31話 一条呉久はTSを許さない その2

 そしてまた翌日、ついに俺の顔を覆うギブスを外す許可が降りた。


 ギブスは俺の担当医の指示によるもので、曰く、TS病で身体が作り替えられる際、固定して骨格を定着させる必要があるとのこと。

 そんな治療方針に従った俺は、ミイラさながらの全身包帯ぐるぐる巻に始まって徐々に拘束を解かれていき、今や頭部にのみ包帯ギブスを残した形姿なりすがたの、フランケンシュタイン状態まで復調の兆しを見せていた!


 俺の生活態度はこの過程で人間らしさを取り戻しているようにも思えたし、性転換の痛みに悶絶する様を病棟のウォーキングデッドと噂されて社会的態度はむしろ人間から遠ざかっているようにも思えた。


 何はともあれ、今日これより俺をフランケンシュタインたらしめていた顔のギブスからは解き放たれる。

 そう、俺はようやく人間になれる────


「──ヤット……ニンゲンニ……」


「……お医者様、お嬢様が妄言をおっしゃっております……確か以前の検査で、お嬢様の脳にダメージは無いとの事でしたよね?」


 見舞いに駆けつけ俺の様子を見るや、なぜか怪訝な顔付きで「やはり再検査を……」と不穏な提案を始める詩織姉さんと、彼女の問に対して苦笑を貼り付け回答する担当医に立ち会われ、俺を包む包帯のくびきが外される。

 そしてひと月ぶりに、俺の容貌が顕になった。


「……お嬢様、良かった。とても、御美しくなられて……」


 包帯を取られ目を開けると、詩織姉さんは俺を驚いたように見つめ、安堵とも感激ともとれる表情で口元を覆っていた。


「……へ、変になってない……?」


 俺が聞くと、詩織姉さんは居住まいを但しながら逡巡し、握り拳を作った。


「はい……変というより、その……、か……」


「か?」


「か──かわっふぃいいいいっ」


「うぶっ……」

 

 昨日に引き続き、興奮した詩織姉さんが抱きついてきた。どうも性転換以降、詩織姉さんの距離感が近い気がする。


「ま、まだリハビリの途中……」


「失礼いたしましたお嬢様。しかしですねお嬢様、小首を傾げる仕草、困り顔……もう、可愛すぎます! 現在進行形で素敵です! 元々のお顔立ちも凛々しゅうございましたが……お嬢様となった今は麗しく可愛らしく……ああ、本当に良かった……」


 こんなに感情豊かな詩織姉さんは久しぶりに見たかもしれない。砕けた喋り方も俺が同性になったからだろうか。

 まあ彼女には随分と心配をかけたみたいだし、色々思う事もあるのだろう。それに家族として距離が近いのは悪いことではないだろうし。


「男の頃を褒めてるあたりお世辞っぽいなあ……」


「とんでもない! お嬢様はずっと素敵です!」


「……というか、俺の呼び名はお嬢様でもう固定なのか……」


「当然です!」

 

 ……満面の笑みで言いきられてしまった。俺に拒否権はないようだ。詩織姉さんは目を輝かせて続ける。


「その儚げなお姿、深窓のご令嬢を思わずにはいられません! 百聞は一見にしかず、さぁ是非! 鏡をご覧になって下さいっ!」


 とても嬉しそうにする詩織姉さんに手鏡を渡され、覗いてみる。

 すると──

 

 ────見知らぬ深窓のご令嬢が不思議そうにこちらを見ていた。


 歳の頃は15、6ほど。射し込んだ陽射しを乱反射させて煌めくブロンド髪を携え、宝石のように赤く彩やかな双眸はファンタジー世界のプリンセスを思わせた。

 そんな幻想的な美少女がじっ、と俺を見つめているのだ。

 ……気まずい。

 ひとまず笑って困惑を誤魔化そうとする俺だったが、鏡の少女も同じ動きをとる。

 ……なにこれ。

 

