辺境伯令嬢は王子の婚約者になりたくない 〜竜の王子の嫁になれと言われましても、私は竜殺しの魔剣の主人です!〜

藤夜

第1話 え、逃げられない?

「クリムヒルト、常に先を見越して行動せねばならないよ」


 そう教えてくれたのは幼い頃、女だてらに兄と共に付いて学んだ剣術の師匠だ。


 それは対戦相手の次の動きを先んじて制せよ、という意味だったのか、それとも自分の行動の結果が何を引き起こすかを予想せよ、という意味だったのか。どっちにせよ今の自分は、後者を怠った為に危うい状況に陥っている事は確かだ。

 

『後悔先に立たず』

 

 まさにその言葉通りの状況に、私は心の中で叫んだ。

 

( あー、帰りたい。今すぐに! )

 



 ラウリッツ辺境伯の子女である私は、ロイエン王国の王宮で開かれた宴に父ディートリヒと共に招かれていた。

 今夜、私はこの国の第二王子ジークフリートの婚約者として紹介される。王室からの打診という名の命令で結ばれた婚約で、実のところ私はまだ婚約者として王子と会ったことはない。

  

 私の出身地であるラウリッツ辺境領は、ここ王都からは馬車で二週間もかかる遠い国境の僻地。ほとんど王都を訪れたことがなかった私は、婚約の話があがるまで全く彼とは面識がなかった。婚約が決まった後も私はなんとか断る事は出来ないかと思い、怪我だ病気だとなにかと理由をつけて顔合わせを避けていた。


 そんなこんなで逃げていたら痺れを切らせた国王様に、とうとう王宮へ呼びつけられてしまったのだ。

 

 さすがに公式の婚約発表を逃げる事は出来ないので、しぶしぶ王室から贈られたドレスを身に纏いやってはきたものの、私はイヤでしょうがない。

 

 会ったこともない相手といきなり婚約発表ってどうよ?まあ、貴族の結婚なんて、そもそも本人同士の意思なんてないも同然の政略結婚なのだけど。

 


 辺境伯である父は王の側でたくさんの人たちに囲まれている。一方、私は父について来たもののあまり目立ちたくないのもあり、王への挨拶の後は広間の端の方で静かにグラスを片手に休んでいた。まだ相手の王子の姿はない。

 

( 外に出ちゃおうかな? )


 ざわざわと華やかに人々が話し笑い合う会場を背にし、テラスの扉に手をかけ外のバルコニーへ出ようかと迷う。そうこうしていると背後で人々が騒めく気配がして、私は思わず振り返った。

 

「ジークフリート王子殿下のお越しです」

 

 入口の黒服の侍従がうやうやしく扉を開き、背の高い男性が会場に入ってくるのが見えた。

 彼は会場を見渡し私と目が合うと、声を掛けてもらおうと群がる女性たちには目もくれず、真っ直ぐに私に向かって歩いてくる。

 

 何で私がわかるんだろ? あ、このドレスのせいか。自分が贈ったドレスだもんね。うちの誰かに聞いたんだろうとは思うけど、ドレスも靴もサイズもぴったり王室御用達最高級ブティックの品に、きらきらのアクセサリーまでどうもありがとうございます。正直いらなかったけど。


 うつむいて逃げたくなるのを我慢しているうちに、コツコツという足音まで聞こえて止まった。

 

「貴女がラウリッツ辺境伯のご息女か」

 

 煌びやかな透明のクリスタルのシャンデリアに灯る白い炎は、風にゆらめく様子のないところを見るに魔法で灯されているのだろう。蝋燭よりも明るく広間を照らすその明かりの中で、光を吸い込むような漆黒の衣装を身につけた黒髪の男が私の前に立っている。


「はい……クリムヒルトと申します」

 

 深いブルーのドレスの裾をつまみ、完璧なカーテシーで挨拶をする私に、彼はその蒼玉サファイアの瞳を細めて薄く笑みを浮かべた。彫りの深い完璧に整った顔はどこかまだ少年らしさを残しており、微笑む姿は見る者の時をしばしとどめ魅了する。黒ずくめのその服装ですら、彼の持つ輝きを隠す事は出来ない。


 漆黒の夜の神の化身。優美な彼の外見からそう評する人間も多い。

 これだけの美形でありながら浮いた噂もなく、二十四歳の現在まで婚約者の一人もいない。ただ王国の為に戦いの中に身を置いてきた軍人王子だ。まあ、それには彼の身の上にとある不幸な事が起きたのが原因なのだけど。

 しかし、相変わらずムダにイケメンなのよね。

 

 遠くから貴族の淑女レディ達が、羨望の眼差しで私達を見つめている。しかし私は頭を下げたまま、この青年の目の前からなるべく早く立ち去る方法を頭の中で算段していた。

 

 なぜかって?


