の、国境の守りの要である騎士団を抱えていた。その領主である父は、王国の中では結構重用されている。度々国王に呼び出されては会議に出席したりしているのだ。

 今回も特別変わった用ではなかったはず。いつもは帰宅しても、出迎えは求めず晩餐の時に顔を合わせるだけなのに。

 

「帰って来てすぐに呼び出すなんて珍しいわね。どうしたのかしら?」

 

 不思議に思って首を傾げると、ギルは木の下で両手を広げた。私は木の上に立つと、スカートが舞い上がらないように押さえてそっと飛び降りた。

 かなり高い枝から飛び降りた私を、ギルは難なく受け止めてくれる。眉ひとつ動かさず抱きとめた私を地面に降ろしながら、彼は少しだけ困ったような顔を見せた。


「カスタードパイを厨房に頼んでこいと言われました」

「カスタードパイ?ギルにそう言ったの?」


 なんだそれ?

 カスタードパイは私の好物だ。以前一度だけ王都を訪れた時に、果物のコンポートを乗せたそれを初めて食べて、すごく気に入って屋敷のシェフに頼んで作ってもらうようになった。でも手間が掛かるし贅沢だから滅多に作ってもらえない。

 それをギルに頼めって?


「なにか嫌な予感がするわね」

「……はい」


 赤い頭を縦に振ってギルも頷く。

 

 その予感は的中した。屋敷に戻った私に向かって掛けられた父の言葉は予想外のものだった。

   

   

   *****

   

 

「お父様、今なんとおっしゃいました?」


 わなわなと肩をふるわせながら、私は帰宅したばかりの父の顔を睨みつける。父は私の迫力に気圧けおされて、おどおどと目を泳がせた。


「だからクリムヒルト、お前が王子妃候補に選ばれたんだ」

「王子妃ですって?」


 王都から帰って来たかと思えば、いきなり何を言いだすのか。


「ジークフリード王子が婚約者を探していると陛下から内々に話があった。王子はもう二十四歳。お前は二十歳。うちが一番家柄も年頃も釣り合うのでどうかと言われたのだ」

 

 年頃だと?そんなもの都合の良い政略結婚の口上に過ぎない。

 この国の貴族女性は十代で結婚するのが普通だ。私などもう嫁き遅れと言われても仕方のない年齢。自分で言うのもなんだが、そんな年増の令嬢をわざわざもらいたがるなど、どんな物好きだと言いたい。


「王子なら他国の王女をめとればいいでしょう!」

「殿下は第二王子だ。あまり国外と繋がって王位を争うようになってはいけないとご配慮されているのだ。それに殿下は王国騎士団の総帥となるお方。隣国との国境を守る我が家と縁を深めておきたいと陛下はお考えなのだよ」

 

 突然降ってわいた縁談、しかも相手は王子ですって?

 田舎の領主の娘に王都の煌びやかな貴族、それも王族との縁談だなんて。貴族の令嬢なら誰もが憧れるという王子様とのラブロマンス。

 だけど、私は知っている。

 その先には妃教育という地獄が待っているのだ。しかも王都には着飾った貴族達が集う、社交界という名のドロドロした人間関係が待っている。

 王子妃なんてそんな面倒臭いもの、誰がなりたいものか。

 

「無理です、お父様。私には領地ここでの仕事があります」

 

 ここはあっさりと断るに限る。まだ私は王子妃『候補』に過ぎない。


「それとな……陛下がうちの騎士団の話を聞いて、ほら、半年ほど前に隣のシュゼーレ王国と小競り合いがあっただろう?」

「はい。ひと月程で追い払いました。それが何か?」

「シュゼーレの使者が王都に来て賠償金を支払って行ったのだが、その時に陛下に言ったらしいんだ。その……『赤眼の悪魔』の事を」

「はあ?」

 

 

 ラウリッツ辺境領には一振りの剣の伝説がある。

『魔剣グラム』

 暁の神エオーリアを祀る神殿の森に眠るその剣は、かつてこの国を襲った竜を倒すために神が地上に下したと言われていた。魔剣は一本の林檎の古木の根元に突き立ち、自らの主人を選ぶ。数百年ぶりに現れたその魔剣の主が、ラウリッツ辺境騎士団の隊長の一人。

 鞘を持たない魔剣に選ばれたその者は自身を剣の鞘とし、真紅の鷲を連れて戦場を駆け巡る。死神のような戦いぶりと黒髪赤眼のその姿から、敵国には『赤眼の悪魔』の異名で呼ばれている。

 ロイエン王国の国王は、その英雄を正式に王国騎士に叙任すると言い、王都へ招いたのだと父は語った。

 

  

「『赤眼の悪魔』を連れて来いと?それで、ついでに婚約者の娘も一緒に?——どっちも私じゃないですか」

 

 そう、私の仕事とは、このラウリッツ辺境騎士団の隊長なのだ。

 魔剣グラムを冗談で触っていて抜いてしまい、グラムを護る赤鷲ニンギルスと共に家に帰って来たのは五年前。それ以来、私はこの魔剣を辺境領で有効活用する為、男性に混ざって騎士団にいる。

 もともとは銀髪に瑠璃色ラピスラズリの目の私だが、魔剣を身につけると剣の魔力によって外見が変化し黒髪赤眼になってしまう。騎士団のみんなはそのことを知っているが、私が騎士団にいる事をあまりよくは思っていない父は、それを幸いに対外的には私にヒルデ・ブランドと名乗らせていた。ヒルデは私の愛称でブランドは母方の姓である。

 

「仕方ないではないか!一人娘が敵国に悪魔と呼ばれているなどと、恥ずかしくて言えるか」

 

 恥ずかしくて悪かったわね。腰抜けのお父様の代わりに領地を守っている娘に向かって失礼な親だこと。

 

「で、お父様、どうなさるんです?」

 

 冷ややかな私の問いかけに、父は眉をハの字にして質問で返して来た。

 

「どうしたらいいと思う?」

 

 私はのけぞって天を仰いだ。

 知るわけないだろ、このバカ親父!

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