 鏡と手渡されたモノに、見慣れた俺の姿が映らない。

 この奇妙なカラクリを、俺はまずVRかなにかと推理して、しばらく鏡をひっくり返したり辺りを映してみたりと試行錯誤を試みた。

 結論、コレは種も仕掛けもない、本当に何の変哲もない手鏡らしかった。

 従ってこの少女というのは──


「え、ぇ。ええ!? これ……もしかして、俺?」


「お嬢様でございます♪」


 ……なるほど、確かに俺はお嬢様らしい。手渡された手鏡が紛れもなく俺自身を映す代物で、そこに映る姿を評し、俺に当てはめればそうなるだろう。

 

 ベッドから立ち上がり、病室に備え付けの姿見まで行って確認してみる。

 透き通るような肌に華奢な体躯、流れるように伸びた金糸の髪。整った鼻梁びりょうと艶やかな唇、それから赤く鮮やかな虹彩で以て、困惑を滲ませた少女の姿……うん、俺、お嬢様だ。


「えぇ……。面影無さすぎない?」


「そうでしょうか? 所々、以前の呉久くれひさ様らしい面影がございます」


「いやいや、俺もともと金髪じゃなかったし!? 目の色もこんなファンタジーしてなかったし!」


 俺の反応に詩織姉さんが首を捻る。どうやら彼女は冗談抜きでそう思っているらしい。

 いよいよ俺が現実を疑い始めた、その時……


 ──スバァァァン!


「呉久!! 倒れたって聞いたぞ? 身体は大丈夫なのか!?」


 勢いよく病室の扉が空き、長身の男が乱入してきた。


「──利久としひさ兄様!」


「ああ、呉久。今日帰国してお見舞いに……って誰?」


 突然病室に乱入してきたこの男は一条利久、留学中の一条家次男である。わざわざお見舞いに駆けつけてくれたらしい。


「……お帰りなさいませ利久様。こちら、お嬢様でございます」


 詩織姉さんが立ち上がって、うやうやしく礼をした。


「……」


 が、俺を見つめたままぽかんと固まった利久兄様に、詩織姉さんの言葉は聞こえていないようだった。


「……御健勝で何よりです……えっと、利久兄様? 俺の顔に何か付いてます……?」


 俺が問いかけると、利久兄様は息を吹き返したように目頭を抑え、よろよろと頷いた。


「ああ……可憐だ……。詩織、早速だがこの可憐なお嬢さんは……いや、辞めておこう。こういうのは自分で確認していくべきだ」


「かしこまりました」


 そう言った詩織姉さんが俺の傍らへ椅子を持ってくると、利久兄様はそこに腰掛け、襟を正した。


「えーっと、お嬢さんはおいくつかな?」


「?……俺はまだ15ですが……」


「学校には通っているのかい? ひとまず成人するまでしばらくは通ってもらう事になるが……」


 俺を見つめる利久兄様は普段とは違って、どこか他人行儀なように思えた。


「……?」


「おっと、これはいけない。戸惑わせてしまったかな? お嬢さんがあまりに素敵だからついね……だが、決めたよ。僕は正式に婚約を申し込みたいと──」

 

 ……ん? 婚約なんて言葉が出てきた。何か大きな誤解があるような気がする。まさか利久兄様、俺だと気づいてない!?