 それは、私がもうすでに彼と面識があるからだ。それも『クリムヒルト』としてではなく、もう一つの姿の時に。それがバレるととても面倒な事になる。

 彼はこの国の第二王子にして、王国騎士団を統括する若き総帥。そんな彼をあざむいていたなどと知られては、どのような罪に問われることか。


 ただ、幸い彼の方もこの縁談に乗り気ではないことを私は知っている。以前、彼の口から直接この婚約を破棄するという話を聞いた事があるのだ。

 

 彼には別に想う女性がいる。陛下や私の父の手前、一度も顔を見ずに断るのも悪いと思って出席しただけなのだろう。

 

 婚約発表をする前にきっと彼は陛下に言って、この話をなかった事にしてくれる。そして、もう二度と会うことはない。軽く挨拶を交わし人混みに紛れよう、そう私は心に決めていた。

 

 

「王国の剣、若き守護神であられるジークフリード殿下には初めてお目にかかります」

 

 顔を伏せたまま型通りの挨拶を口に出す。

 見えない前方からフッと笑ったような気配がした。

 

「ラウリッツ伯と辺境騎士団には、いつも王国の盾として働いてもらい感謝している」

「ありがたいお言葉です。父も喜ぶと思います」

「伝え聞くところでは、貴女も領地では騎士団の騎士達と共に従軍されているとか」

「……女の身でお恥ずかしい限りでございますが、微力ながら治癒魔法が使えますので治療師として参加しておりました」

「ほう」

 

 握りしめている手の汗がすごい。

 婚約者として多少調べられている事は覚悟していたけれど、私の事をどこまで知っているのかしら? さっさと会話を終わらせて去りたい。

 そう思っているのに、目の前の彼は興味深げに話を続ける。

 

「治癒魔法が使えるのか。それは貴重だな」

「蒼氷騎士団の方々に比べれば素人のようなものです」

 

 この国には重騎兵を主とする紅炎と魔術を操る蒼氷、そして諜報機関である黒霧の三つの軍隊が存在する。そのうちの蒼氷騎士団には優秀な治癒魔法を持つ騎士が多く在籍している。


「魔物についても詳しいとか」

「辺境領は魔物も多いので、従軍しているうちに覚えました」

「危険だろうに」

「辺境伯家に生まれた者としての義務でございますゆえ」

「魔物退治が?」


 笑いを含んだ声色に思わず顔を上げると、見慣れた青色の瞳と目が合った。怜悧な顔が意義悪そうな表情を浮かべる。

 

「ラウリッツのお転婆姫、領ではそう呼ばれていたそうだな」

「 ! 」

「アレクシスが教えてくれた。姉には到底敵わぬと」

 

(あのクソ弟め、一体何を殿下に言ったの? よもや身バレするような事は教えていないでしょうね)


 士官学校にいる弟の顔を思い浮かべながら、私はヒクヒクと痙攣しそうになる頬を押さえて答える。

 

「弟の冗談ですわ、殿下。本気になさってはいけません」

 

 大丈夫、今の自分は『クリムヒルト・ラウリッツ』だ。

 彼の知る自分とは、髪の色も瞳の色も違う。化粧もしてドレスを着ている今、どこから見ても完璧な貴族の娘に見えているはず。


「冗談?」

 

 彼は少し低い声でそう繰り返した。


「魔剣グラムの主人マスターに敵う人間がそうそういるとは思えないが」


 キラリと光る青い瞳が私を捕らえる。

 

「よく化けたものだな、……ヒルデ」

 

 さーっと全身の血の気がひく音がした。ヒッと喉から出かかった叫び声をごくりと飲み込む。

 

『ヒルデ・ブランド』

 

 騎士団でいる時の私の偽名がそれだ。

 名を呼ばれて固まる私に、彼は追い詰めるような視線を向けてくる。

 

「それとも、クリムヒルトと呼んだ方がよいか? 婚約者殿」

 

 笑顔なのが余計に怖いわ。

 

「何のことでしょう。殿下」

「さあ……何のことだと思う?」

 

( ダメだ、バレてる!でも、どうして? )


 さすがにアレクシスはそこまで喋ってないはず。

 だって、私の正体がバレたら辺境伯家もヤバいもの。王族を騙した罪で処罰される。


 とぼけてはみたものの、全身の毛穴から汗が噴き出てくる。

 彼はそんな私を見て面白そうに目を細めた。すぐそばまで歩き寄ると、蛇に睨まれた蛙のように動けなくなった私の手を取る。

 

「俺から逃げられると思うなよ?」

 

 そして彼は見惚れるような優雅な仕草で、ゆっくりと私の指先に口付けた。

 





   〜〜〜〜〜〜〜


 この物語を手にとってくださりありがとうございます。

 ゆっくりめの更新となりますが、気長にお付き合いくださると嬉しいです♪


 近況ノートに挿絵入れています。


https://kakuyomu.jp/users/fujiyoru/news/16818093078416904057


 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る