「こ、婚約て……! いやいや、利久兄様、俺です! 一条呉久!」


 どうやら本当に俺だと気づいていなかったらしい。気づけば利久兄様は目を輝かせて俺の手を握っている。気色悪い……


「ははは! もう一条を名乗るとは気が早いな! それにしても俺っ娘……だがそれもまた──」


 おまけに利久兄様には俺の言葉も通じていないらしかった。ニマニマといやらしい微笑を隠さない愚兄に、詩織姉さんの訂正が入る。


「恐れながら申し上げます。利久様、目の前にいらっしゃいますのが呉久様でございます。 少々信じ難いことと存じますが……」


「詩織……いったいお前はなにを言って……え」


「呉久様はTS病で妹になられましたと、先日お電話で申し上げたではありませんか」

 

「そんな曖昧でいい加減な報告の仕方で信じる奴がどこにいる! 現にこうして目にした今も……僕はまだ信じていないぞ? 信じないからな」


 眉をひそめて言う利久兄様に対して、詩織姉さんはわざとらしく「困りましたねえ」と言って、なにか思いついたように指を立てた。


「……このような場合、本人しか答えられない質問で証明する、という手法が定石かと存じます。いかがでしょう」


 ここは詩織姉さんが色々と説明してくれれば済む話ではないのか。

 

「……ふむ、一理ある。それじゃあ質問に答えてもらえるかな呉久(仮)お嬢さん?」


 利久兄様は、俺の訴えには聞く耳を持たないクセに、詩織姉さんの語る一理もないであろうキテレツ手法は妙に腑に落ちるようだった。

 俺を除く一条家の面々は、なんでそう変な方向にばかり物分りが良いんだろうな。


「はぁ……」


 俺が黙りを決め込んだとして? 愚兄は話を受け流して気色悪い微笑を貼り付けたままだろうし、詩織姉さんは微笑みを貼り付けて助勢してはくれないだろう。

 どうやらこの茶番に付き合うほかないらしい……


「まずは呉久の誕生日と詩織の弱点、それから……そうだな、おれの考える理想の女性は?」

 

「……俺の誕生日は1月1日、詩織姉さんに弱点は無い。利久兄様の理想の女性は、お淑やかで優しい金髪ハーフアップの清楚系お嬢様とかいう、実在しない……幻想?」


 俺の返答に、利久兄様が、おお!と目を見開いて、指を折りながら答え合わせを始めた。

 

「誕生日はいいとして、詩織の弱点に気づかないあたり灯台もと暗しというべきか鈍感というべきか……そして兄の理想を一蹴する生意気、うん。すごく呉久っぽいな」


 ……どうも納得の仕方に、納得がいかない。

 

「……利久兄様もいい加減その手のゲームはやめて、現実の恋愛に目を向けたらいいのに……」


「僕はお前の追い求める銀髪碧眼ゆるふわ美少女ってやつの方が、よっぽど現実性に乏しいと思うがね?」


 ──俺の性癖が愚兄に筒抜けとなっているのはなぜか。

 

「いっ、いやぁ!? おお兄様!? なにか誤解なさってるのではなくて!? わたくし、そのような酔狂なこと、申し上げた覚えはないのですけれど!?!?」


「ぷっ……お嬢様わかりやす……」


「こういうポンコツな所は、妹になっても変わらんな……」

 

 俺の必死の弁解に、口元を抑え微笑みとも嘲笑ともつかない顔で愉しげな詩織姉さんと、得心がいったという面持ちで記憶の俺をしみじみと懐かしむ利久兄様が横並びになる。

 どうにもバカにされている気がする……いや確実に、そこはかとなく馬鹿にされている……!

 うるさい……銀髪美少女はどこかにきっと実在する! きっと!

 

「変な言葉遣いが混ざっているが……今の動揺クセは完全に呉久だな。おかえり呉久」


 すっかり納得している様子に、納得がいかない!


「く……解せぬ……」


「はは……! 僕は"可愛い妹"が出来て、嬉しいよ」


 その可愛い妹に向かって、婚約を取り付けようと血迷っていたのはどこの愚兄だったかな……?

 わざわざ"可愛い妹"という部分で語気を強くする実兄の上調子から判断するに、俺の中で今日付で愚兄へと降格されていた利久兄様の評価値には更なる下方修正が必要なようだ。


 実兄しかり、義姉しかり、友人しかり……どうして俺の周りは変人ばかり集まるのかね。

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